第17話 カルメン
眼を開けるとおれはベッドに寝かされていた。
すぐ横にカルメンが床に膝をついておれを覗き込んでいた。
咄嗟におれは叫んだ。
「あっ! 黒宰相、策女、毒婦、ヴァンピール!」
すると月面以来久し振りに白い母の声が聞こえた。
「吸血鬼だと? バカ! くたばりかけて伸びちまったおまえを介抱してくれた、気立てのいい子だよ」
やけに下品な言葉だなあ、と思ったら初老の母のダミ声だった。
おれは少し混乱した。
現世界の母だ。
若い時は上品だったのに。
あくびをしたとき吸い込んだ空気の匂い、味、爽やかさに自分の故郷を感じた。
何度も深呼吸をした。
日没のすぐ後だった。
窓の外を見ると残照がピレネー山系の偉大な峰々の先端を染めていた。
すっかり邪気が抜けたように、間近で見るカルメンには乙女らしい清潔感と柔らかさがあった。
心配そうに震える青い眼は優しく可憐で美しい。
以前はこんなこと感じなかった。
なんと、気のせいか見下すような勝気な上がり眉が天に祈るような下がり眉に見えた。
「カルメン、どういうこと?」
彼女はやさしい声で言った。
「アンタは望遠鏡を覗いていた時急に気を失ったのでここに運んできたのよ」
「まさか。月へ行き、別の宇宙へ行ったあの大冒険が夢だと? 君も行ったじゃないか?」
「ええっ! 何だって? 大丈夫?」
しかし言われてみれば望遠鏡を覗いていたのはついさっきのようで時間も経っていないような気がする。
カルメンはとぼけて言いくるめようとしているのか。
母が出て行って二人だけになった時カルメンが、耳に息がかかるほど近づいて小声で訊いた。
このときおれは初めて彼女の異性を肌で感じて恥ずかしかった。
「アタシたち一緒にどこかに行っていたって、何のこと?」
本当に知らないのか。
カルメンは初めて聞くような顔をしていた。
おれは起き上がり、あの大冒険をごく大雑把に話した。
いろいろあった恥ずかしい話はあえて言わなかった。
「じゃあ、なぜアタシたちだけがここにいるの? 他の皆はどこへ行ったの?」
「おれたち二人だけが戻ってきたのか? まさか。皆本当に消えてしまったのか。長い間文明の発展を止めてまで平和に暮らしていた人々だったのに、我々の出現がきっかけで戦争も起こり空間も崩壊して結局その世界ごと消えてしまったのだろうか」
「人々をけしかけたアタシがいけなかったの? アタシのせいなの? 消えちまったみんな、ごめんなさい。ワーッ」
「いや消えてはいない。戦争の絶えない現世界で発達した知識をおれが素人なりにも持っていたおかげで中間界の人々は転生という形で避難できた。彼等は現世界に来たのだ」
おれの話を信じているふりをしていただけのカルメンはケロッと泣き止み
「現世界への避難のからくり、アンタならどう説明する? 面白そうだから聞かせてよ」
「真実を確かめるすべはない。おれは憶測しか言えない」
「憶測でいいから、まずアンタが聞かせてくれたらアタシの考えを言うわっ!」
話を聞く前から異論を用意しているとはいつものカルメンらしい。
おれがしゃべり終わった途端機関銃のように反論するのだろう。
彼女は自信に満ちている。




