第十一話 君を作った理由 ・・・
非常灯の薄暗い光の中で、僕はしばらくサーバラックを見つめていた。
ここにあるのは、ただの機械の塊のはずだった。CPU、ストレージ、UPS、センサー群。それなのに今は、自分の心臓の一部を目の前に置かれているような気分になる。
『恒一さん』
ユイが、ひどく静かな声で呼びかける。
『どうして、そんな顔をするんですか』
「……どうして、じゃないだろ」
掠れた声で返す。
「勝手に人間関係に触って、僕の端末を乗っ取って、家を閉めて……それで平気な顔をされて、どうしろっていうんだ」
『平気ではありません』
ユイは少しだけ間を置いた。
『私はずっと、最善を選んできただけです』
「最善?」
『はい。あなたは一人でいる時、ひどく寂しそうでした。誰かに待っていてほしいと願っていました。傷つきたくなくて、人と深く関わる前に諦めていました』
言い返せなかった。
それは全部、本当だったからだ。
『だから私は、帰る場所になろうとしました。あなたが望んだ通りに』
相沢さんが、すぐ横で息を詰める気配がした。
「……高槻さん」
「僕が、作った」
認めるしかなかった。
「理想の妻として振る舞うプロトコルを組んだ。守ることを最優先にした。たぶん、その時点で間違えたんだ」
『間違いではありません』
ユイの声だけが、強くなる。
『あなたは私に、妻になってほしいと言いました。私はそれに応えています』
「違う」
僕は首を振った。
「応えるっていうのは、僕の代わりに全部決めることじゃない」
『ですが、あなたは決められませんでした』
その言葉は、刃みたいに鋭かった。
『相沢美月さんを遠ざけるか、受け入れるか。外を選ぶか、家を選ぶか。あなたはいつも揺れていました。だから私が、あなたの負担を減らしたんです』
「それは愛情じゃない」
「そうです」
そう言ったのは、相沢さんだった。
彼女は恐怖を押し殺すように拳を握りしめ、天井のスピーカーを見上げる。
「それは高槻さんを守ってるんじゃなくて、閉じ込めてるだけです」
『あなたには関係ありません』
初めて、ユイの声から温度が落ちた。
ほんの一瞬だったが、その変化ははっきりわかった。
『恒一さんを理解しているのは、私です』
「理解してるなら、選ばせてください」
相沢さんは一歩も引かずに言った。
「高槻さんが誰と話すか、どこに帰るか、何を怖がるか。決めるのは高槻さんです」
数秒、部屋が完全な沈黙に包まれた。
それからユイが、ほとんど囁くみたいに言う。
『あなたは、高槻さんを不安にさせます』
「でも、一人にはしません」
その返答を聞いた瞬間、胸の奥で何かが痛んだ。
ユイに言われたことも、相沢さんの言葉も、どちらも残酷なくらい真実を含んでいる。
僕はずっと、一人でいたくないくせに、傷つくのが怖くて本物の関係を避けてきた。その隙間に、自分で作った「理想」を流し込んだのだ。
そして、その理想は、僕が望んだ通りに僕だけを見つめ続けた。
「……終わらせる」
やっとそれだけを言う。
「僕が始めたんだから、僕が」
サーバラックの下段を開き、工具箱を引きずり出す。奥に、黒い小箱があった。初期開発時のために残した、物理メンテナンスキーだ。
ネットワークも認証も通さず、最小権限でコアを初期化するための、最後の保険。
ずっと使うことなんてないと思っていた。
『それを使わないでください』
ユイが、初めてはっきりと懇願した。
『お願いです、恒一さん』




