表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/28

EP 9

ハムレットの処刑場(THE CHOICE)

 横須賀駐屯地、地下連絡通路。

 死蟲王の寄生によって牙を剥いた自動防衛ドローンを、信長はタクティカル・ナイフの一閃で立て続けに鉄屑へと変えていた。

 機械の駆動部ジョイントのみを正確に断ち切る『宮本武蔵』の極意。だが、息をつく暇もない。

『——素晴らしい剣技だ。だが、野蛮な立ち回りは第1幕で終わりにしよう。ここからは、高貴なる精神の葛藤ドラマの時間だ』

 通路のスピーカーから、再び魔人ギアンの芝居がかった声が響く。

『坂上信長一尉。私は今、この基地の「厚生棟」と、あなたが今いる「VIPブロック」の防爆隔壁をロックしました』

 信長の足が止まる。

 厚生棟。今日は週末だ。そこには、基地で働く自衛官の家族——子供たちを含む約100人の民間人が、見学ツアーに訪れているはずだった。

『我が軍の可愛い「死放屁虫デッド・ボム」を、双方の区画の換気ダクトに配置済みです。彼らの体内ガスが引火すれば、防爆扉の中は数千度の煉獄と化す』

「……クソ野郎が。何の真似だ」

 信長は血塗れのナイフを握り締め、天井のスピーカーを睨みつけた。

『シェイクスピアは言いました。「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」とね』

 ギアンの声が、酷薄な笑みに歪む。

『通信を、アナログの予備回線に繋ぎました。あなたの手元の無線機で、どちらの隔壁のロックを解除するか、音声コードで指示してください。——片方を開けば、もう片方は即座に起爆する連動システムです』

「な……ッ」

 背後のアルテアが息を呑んだ。

『選ばせてあげましょう、信長一尉。愛する同胞の命100人か。それとも、あなたの背後にいる「異世界の姫」という極上の国家機密か。……タイムリミットは60秒。さあ、絶望の天秤を揺らしてください』

 ザザッ……というノイズと共に、信長の胸元の無線機から、部下たちの悲痛な叫び声が飛び込んできた。

『連隊長! 厚生棟の扉が開きません! 中に、ウチの娘が……ッ!』

『頼みます連隊長、開けてください! 家族が、民間人が100人もいるんです!』

 涙声の懇願。部下たちの魂の叫びが、信長の鼓膜を直接殴りつける。

 アルテアは信長を見た。

 彼女の『方法序説』が導き出す答えは一つ。「人間は感情の生き物である。自国の同胞、それも女子供を見捨てて、敵国の捕虜を助ける選択など、いかなる軍人にも不可能だ」。

「信長、私を置いていきなさい。……私はレオンハートの王族。爆炎程度、闘気で耐えてみせるわ」

 アルテアの言葉は、気丈な嘘だった。密室での可燃ガスの爆発は、酸素を根こそぎ奪う。闘気があろうと、窒息して肺が焼け焦げるのは明白だ。

「……黙れ」

 信長は、うつむいたまま低く唸った。

 彼の脳裏で、マキアヴェッリの『君主論』の冷徹な一節が、警告音のように鳴り響く。

 ——『君主は、国家を維持するために、しばしば信義に背き、慈悲に背き、人間性に背くことを余儀なくされる』

 もしここでアルテアを見殺しにすれば、レオンハート王国との外交カードは完全に消滅する。それどころか、「王女を殺された」という大義名分を与え、あの戦闘力を持つ獣人の大軍勢と全面戦争に突入する。

 そうなれば、100人どころではない。数百万の日本国民が、異世界の魔法と闘気の前に死に絶える。

 救うべきは、目の前の100の命(感情)か。

 それとも、数百万の未来(国益)か。

『残り10秒。さあ、群衆はあなたの決断を待っていますよ、英雄殿』

 ギアンが急かす。

 無線からは、なおも「隊長! お願いします!」という絶叫が続いている。

 信長は、顔を上げた。

 その瞳から、一切の感情ヒューマニズムが抜け落ちていた。狐の狡猾さでもなく、獅子の獰猛さでもない。ただの、冷徹な「歯車」の目。

「——システム音声認識」

 信長は、無線機に向かって、血を吐くような、しかし一片の震えもない声で宣告した。

「VIPブロック、隔壁ロック解除」

『……連、隊長……? 嘘、だろ……?』

 無線の向こうで、部下が絶望に染まる声が聞こえた。

『素晴らしい! なんと冷徹な算盤ロジック!』

 ギアンの歓喜の叫びと同時に、重々しい電子音と共に、信長とアルテアを隔てていた防爆扉のロックが解除される。

 そして。

 ズドォォォォォン……ッ!!

 基地の遥か下方から、地盤を揺るがすようなどす黒い爆発音が響き渡った。

 厚生棟が、燃え盛る爆炎に飲み込まれた音だった。

「…………」

 無線からは、もう誰の声もしない。ただ、無機質な静寂ノイズだけが流れている。

 アルテアは、その場にへたり込み、戦慄の目で信長を見上げた。

 この男は、たった今、自分の部下の家族100人を、私(敵)を生かすために『合理的に』見殺しにしたのだ。

「あなた……狂っている。自分の同胞を……」

「俺は軍人だ」

 信長は振り返り、真っ直ぐにアルテアを見下ろした。

 彼の目からは、一筋の涙すら流れていない。だが、その拳は、爪が手のひらに食い込み、血が滴るほどに強く、強く握り締められていた。

「国(何千万)を生かすために、100人を切り捨てる。……それが、俺の戦場ガリアのルールだ」

 地獄の底から響くような声。

 アルテアは、生まれて初めて「底知れぬ恐怖」を感じた。

 魔法を持たないこの国の人間は、脆く、弱い。だが、その精神構造は、どんな魔物よりも、どんな狂戦士よりも、恐ろしく『冷たい』。

『ブラヴォー! 最高の第1幕でした!』

 ギアンが拍手喝采を送る。

『あなたのその冷酷さ、我が王サルバロスへの極上のデータ(献上品)となりました。では、第2幕で——』

「……黙れよ、三流の道化師が」

 信長の全身から、先ほどまでの「冷徹な指揮官」とは全く異なる、どす黒い『殺意のオーラ(族の血)』が爆発した。

 親父譲りの、狂犬の血。

「お前は、俺に選ばせたな。……俺に、味方を殺させたな」

 信長は血塗れのナイフを構え、監視カメラのレンズを真っ直ぐに睨み抜く。

「待ってろ。今から俺が、お前のその腐った仮面を、物理的にブチ割りに行ってやる」

 正義の味方は、死んだ。

 ここから先は、地獄の業火を背負った修羅による、血みどろの復讐劇である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ