EP 9
ハムレットの処刑場(THE CHOICE)
横須賀駐屯地、地下連絡通路。
死蟲王の寄生によって牙を剥いた自動防衛ドローンを、信長はタクティカル・ナイフの一閃で立て続けに鉄屑へと変えていた。
機械の駆動部のみを正確に断ち切る『宮本武蔵』の極意。だが、息をつく暇もない。
『——素晴らしい剣技だ。だが、野蛮な立ち回りは第1幕で終わりにしよう。ここからは、高貴なる精神の葛藤の時間だ』
通路のスピーカーから、再び魔人ギアンの芝居がかった声が響く。
『坂上信長一尉。私は今、この基地の「厚生棟」と、あなたが今いる「VIPブロック」の防爆隔壁をロックしました』
信長の足が止まる。
厚生棟。今日は週末だ。そこには、基地で働く自衛官の家族——子供たちを含む約100人の民間人が、見学ツアーに訪れているはずだった。
『我が軍の可愛い「死放屁虫」を、双方の区画の換気ダクトに配置済みです。彼らの体内ガスが引火すれば、防爆扉の中は数千度の煉獄と化す』
「……クソ野郎が。何の真似だ」
信長は血塗れのナイフを握り締め、天井のスピーカーを睨みつけた。
『シェイクスピアは言いました。「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」とね』
ギアンの声が、酷薄な笑みに歪む。
『通信を、アナログの予備回線に繋ぎました。あなたの手元の無線機で、どちらの隔壁のロックを解除するか、音声コードで指示してください。——片方を開けば、もう片方は即座に起爆する連動システムです』
「な……ッ」
背後のアルテアが息を呑んだ。
『選ばせてあげましょう、信長一尉。愛する同胞の命100人か。それとも、あなたの背後にいる「異世界の姫」という極上の国家機密か。……タイムリミットは60秒。さあ、絶望の天秤を揺らしてください』
ザザッ……というノイズと共に、信長の胸元の無線機から、部下たちの悲痛な叫び声が飛び込んできた。
『連隊長! 厚生棟の扉が開きません! 中に、ウチの娘が……ッ!』
『頼みます連隊長、開けてください! 家族が、民間人が100人もいるんです!』
涙声の懇願。部下たちの魂の叫びが、信長の鼓膜を直接殴りつける。
アルテアは信長を見た。
彼女の『方法序説』が導き出す答えは一つ。「人間は感情の生き物である。自国の同胞、それも女子供を見捨てて、敵国の捕虜を助ける選択など、いかなる軍人にも不可能だ」。
「信長、私を置いていきなさい。……私はレオンハートの王族。爆炎程度、闘気で耐えてみせるわ」
アルテアの言葉は、気丈な嘘だった。密室での可燃ガスの爆発は、酸素を根こそぎ奪う。闘気があろうと、窒息して肺が焼け焦げるのは明白だ。
「……黙れ」
信長は、うつむいたまま低く唸った。
彼の脳裏で、マキアヴェッリの『君主論』の冷徹な一節が、警告音のように鳴り響く。
——『君主は、国家を維持するために、しばしば信義に背き、慈悲に背き、人間性に背くことを余儀なくされる』
もしここでアルテアを見殺しにすれば、レオンハート王国との外交カードは完全に消滅する。それどころか、「王女を殺された」という大義名分を与え、あの戦闘力を持つ獣人の大軍勢と全面戦争に突入する。
そうなれば、100人どころではない。数百万の日本国民が、異世界の魔法と闘気の前に死に絶える。
救うべきは、目の前の100の命(感情)か。
それとも、数百万の未来(国益)か。
『残り10秒。さあ、群衆はあなたの決断を待っていますよ、英雄殿』
ギアンが急かす。
無線からは、なおも「隊長! お願いします!」という絶叫が続いている。
信長は、顔を上げた。
その瞳から、一切の感情が抜け落ちていた。狐の狡猾さでもなく、獅子の獰猛さでもない。ただの、冷徹な「歯車」の目。
「——システム音声認識」
信長は、無線機に向かって、血を吐くような、しかし一片の震えもない声で宣告した。
「VIPブロック、隔壁ロック解除」
『……連、隊長……? 嘘、だろ……?』
無線の向こうで、部下が絶望に染まる声が聞こえた。
『素晴らしい! なんと冷徹な算盤!』
ギアンの歓喜の叫びと同時に、重々しい電子音と共に、信長とアルテアを隔てていた防爆扉のロックが解除される。
そして。
ズドォォォォォン……ッ!!
基地の遥か下方から、地盤を揺るがすようなどす黒い爆発音が響き渡った。
厚生棟が、燃え盛る爆炎に飲み込まれた音だった。
「…………」
無線からは、もう誰の声もしない。ただ、無機質な静寂だけが流れている。
アルテアは、その場にへたり込み、戦慄の目で信長を見上げた。
この男は、たった今、自分の部下の家族100人を、私(敵)を生かすために『合理的に』見殺しにしたのだ。
「あなた……狂っている。自分の同胞を……」
「俺は軍人だ」
信長は振り返り、真っ直ぐにアルテアを見下ろした。
彼の目からは、一筋の涙すら流れていない。だが、その拳は、爪が手のひらに食い込み、血が滴るほどに強く、強く握り締められていた。
「国(何千万)を生かすために、100人を切り捨てる。……それが、俺の戦場のルールだ」
地獄の底から響くような声。
アルテアは、生まれて初めて「底知れぬ恐怖」を感じた。
魔法を持たないこの国の人間は、脆く、弱い。だが、その精神構造は、どんな魔物よりも、どんな狂戦士よりも、恐ろしく『冷たい』。
『ブラヴォー! 最高の第1幕でした!』
ギアンが拍手喝采を送る。
『あなたのその冷酷さ、我が王サルバロスへの極上のデータ(献上品)となりました。では、第2幕で——』
「……黙れよ、三流の道化師が」
信長の全身から、先ほどまでの「冷徹な指揮官」とは全く異なる、どす黒い『殺意のオーラ(族の血)』が爆発した。
親父譲りの、狂犬の血。
「お前は、俺に選ばせたな。……俺に、味方を殺させたな」
信長は血塗れのナイフを構え、監視カメラのレンズを真っ直ぐに睨み抜く。
「待ってろ。今から俺が、お前のその腐った仮面を、物理的にブチ割りに行ってやる」
正義の味方は、死んだ。
ここから先は、地獄の業火を背負った修羅による、血みどろの復讐劇である。




