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EP 8

【急転】早乙女蘭、沈黙(Sugar Crash)

「早乙女室長、バイタル低下! 脳内グルコース値、危険域デッドラインを突破しました!」

 横須賀のサイバー防衛指令室。

 医療班が血相を変えて駆け込み、コンソールに突っ伏した早乙女蘭の細い腕に、高濃度のブドウ糖点滴を乱暴に突き刺す。

「ダメです、意識レベル3ディープコーマ! すぐには戻りません!」

 特A級AIエンジニアの完全な沈黙エンスト

 中国の国家ハッカー集団が放った『論理爆弾』との死闘は、彼女の脳細胞のエネルギーを最後の一滴まで絞り尽くしていた。

 マスターを失った防衛省の量子AIは、自律防衛モード(レベル3)へとダウングレードする。それ自体は強固なファイアウォールだが、蘭という「神がかった直感と暗号解読能力」を持たないシステムは、ただの『巨大な計算機』に過ぎない。

 そして、獲物の首筋から牙が離れたその一瞬の隙(コンマ一秒)を、ロシアが放った『死寄生蟲デッド・リーチ』は見逃さなかった。

「……第4セクター、ポートネットワークに異常アクセス! 外部からの侵入です!」

「馬鹿な、中国は弾かれたはずだろ! どこから来た!?」

「海です! 東京湾を航行中のLNGタンカー『新極東』の自動運航システムから、港湾インフラを経由してウチの基幹ネットワークに……ッ、防壁、食い破られます!」

 スクリーンに映し出されたのは、ウイルスの増殖などという生易しいものではない。

 サルバロスの『方法序説』に基づく、自衛隊ネットワークの「要素分解と再構築」。

 日本のインフラが、異世界の死蟲王の手によって【巨大な蟲の神経網】へと強制的に書き換えられていく。

「……タンカー『新極東』、航路を逸脱! このままでは、当駐屯地に隣接する工業地帯に突っ込みます!」

 数万トンの液化天然ガスを積んだ巨大船が、時速四十キロで陸地へ向けて急加速を始める。

 もし激突し、爆発(BLEVE現象)を起こせば、東京湾岸は文字通り火の海となる。

     *

 その頃。

 駐屯地の地下特設VIP室では、坂上信長とアルテアが、歴史と軍事に関する終わりのない舌戦を繰り広げていた。

 だが、唐突に。

 昼間のように明るかったLED照明が、赤いエマージェンシー・ライトへと切り替わる。

 同時に、空調の僅かな駆動音すらも完全に途絶えた。

「……停電?」

 アルテアが怪訝な顔で天井を見上げる。

「いや、違うな」

 信長はインカムを叩くが、返ってくるのは無機質なノイズだけだ。

 彼は瞬時に『ガリア戦記』の戦訓——「通信線の切断は、敵の奇襲の第一手である」というセオリーを脳内に展開し、腰のタクティカル・ナイフを抜いた。

「おい月の兎。お前たちの国に『機械に寄生する蟲』みたいな魔物はいるか?」

「……『死蟲機』。創世の戦いに敗れた死蟲王サルバロスの眷属ね。でも、あれは遥か西の果ての深淵に……まさか」

「その『まさか』が、どうやらこの基地の心臓システムを喰ったらしい」

 信長は舌打ちをした。

 日本の自衛隊は強力だ。だがそれは、蘭のシステムや高度な通信網による「完璧な連携」が前提となっている。目と耳を塞がれ、自動防衛システムを敵に乗っ取られた今、このハイテク基地は巨大な『鉄の棺桶』に過ぎない。

「あなたたちの『神に代わる科学』とやらも、存外脆いのね。……どうするつもり? 電子ロックが死んだ今、この部屋から出ることもできないわよ」

 アルテアのデカルト的な指摘に対し、信長はナイフの柄を逆手に握り直した。

「ドアが開かないなら」

 信長は、分厚い電子ロックの扉の隙間にナイフの切っ先をねじ込み、親父譲りの『族の血(常軌を逸した膂力)』と北辰一刀流の『理合(テコの原理)』を全開にした。

「物理でこじ開けるまでだッ!」

 鋼鉄の軋む悲鳴。

 数トンの圧力に耐えるはずの防爆扉の油圧シリンダーが、信長の規格外の腕力によって物理的に破壊され、重々しい音を立てて開いた。

「……論理もへったくれもないわね、本当に」

 呆れるアルテアに、信長は獣のように笑って見せた。

「俺は科学者じゃねえ、歩兵だからな。ハイテクが死んだら、アナログ(暴力)の出番だ」

     *

 信長が扉を蹴り開けた瞬間、基地のスピーカーから、不快なハウリング音が鳴り響いた。

 ノイズが収まり、聞こえてきたのは、酷く芝居がかった男の声。

『——ああ、マイクのテスト中。聞こえますかな、哀れな科学の信奉者たちよ』

 魔人ギアン。

 死蟲軍の指揮官が、乗っ取った基地の放送設備を通じて、甘く、冷酷な声を響かせる。

『我が名はギアン。世界を正しく【整理】するための、ささやかな舞台監督です。あなた方の優秀な「電子のアリス」は、どうやら眠りについてしまったようだ。……おかげで、最高の舞台装置タンカーと、極上の劇場(基地)が手に入りました』

 通路の奥で、無人の自動警戒ドローンが赤いレンズを光らせ、信長たちへ向けてアサルトライフルの銃口を向ける。

 基地の防衛システムが、完全に「敵」の手へ落ちた。

『さあ、開演のベルを鳴らしましょう。《ハムレット》も舌を巻く、極上の悲劇をね』

 通信が切れると同時、ドローンの銃口が火を噴いた。

 弾丸の雨。

 信長はアルテアの腕を掴み、猛烈な速度で物陰へと飛び込む。

 外では巨大なLNGタンカーが迫り、内では死蟲軍にシステムを乗っ取られた鉄の密室。

 天才・早乙女蘭のエンストが引き金となった絶望の連鎖の中で、信長はたった一人、異世界の狂気と自国の裏切った兵器群を相手に、血みどろのアナログ戦を強いられることとなる。

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