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EP 11

喜劇の生存者たち(SURVIVORS' COMEDY)

「あっ! あっちにも死にかけの悪い子たちがいる! 待っててね〜っ!」

 クレーターと化した戦場の中心で、キャルルはピョンと跳ねると、残像を残す速度で赤黒い泥の海——かつて防爆バンカーや指揮所があった場所——へと駆けていった。

 ズドォォン! バキィッ!

 遠くから、何かを力任せに殴り飛ばす鈍い音と、ウサギの少女の無邪気な笑い声が響いてくる。

 血の海から完全に無傷で蘇った坂上信長とアルテアは、その光景をただ呆然と見つめていた。

 やがて、土煙の向こうから、数十人の兵士たちがフラフラと歩いてきた。

 信長が『見捨てた』黒色小隊の残存兵たち。そして、アルテアが『囮にした』獣人部隊の兵士たちだ。

 彼らは全員、蟲の強酸で皮膚を焼かれ、命を落とす寸前だった。

 だが今は、キャルルの理不尽な暴行フルヒールを受け、服はボロボロだが傷一つない健康体となっている。両陣営の兵士たちは、殺し合う気力すら完全に削がれ、ただ戸惑ったように自陣の指揮官を見つめていた。

「隊長……」

 黒色小隊の若い隊員が、信長の前に立ち、力なく呟いた。

「俺たち……見捨てられたんじゃ、なかったんですか」

 その目には、怒りすらない。ただ、絶対的な信頼を寄せていた指揮官に「合理的なコスト」として命を切り捨てられたことへの、底知れない絶望と虚無だけがあった。

「…………」

 信長は、何も答えられなかった。完治したはずの胸の奥が、ギリギリと音を立てて軋む。

 もし彼らが予定通り死んでいれば、信長はそれを「国家を守るための尊い犠牲」として心の中で正当化し、自らを英雄の檻に閉じ込めることができた。

 だが、彼らは『生きて』いる。

 生き残ってしまった部下たちの前では、信長のあの悲壮な決断は、ただの「無慈悲な殺人未遂」でしかない。大義名分というメッキが完全に剥がれ落ち、信長の手には、誰の命も救えなかったという『冷酷な事実』だけが残された。

「……フフッ。滑稽ね。本当に、私たちはピエロだわ」

 隣で、アルテアが自嘲気味に笑った。

 彼女もまた、自らを慕う獣人の部下たちから、怯えと軽蔑の入り混じった視線を向けられていた。

 冷徹な独裁者として君臨し、盤面を支配したつもりだった。だが、たった一人の少女の「おせっかい」によって、彼女の覇道は根元からへし折られたのだ。

「みんなー! ちゃんと仲直りした? 飴ちゃん食べる?」

 キャルルが戻ってきて、ポケットから取り出したイチゴ味のドロップを信長とアルテアの手に無理やり握らせた。

「じゃあ、姉御はファミレスの朝定食に間に合わなくなるから帰るね! バイバ〜イ!」

 マッハの速度で飛び去っていくウサギの背中を、誰も止めることはできなかった。

 システムが機能不全に陥った泥濘の戦場で。信長は、甘いドロップを握りしめたまま、己の精神が完全に空洞化していくのをただ静かに受け入れていた。

     *

 同じ頃、東京・永田町の地下防音室。

「……やり口が、鮮やかすぎる。到底『魔族の気まぐれ』だけで説明がつく動きやないで」

 若林幹事長は、モニターに映るルナミス帝国の経済チャートを睨みつけながら、苛立ちに任せてピースを灰皿に押し付けた。

 日本経済への致命傷は、数万の企業倒産という犠牲(トカゲの尻尾切り)によって辛うじて防いだ。だが、それはあくまで「防御」だ。

 若林が仕掛けた空売りのトラップを完璧に読み切り、インフレの底で帝国の実体経済(インフラと不動産)を根こそぎ奪い取った【第三の資本】が存在する。

 通信モニターの向こうで、ゴルド商会のニャングルが、忌々しそうに顔を歪めた。

『……若林はん。ワイらの負けや。トンビに油揚げを攫われたで』

「トンビ? 誰です。こんな緻密で、かつ暴力的な算盤を弾ける化け物は」

『……ポポロ村の財務担当、力武政宗や。元はそっち(地球)の人間らしいで』

 モニターが切り替わり、ラフな格好で赤マルを咥えた若い男の映像が映し出された。

『よォ、日本政府の狸ジジイと、金の亡者の化け猫さん。あんたらの派手な喧嘩のおかげで、市場がバグって助かったぜ。タダ同然で帝国の食糧庫を買い叩けた』

 政宗は、コンビニのツナマヨおにぎりを齧りながら、挑発的に笑った。

「……力武、と言いましたか。君ほどの男が、なぜあんな緩衝地帯の小さな村で燻っている。国家予算規模の利益を手にして、何を企んでいる?」

 若林が、獲物を値踏みするような冷たい声で問う。

『企み? あぁ、重大な目的があるぜ』

 政宗は真顔になり、カメラに向かって言い放った。

『ウチの村長が、明日の朝食に「目玉焼きとソーセージのセット」を追加しろってうるせぇんだよ。そのためには、帝国のファミレス・チェーンの経営権と、物流網を丸ごと掌握するのが一番手っ取り早くて確実だからな。それだけだ』

「…………は?」

 若林とニャングルは、同時に絶句した。

 国家の覇権。資本の独占。

 そんな大層なもののために、彼らは胃に穴を開けて神経をすり減らし、自国民の血を流してきた。

 だが、この目の前の男は、たった一人の少女の『明日の朝ごはん』を豪華にするという、極限まで個人的で非合理な愛情のために、国家レベルの経済戦争を片手間で制圧したのだ。

『合理だの国益だの、高尚な言い訳で自分を騙してるから、足元をすくわれるんだよ。じゃあな、負け犬のオッサンども。俺はこれから村長の肩揉みがあるんで忙しいんだ』

 プツン、と通信が切れる。

 防音室には、重苦しい沈黙だけが残された。

「……狂っとる。ワイらの知恵比べは、ただの道化の踊りやったというわけか」

 若林は、崩れ落ちるように革張りの椅子に背中を預けた。

 勝負依存の熱狂が、一瞬にして冷え切っていく。彼が賭けていた「国家という名の最高額のチップ」は、ポポロ村の少女の朝食のオカズ以下の価値しか持っていなかったのだ。

     *

 マンルシア大陸の西の果て、暗黒の地下迷宮。

 魔人ギアンは、脈動する水晶体サルバロスの前で恭しく跪いていた。

「……王よ。Ver.3.0は、ポポロ村の特異点によって論理崩壊を引き起こしました」

 水晶体が、静かに明滅する。

 そこには怒りはない。ただ、無限の宇宙から新たなデータを収集したという、冷徹な分析結果だけが浮かび上がっていた。

『事象ヲ解析。人類オヨビ獣人ハ、自ラノ行動ヲ【合理的】ト錯覚シテイルガ、ソノ根源ニハ常ニ【非合理的ナ欲望(執着、勝負、愛情)】ガ存在スル』

 サルバロスの計算式が、書き換えられていく。

 人間たちは、自分の罪を隠すために「合理」という殻を被っていた。だが、その殻が剥がれた今、彼らの中に残っているのは、剥き出しの狂気と執着だけだ。

「いかにも。彼らの強みであった理性の盾は、すでに内側から腐り落ちています」

 ギアンが、仮面の奥で冷酷に嗤う。

『フェーズ・シフト。最適解ノ強制(Ver.3.0)ヲ放棄。次期モデル(Ver.4.0)ハ、対象ノ【非合理ナ欲望】ソノモノヲ肥大化サセ、自壊ニ導ク設計トスル』

 深淵の設計図が、次なるステージへと書き換えられた。

 戦場でも、経済でも、日本はすべてにおいて「生存(勝利)」した。

 だが、信長は部下への言い訳を失い、若林は勝負の価値を失い、蘭は人間性を失った。

 空っぽの玉座に座るピエロたち。

 彼らの心の隙間バグを喰い破るための、最も恐ろしい『欲望の侵略』の足音が、静かに響き始めていた。

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