EP 10
空洞の玉座と満月の破壊者(IRRATIONAL LOVE)
肉を断つ、鈍い音が二つ重なった。
酸の雨が降り注ぐ泥濘の中。
坂上信長のタクティカル・ナイフが、アルテアの白銀の胸当ての隙間を縫って脇腹に深々と突き刺さり、同時にアルテアの細剣が、信長の左胸、心臓をわずかに逸れた肺を貫通していた。
「……ガハッ……!」
「あ……ァ……ッ!」
致命傷。
二人は血を吐きながら、もつれ合うようにして崩れ落ち、泥の中に倒れ伏した。
激痛に霞む視界で、信長は空を見上げた。
勝った。敵の指揮官の戦闘力を奪った。軍事的な「正解」としては完璧だ。
だが、その背後で、部下たちが立て籠もっていた防爆バンカーは、すでに蟲の酸によって跡形もなく溶解し、赤黒い泥の海と化していた。人の形を残したものは、もう一つもない。
「……アハハ……ッ、ケホッ……」
隣で血の海に沈むアルテアが、喉の奥で血を泡立てながら、狂ったように笑い始めた。
「……見た、信長? これが、私たちが選び取った『合理』の姿よ……」
彼女の部下たちがいた指揮所もまた、完全に消滅していた。
二人は、味方の命をすべて「勝利のためのコスト」として支払い切ったのだ。
「私たちは正しい。正しいから……最後に残るのは、こんな何もない、空っぽの玉座(死体の山)だけ……。ねえ、信長。あなたも、私と同じように……中身が空っぽになっちゃったわね……」
アルテアの銀色の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。それは悲しみではなく、己と同じ化け物を見つけたという、歪みきった歓喜の涙だった。
「……ちが、う。俺は……」
信長は、口から血を溢れさせながら、泥に塗れた手を伸ばした。
違う。俺は国を守るために。俺の決断は、正しかったはずだ。
だが、守るべき部下をすべて殺し、アイドルのライブの裏で使い捨てられ、最後に得たものが「敵との心中」だというのか。
(……俺は、何のために……誰のために、勝ったんだ……?)
信長の精神の根幹を支えていた『正しさへの強迫観念』が、粉々に砕け散った。
彼がすがりついていた合理主義は、彼から人間性を剥ぎ取った挙句、ただの無価値な肉塊としてこの戦場に放り出したのだ。
ザワザワ、ザワザワ……。
倒れ伏す二人の血の匂いを嗅ぎつけ、用済みとなった彼らを「有機資源」として回収するため、死蟲(Ver.3.0)の赤黒い壁がジリジリと迫ってくる。
深淵の設計者が、人間が自らの合理性で自滅する様を嘲笑うかのように。
万事休す。
信長とアルテアは、虚無の底でゆっくりと目を閉じ、静かに死(システムへの還元)を受け入れようとした。
——その時だった。
上空を厚く覆っていた蟲のガス雲が、強烈な気流によって、丸くポッカリと吹き飛ばされた。
雲の切れ間から、煌々とした銀色の光が戦場に降り注ぐ。
月だ。
完全な、満月。
そして、その月の光を背負いながら、遥か上空から『何か』が落ちてきた。
「ヒャッハァァァァァッ!! 満月だァァァァッ!!」
鼓膜を破るような、脳天気で甲高い少女の絶叫。
次の瞬間。
ズドォォォォォォォンッ!!!
信長たちの目の前の地面に、隕石が直撃したかのような凄まじい轟音とクレーターが発生した。
マッハ1の速度から繰り出された、約33,750ジュールの運動エネルギーを伴う飛び蹴り——『流星脚』。
その規格外の衝撃波だけで、迫り来ていた数万匹の死蟲が、チリのように吹き飛ばされて消滅した。
「……は?」
死にかけていた信長の口から、間抜けな声が漏れた。
もうもうと立ち込める土煙の中から姿を現したのは、人参柄の刺繍が施されたラフなパーカーを着た、ウサギの耳を持つ小柄な少女。
マンルシア大陸の緩衝地帯『ポポロ村』の村長にして、元・近衛騎士隊長候補のキャルル(20)だった。
「だーっ! もう、どいつもこいつも! 血みどろになって殺し合っちゃってさぁ!」
キャルルは、両手に握ったダブルトンファーをクルクルと回しながら、泥だらけの信長とアルテアを見下ろした。
満月の光を浴びた彼女は、瞳孔がガンギマリになり、全身から圧倒的な『月光の闘気』を立ち昇らせている。
「アルテア先輩も、そこの地球人の男の子も! 若いのに『合理』だの『切り捨て』だの、お堅い理屈ばっかこねてっから、そんな空っぽになっちゃうんだよ!」
「キャ、ルル……? なぜ、あなたがここに……」
かつての部下の登場に、アルテアが呆然と呟く。
「ポポロ村の朝定食が美味しく食べられないような、泥臭い世界にするのは許さないからだよっ! ……さあ、悪い子たちには、姉御からアツ〜い『ヤキ(治療)』を入れてあげるッ!!」
ドンッ! と地面が爆ぜた。
満月によって身体能力のタガが外れたキャルルは、信長の眼球すら追いつかない速度で二人の懐に潜り込んだ。
「月影流・顎砕きッ!」
ゴアッ!
信長の顎に、闘気を纏ったキャルルの膝蹴りがクリーンヒットした。脳が揺れ、首の骨が軋むほどの圧倒的暴力。
「月影流・鐘打ちッ!」
さらに、アルテアの腹部に、特注の靴による重い回し蹴りがめり込む。
「が、はァッ……!?」
二人は血を噴き出しながら、文字通り宙を舞い、泥の中に勢いよく叩きつけられた。
……殺される。
信長がそう覚悟した、次の瞬間。
「え……?」
肺を貫通していたはずの致命傷の痛みが、跡形もなく消え去っていることに気づいた。
それどころか、左肩の古傷も、数日間の不眠不休の疲労も、細胞の隅々までが爆発的な生命力で満たされている。
アルテアも同じだった。彼女の脇腹の傷は完全に塞がり、肌には艶やかな血色が戻っていた。
「男の子も女の子も! 無理しちゃメッ、だよ〜☆」
キャルルが、トンファーを肩に担ぎながら、満面の笑みでウインクを飛ばした。
——殴る蹴るの暴行を加えながら、対象を【完全回復】させる。
それが、満月時のキャルルが引き起こす、極限の理不尽。
この『敵味方関係なく暴力を振るって回復させる』という論理破綻した行動の前に、戦場を支配していた死蟲(Ver.3.0)の『合理的選択を強制するアルゴリズム』は、完全にエラーを起こしてフリーズし、自壊(機能停止)を始めていた。
信長とアルテアは、健康そのものになった体で、呆然と地面に座り込んでいた。
命は救われた。
だが、彼らが血反吐を吐きながら下した『悲壮な決断』も、すべてを切り捨てて証明しようとした『冷酷な合理性』も。
ただ一人の少女の、底抜けに明るい「無償の愛(暴力)」の前に、ギャグのような茶番として完全に叩き潰されてしまったのだ。
「……俺の、あの覚悟は……。俺が捨てた、命の重さは……」
信長は、完治した自分の両手を見つめながら、虚脱したように呟いた。
アルテアもまた、完治した体を持て余し、覇道を折られたショックでポカンと口を開けている。
戦場に、平和が戻った。
だが、二人の怪物の心の中には、かつてないほどの「圧倒的な敗北感」だけが、冷たく刻み込まれていた。




