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EP 2

沈黙の螺旋と黒色小隊(ISOLATION)

 冷たい雨が打ち付ける、防衛省・市ヶ谷駐屯地の正門前。

 そこには、黒い傘を掲げた数百人の群衆が押し寄せていた。彼らの手には、雨に濡れたプラカードが握られている。

『人殺し部隊を解体しろ!』

『身内を見殺しにする自衛隊に、国は守れない!』

 横須賀駐屯地で起きた、100人の民間人見殺し事件。そして、昨日の「所属不明船」における隊員の犠牲。

 完全な情報統制が敷かれていたはずの作戦の断片が、遺族の悲痛な声と共に、何者か(意図的にリークした中国の張大使)の手によってSNSへ放流されていた。

 国民の怒りの矛先は、冷酷な決断を下し続ける現場指揮官——坂上信長一尉へ、一極集中で注がれていた。

 駐屯地内の薄暗い待機室。

 信長は、ブラウン管の荒い映像でそのニュースを無表情に見つめていた。

 左肩の痛みは引かない。だがそれ以上に、画面の向こうで泣き叫ぶ遺族の顔が、信長の脳髄に「お前は間違っている」という呪いを突き立ててくる。

「……連隊長。外のデモ、どんどん膨れ上がってます」

 生き残った数少ない部下の一人が、顔を強張らせて報告した。

「放っておけ。連中の怒りは最もだ」

 信長はテレビの電源を切り、暗闇の中で己の膝を強く握りしめた。

「俺は、マクロを守るために彼ら(ミクロ)を切り捨てた。恨まれるのは当然のコストだ。……だが、俺の判断は間違っていない。俺が選ばなければ、何百万人が死んでいたんだ」

 誰に向かって言っているのか。

 それは他でもない、信長自身に「正しさ」を強制し、崩壊しそうな精神を縛り付けるための狂迫観念だった。

     *

 その頃、群衆の怒号から遠く離れた、内閣情報調査室(内調)の地下アナライズ・ルーム。

 無数のモニターが発する青白い光の中、特命分析官・狗飼潤(44)は、淹れたてのコーヒーを啜りながら、SNSのタイムラインを滝のような速度でスクロールさせていた。

「『影響力の武器』第4章、社会的証明の原理。……人間は、他人が何を正しいと考えているか基準にして、物事を判断する。実に滑稽で、愛おしいバグだ」

 元大手新聞社の海外特派員である狗飼にとって、世論とは「自然発生する感情」ではなく、「後から設計デザインできる波」に過ぎない。

 背後のドアが開き、若林幹事長が静かに入ってきた。

「狗飼君。信長君へのバッシング、少々火力が強すぎやせんか。このまま彼を『人殺し』として吊るし上げられれば、我々は現場の最も鋭い牙を失うことになる」

「ご心配なく、若林先生。今、火を消す準備が整いました」

 狗飼はキーボードを叩き、一つのプログラムを走らせた。

「ノエル=ノイマンの『沈黙の螺旋』理論をご存知ですか。人は、自分の意見が少数派だと感じると、社会的孤立を恐れて口をつぐむ。……私は今から、信長一尉を叩いている連中を【マイノリティ(異端者)】に仕立て上げます」

 狗飼がエンターキーを叩いた瞬間、数十万のbotアカウントと、内調が飼っているインフルエンサーたちが、一斉に特定のナラティブ(物語)を拡散し始めた。

『信長を叩いているデモ隊は、実は外国の工作員が資金を出している!』

『身内を犠牲にしてまで国を守った彼こそ、真の愛国者だ。叩いている奴らは売国奴!』

『綺麗事で国が守れるか! 彼のような汚れダークヒーローが必要なんだ!』

 事実とフェイクを巧妙に織り交ぜた、圧倒的な情報量の暴力。

 「純粋な悲しみ」で声を上げていた遺族や一般市民たちの声は、あっという間に「過激な左翼」「外国の工作員」というレッテルを貼られ、インターネットの濁流に飲み込まれていった。

「……えげつない男やで、君も」

 若林がピースの煙を吐き出しながら、モニターで逆転していく世論を見て笑った。

「真実などどうでもいいのです。大衆は『心地よい勝ち馬』に乗りたいだけ。……これで信長一尉は、国民の沈黙によって承認された【神聖なる人殺し】の免罪符を得ました」

 狗飼は、冷たい目で自身の作り上げた『虚構の世論』を見下ろした。

     *

 数時間後。

 待機室のドアが開き、防衛省の特使が現れた。彼の手には、新しい部隊章と、階級章のない漆黒の軍服があった。

「坂上一尉。上層部からの決定だ。君たち第1普通科連隊の残存部隊は、本日をもって公式の記録から抹消される。……以降は、超法規的措置を実行する独立遊撃部隊『黒色小隊ブラック・オプス』として行動しろ」

 特使の言葉に、部下たちがどよめく。

 それは、国から「存在しない日陰者」として生きろという宣告だった。

 だが、同時に特使は一枚のタブレットを信長に見せた。そこには、狗飼によって操作され、「信長を支持する(正確には、批判者を攻撃する)」ネットの熱狂が映し出されていた。

「世論は君たちの『合理的な決断』を支持している。胸を張れ、英雄」

 特使が去った後、信長は漆黒の軍服を手に取り、低く、獣のように笑った。

 支持されている? 英雄?

 ……違う。これは、ただの『隔離』だ。

 国は、俺の冷酷さを必要悪として利用するために、俺たちを「見えない箱」の中に閉じ込めたのだ。俺たちが流す血も、俺たちが切り捨てる命も、もう誰の目にも触れない。

「……連隊長。俺たち、これからどうなるんですか」

 不安げな部下の声。

「聞くまでもないだろう」

 信長は、黒いジャケットを身に纏い、真っ直ぐに部下たちを見据えた。

 その瞳から、もう「迷い」は完全に消え去っていた。残っているのは、自らの正しさを狂信的に証明しようとする、どす黒い炎だけ。

「俺たちは、合理の剣だ。国民の拍手も、理解もいらない。ただ、この国が存続するという【結果】だけを叩き出す」

 信長は、腰のタクティカル・ナイフを鞘に収めた。

 世論の「沈黙」という分厚い壁に守られながら、彼は人間社会から完全に切り離された。守るべきはずの国民との絆を失い、ただ「正しさ」という呪いに縛られただけの殺人機械。

 情報操作による、政治的勝利(部隊の存続)。

 だがそれは、坂上信長という人間の、決定的な魂の敗北(損失)を意味していた。

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