EP 15
序章の終わり、設計図の開示(SELECTION)
横須賀駐屯地、地下の特別解析室。
低血糖の昏睡から丸一日ぶりに目覚めた早乙女蘭は、点滴の針を乱暴に引き抜き、山積みのドーナツには目もくれず、コンソールの前に齧り付いていた。
分厚い防弾ガラスの向こうには、信長が叩き斬り、焼却されたはずの『死寄生蟲』の黒焦げの残骸がある。
蘭は、その残骸の神経網に直接プローブを突き刺し、サルバロスの「論理」をハッキングしようと試みていた。
「……おかしいわ。これ、ただの生物の死骸じゃない」
ディスプレイに滝のように流れる緑色のコード。
それは、生物的な突然変異の痕跡(DNA)ではなく、あまりにも整然とパッケージングされた『バイナリデータ』だった。
蘭の指が震え始める。
パスワードすら掛けられていない、剥き出しのデータフォルダ。そこに記録されていたのは、この数日間の「日本のすべての戦歴」だった。
『File_01: S.Nobunaga_CQC_Log』
——信長の北辰一刀流の剣筋、筋肉の収縮率、闘気の波長に対する物理的耐久力の限界値。
『File_02: Y.Wakabayashi_Bio_Data』
——監視カメラ越しに取得された、若林幹事長の交渉時の脈拍、声紋、微細な発汗パターン。
『File_03: R.Saotome_Algorithm』
——蘭が放った暗号解読の思考ルーチン。防御壁を構築する際の、わずか0.1秒のタイピングの「癖」。
「……嘘でしょ」
蘭は、血の気が引いた顔でモニターを凝視した。
「これ、戦闘データ(ログ)じゃない。……私たちの能力を『要素分解』して、次のモデルに組み込むための【仕様書】だわ」
死蟲王サルバロスの恐怖は、無尽蔵の繁殖力などではない。
デカルトの『方法序説』を極限まで体現した、冷徹なまでの「解析と設計」の能力。この数日間の戦いは、日本が勝利したのではない。サルバロスが、現代兵器と日本の知性を測るための【耐久テスト(QA)】をわざと見逃していただけなのだ。
「私たちは……ただ、殺されるための『最適解』を、自分たちから敵に教えていただけ……ッ」
日本の頭脳である天才少女が、初めて「未知の論理」の前に完全な敗北感と恐怖を味わい、その場にへたり込んだ。
*
マンルシア大陸、西の果て。
光すら届かない巨大な地下迷宮『天魔窟』の最深部。
暗黒の空間の中央で、巨大な水晶体が脈動している。
その前で、左腕を失った道化師——魔人ギアンが、恭しく跪いていた。
『王よ。極東の島国より、極上のサンプリング・データを持ち帰りました。……彼らは神を持たぬがゆえに脆く、しかし同時に、底知れぬ狂気を孕んでおります』
ギアンの言葉に呼応するように、水晶体が淡く光り、虚空に文字が浮かび上がった。
それは、地球の言語に翻訳された、チャールズ・ダーウィンの『種の起源』の一節。
——『最も強い者が生き残るのではない。最も賢い者が生き延びるわけでもない。唯一生き残るのは、変化に対応できる者である』
「いかにも」
ギアンは、仮面の奥で冷酷に嗤った。
「彼らの『科学』の力、見事でした。ですが、進化を偶然に任せる生物とは違い、我々は【意図的に設計】できる。……信長の剣を予測し、蘭のハッキングを逆利用するバックドアを備えた『Ver.2.0』の生産ライン、すでに稼働しております」
水晶体が、満足げに明滅する。
「第1幕(武力の査定)は終了です。さて、第2幕は……」
ギアンは、残された右手の指先で、見えないコインを弾く仕草をした。
「100円ショップの帝国の経済を崩壊させる、『通貨寄生蟲』の投入といたしましょう。……笑う資本家と、冷徹な政治家が、自らの血に溺れる喜劇の幕開けです」
*
同じ夜。
東京湾を望む、立ち入り禁止の防波堤。
坂上信長は一人、コンクリートの縁に座り、漆黒の海を見つめていた。
左肩の痛みは、鎮痛剤で無理やり抑え込んでいる。ポケットの中には、アルテアから渡された『死の予約票』が、呪いのように重く冷たく収まっていた。
ビーッ、ビーッ。
手元の暗号化スマートフォンの振動。画面には「若林」の文字。
信長は、無表情のまま通話ボタンを押した。
『……信長君。生きとるか』
「ええ、なんとか」
『君の決断が、日本を救った。……あのまま基地が吹き飛んでいれば、我々は大陸への足掛かりを完全に失っていたやろう。100人の命を切り捨てた君の【罪】の土台の上に、今の日本の国益は立っとる』
若林の声は、どこまでも平坦で、冷酷だった。
慰めの言葉など一つもない。ただ、事実だけを述べている。
「……分かっています」
信長は、海風を受けながら、懐から親父が吸っていたのと同じ『ハイライト』の箱を取り出した。
「国を守るってのは、こういうことなんですね。……正義の味方じゃ、誰も救えない。手を血で染めたバケモノだけが、盤面に座ることを許される」
『……そういうことや。君もようやく、真一(親父)と同じ地獄に下りてきたな』
通話が切れる。
信長は、口に咥えたハイライトに、ジッポライターで火をつけた。
深く吸い込み、肺の奥を紫煙で満たす。
親父の背中が、なぜあんなにも冷たかったのか。
なぜ、泥を被る大人たちは、揃いも揃って本を読み、理屈で自分を武装しているのか。
……そうでもしなければ、狂ってしまいそうになるからだ。
「……上等だ」
信長は、煙を夜空へ吐き出した。
太平洋の地図は書き換わった。魔法と闘気、資本と陰謀、そして人類を選別しようとする冷徹なアーキテクト。
馬鹿が一人もいない、理詰めの殺し合い。
世界がどう変わろうと、俺は俺の戦場を制圧するだけだ。
信長が立ち上がり、血塗られたナイフの柄を握り直したところで、物語の最初のページが静かに閉じられた。
——『第一章 新秩序のゲーム・チェンジャー』 了。




