EP 14
毒に染まる門出(ATTACHMENT)
夜明け前の横須賀駐屯地。
冷たい潮風が吹き抜けるヘリポートで、レオンハート王国への帰還用として用意されたV22オスプレイのローターが、重々しいアイドリング音を響かせていた。
滑走路へと続く導線。
警備に立つ自衛官たちは、歩いてくる男に対して、誰一人としてまともな敬礼をしなかった。彼らの目に宿っているのは、明確な「軽蔑」と「憎悪」。
同胞を見殺しにして、敵の女を選んだ裏切り者。
坂上信長一尉は、その冷たい視線の刃を全身に浴びながらも、表情一つ変えずに歩を進めていた。負傷した左肩のギプスが、彼が背負った「国益という名の十字架」の重さを物語っている。
彼の数歩前を歩くのは、月兎族の第一王女・アルテア。
釈放され、元の凛々しい騎士装束を身に纏った彼女は、機体に乗り込む直前でふと足を止め、振り返った。
「……随分と、冷たい目で見られているのね。英雄殿」
「当然だ。俺は100人の味方より、お前という『国家機密』の生存を優先した。軍の論理としては正解でも、人間の心としてはただのバケモノだからな」
信長は、ポケットに手を突っ込んだまま淡々と答えた。
その虚無のような瞳に、アルテアは背筋が凍るような、そして下腹部が熱く疼くような、相反する強烈な感覚を覚えた。
アルテアは『方法序説』の理性の光で、この数日間の自分の感情を要素分解していた。
自分を捕らえた屈強な男。窮地を救ってくれた男。通常ならば、これは「恋」と定義される現象だ。
だが、違う。
彼が自分を選んだのは、愛情でもヒューマニズムでもない。「国益」という算盤を弾き、同胞の命を切り捨てるという【冷酷な計算】の結果だ。
アルテアは、ゆっくりと信長に歩み寄った。
彼女の銀色の髪が風に舞い、月の花のような異質な香りが信長の鼻腔を掠める。
「信長。勘違いしないで。私はあなたを許したわけでも、信頼したわけでもないわ」
アルテアの顔が、信長の耳元に近づく。
そして、その薄い唇から、猛毒のような囁きがこぼれ落ちた。
「あなたは、あの日、私を救うために同胞を平然と見捨てた。それは『愛』ではなく、私をただの『モノ』と見なした冷徹な計算。……そんな『人間の形をした化け物』を、私が愛するはずがない」
「なら、大人しく国に帰って、デカルトの続きでも読んでるんだな」
「ええ。帰るわ。……けれど——」
アルテアの艶やかな指先が、信長の胸ぐらを強く掴んだ。
見上げた彼女の銀色の瞳孔は、月兎族の【捕食者としての本能】で縦に細く収縮していた。
「——他の誰にも、あなたを殺させたくない」
それは、究極の執着。
「あなたという底知れぬ狂気を奪い、その高潔で冷酷な皮を剥いで、血の一滴まで啜り尽くすのは……他の誰でもない、私(月兎族)の牙でなければならない」
愛という生易しい言葉では括れない。
それは、自分と同等の知性と暴力を持つ「唯一の怪物」に対する、強烈な独占欲と殺意の入り混じったエロスだった。
アルテアは、信長の手を取ると、そこに小さな『ブローチ』を押し付けた。
彼女の銀色の髪の一部が編み込まれた、魔導通信石。
「それは、私からあなたへの『死の予約票』。私が本国で兵を整え、あなたが背負う『日本というシステム』を解体するその日まで……絶対に、誰にも殺されないで」
呪いのような宣戦布告。
だが、信長は押し付けられたブローチを乱暴にポケットにねじ込むと、牙を剥き出しにして、獰猛に笑った。
「上等だ。……次に会う時は、お前のその理屈っぽい脳ミソごと、大陸を丸呑みにしてやる。首を洗って待ってろ」
「ええ。楽しみにしているわ、私の……最高の敵」
アルテアは、最後に酷く美しく、そして残酷な微笑みを残し、オスプレイのタラップを駆け上がった。
ハッチが閉まり、強烈なダウンウォッシュと共に、機体が夜明けの空へと飛び立っていく。
風圧に耐えながら、信長は一人、滑走路に立ち尽くしていた。
ポケットの中のブローチが、まるで心臓のように微かな熱を放っている。
それは、通信手段であると同時に、彼女がいつでも信長の位置を捕捉できる【発信機】でもある。互いの首にナイフを当てたまま、薄氷の上で踊り続ける狂った関係。
空が、白み始めていた。
彼らが出会う前の、退屈で平和だった日本は、もうどこにもない。
信長は、自身の背にのしかかる100人の命の重みと、異世界の姫からの強烈な殺意を同時に背負いながら、血塗られた新世界の空を、ただ静かに見上げていた。




