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EP 11

【誤算】算盤の音が止まる時

 横須賀駐屯地が死蟲軍の奇襲と業火に焼かれた翌日。

 永田町、地下特設防音室。

 与党幹事長・若林幸隆は、大型モニターの前に座り、静かにピースの煙を燻らせていた。

 画面には、最高レベルの暗号化通信で繋がれた二人の男の顔が映し出されている。中国大使の張慶雲、そしてロシア大使のヴィクトル・オルロフ。

「……さて。両大使にお集まりいただいたのは他でもない。我が国のインフラに対する『忌まわしきテロ行為』の精算ですわ」

 若林が手元のタブレットを操作すると、画面に一つの生体データと、港湾の監視カメラ映像が展開された。

 黒焦げになった『死寄生蟲デッド・リーチ』の死骸。そして、それが運び込まれたロシアのダミー会社所有のコンテナと、「外交特権ディプロマティック・ポーチ」の承認スタンプ。

「我が国の天才エンジニアが昏睡する直前に、すべての通信ログを抜いておりましてね。……ロシアの関与は明白。中国の張大使、あなた方のサイバー攻撃が『目眩まし』に使われたことも証明できまっせ」

 張大使は微かに眉をひそめたが、ヴィクトルはボール紙のタバコ『ベロモルカナル』を咥えたまま、氷のように冷たい笑みを浮かべた。

「……素晴らしい諜報能力だ、ミスター・ワカバヤシ。だが、それがどうした? 国連で騒ぎ立てるか? 大陸の怪物を呼び込んだのはロシアだと」

「まさか」

 若林は『論語と算盤』をテーブルに置き、マキアヴェッリの冷徹さで微笑んだ。

「武力や制裁(論語)では飯は食えん。ここはビジネス(算盤)で手打ちにしましょうや。……ロシアには、今回のインフラ復旧費および慰謝料として、L-Pay(ルナミス帝国通貨)換算で『一兆円相当』の国家賠償を請求します。担保は、極東ロシアの天然ガスパイプラインの『日本向け無償供給権』。これで、テロの件は永遠に水に流す」

 完璧な盤面支配だった。

 ロシアの喉元にナイフを突きつけ、血を流させる代わりに「エネルギーの永久供給」という国益を抉り取る。ヴィクトルにとっても、国際社会からの孤立(全面制裁)を避けるためには、この借用書にサインするしかない。

 ヴィクトルは『カラマーゾフの兄弟』のイワンのごときニヒリズムで、ゆっくりと頷いた。

「……よかろう。我々の『負け』だ。一兆円相当のL-Pay国債を発行し、日本政府の口座へ振り込もう。担保のサインもする」

「賢明な判断ですわ」

 若林がピースの灰を落とし、勝利を確信した、その時だった。

『——チィィィン……』

 閉鎖されたはずの最高機密通信の回線に、突如として「金貨を弾く音」が響き渡った。

 画面が三分割され、新たに現れたのは、純金の煙管キセルを咥え、猫耳をピクピクと揺らす豪奢な男。

「いやー、見事な商談やねェ、若林はん。せやけど、その『算盤』、ちょっと弾き間違いがおまへんか?」

 ゴルド商会会長、ニャングル。

 若林の右腕が、ピタリと止まる。

「ニャングル会長。これは国家間の……」

「若林はん。アンタ、ワイと結んだ『L-Payの決済独占条約』の約款、隅から隅まで読みましたか?」

 ニャングルの縦に細い瞳孔が、画面越しに若林を射抜いた。

「ロシアはんが今、アンタの口座に振り込んだ『一兆円のL-Pay国債』。……実はな、ロシアはんは昨日、ウチの商会からシベリアの魔石鉱山を担保に『二兆円』借金しとるんや」

「……何?」

「つまり、今のロシアはんはL-Payの決済枠が完全に『債務超過パンク』状態。そんなブラックな相手から、アンタは一兆円の振り込みを『受け取ってしもうた』」

 ニャングルは、カラカラと喉の奥で笑った。

 それは『ヴェニスの商人』のシャイロックが、肉一ポンドを切り取るナイフを研ぐ音だった。

「条約の第4項。『L-Payによる国家間決済において、送金側が不渡りを出した場合、その決済の信用保証は【受取側】が肩代わりする』。……つまりや」

 ニャングルが煙管を画面に向ける。

「ロシアはんの借金(一兆円)は、ワイのネットワークを通った瞬間に不渡りになった。せやから、ルールに則って、受取人である『日本国』が、ワイにその一兆円を払う義務が生じたっちゅうわけや。あ、日利20%の『緊急ボラティリティ金利』も乗っかるで?」

「な……ッ」

 若林の指から、ピースが滑り落ちた。

 テーブルに落ちたタバコが、ジューッと音を立てて焦げ跡を作る。

 ヴィクトルの『マスキロフカ(偽装)』。

 ロシアは最初から、一兆円を払う気などなかった。わざと「不渡りになる毒入りの手形」を日本に渡し、日本の金融システムをゴルド商会の債務の沼へと突き落としたのだ。

 そしてニャングルは、それを知っていながら、日本から巨額の利息(合法的な搾取)を吸い上げるために、この商談が成立する「コンマ一秒」まで沈黙していた。

「……ハメたな、ヴィクトル。そして、ニャングル会長……」

「人聞きの悪いこと言わんといてえな」

 ニャングルは『反脆弱性』の哲学を体現する、最強の資本家の顔で嗤った。

「ワイはルール通りに商売しとるだけや。……さあ、若林はん。明日の朝までに一兆と二千億円、耳を揃えて払ってもらいまっせ。払えんのなら、日本のインフラとタロウマートの利権、ワイが全部差し押さえるで?」

 画面の向こうで、張大使が静かにコーヒーを啜り、ヴィクトルがベロモルカナルの煙を吐く。

 大国と異世界の資本が結託した、完璧な「殺戮ディール」。

 日本の裏ボス政治家・若林幸隆の算盤の音が、完全に停止した瞬間だった。

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