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9 ぷかぷか


 港でクラスメイトの遺体が上がったと、ニュースで知った。

 三日前から登校していなかった。

 四日前の下校中、午後のゲリラ豪雨で増水した用水路に落ちて流されたらしい。

 朝から、クラスどころか学校中がその話題で溢れていたが、事故であったので特に全校集会があるでもなく、いつも通りの授業が行われた。

 ただ、告別式に参列するなら、午後の授業は休んでよいと言われたので、彼女も友人たちと連れ立って知らされた葬儀場に向かった。

 お焼香というのを見様見真似で順番に行ったが、棺の顔の部分にある小窓は閉じられたままで、ドラマで見たように最後のお別れに顔を見せてくれるということはなかった。

 正直、彼女には期待外れだったが、ちらちらと大人たちが囁き交わす声に耳を澄ませていると――どうやら、流された際に大きく傷つき、さらに夏の海を二、三日漂っていたことで、家族でも見るに堪えない状態になっているたらしい。棺の中に身体の全ての部分が揃っているとも言い切れないそうだ。

 それはそれで、なおさら気になった――あのクラスメイトが、どのような顔になったというのだ?

 彼女は、死んだクラスメイトが特に嫌いなわけではなかった。仲が良かったわけでもないので、むしろどんな生徒なのかよく知らなかった。

 学業成績は上の中、生徒会で図書役員をクラブ活動で文芸部に所属――取り立てて美人ではなく、体型としてはぽっちゃりしていただろうか。そんなわけで、男子生徒に人気のあるわけでもない。日直も掃除当番もサボったりしないし――ひとまず、サボった者を教員に告げ口することもしない。

 いわゆる、真面目で地味な女子生徒だった。

「え? マジかよ……」

 帰宅してよいと言われたので、三々五々解散する――背後の男子生徒のざわめきは、授業に戻らなくてよいことへの歓喜とは異なっていた。


 まだ日が高かったので、港に行ってみた。

 埠頭と呼ばれるような大きな船の出入りする立派なものではない――四、五人が乗り込めば定員になる程度の漁船が十数台利用する、小さな漁港だ。ぐるりと細い堤防が伸び、外海の側に消波ブロックが積まれていて――時おり、そこに釣り人がいる。

 クラスメイトの遺体を見つけたのは、早朝にやってきた釣り人のグループであったという。

 遺体は、消波ブロックの足元に俯せに引っかかり、波に洗われていたそうだ。

 白いブラウスの背中が海面から出たり沈んだりしていて、水中に白い腕が揺れていた。

 そして――警察と消防に回収されたクラスメイトの遺体には、頭部がなかったらしい。

 今も見つかっていない……と、聞き込んできた男子生徒たちは、はしゃいでいた。

 普段の学校生活にはない、刺激的な話題だった。

 遺体がそれほど傷ついているなら、スクールバッグやその中身など、もはや海の藻屑かもしれない。

 堤防には、今日は釣り人はいなかった。

 代わりにひとり、小学生だろうか? 白い半袖シャツに膝丈の黒いボトム、白いハイソックス――遠目にも彼女の知ってる騒がしいだけの子供たちとは違うとわかる、育ちの良さそうな少年が、堤防の先で沖を見つめていた。

 白く細い腕があがり、ふらふらと左右に振られる。

 船にでも手を振っているものか、つられて沖を見るものの――船舶の影はない。

 夢見がちな少年は、ならば鳥に手を振っているのか……しかし、空を仰いでいる風には見えない。いくらか手前に少年の視線を探し――そして、ぷかぷかと波に上下する、それ(・・)を見つけてしまった。

 色からバレーボールを連想したが、もう少し大きい――青黒い波間に、白く丸いそれ(・・)は浮かんでいた。


 クラスメイトの顔だった。


 見つからなかった首が浮かんでいるのかと思う間に、それは向きを変え、穴が開いたかのように黒々と光を呑み込む眼窩が、彼女をとらえた――と感じた。

「お姉さん、あの人を知ってるひと?」

 鈴を転がすような声は、先ほどの少年のものか。

 応えることはもちろん、少年を振り向くこともできなかった。


 ばしゃっ……。


 足元の消波ブロックに砕ける波の音とは違う、海面がはじける音が確かに聞こえた。

 クライメイトの顔をした、大きな魚が跳び上がり、ぴちぴちと尾を振る。

 何度も何度も繰り返すのは、歓喜の表現なのだと思った。


 なにに、喜ぶって言うの……?


 彼女は、堤防を逃げ出した。



「あんな姿になって、なにを喜ぶの……」

 授業中に横の席からリレーされてきた消しゴムをそのまま、隣の窓から放っただけだ。

 廊下でホッケーのパック代わりにされてた上履きを階段に蹴り落としたのもその場の流れだった。

 四日前だって、クラスメイトとじゃれて(・・・・)いた友達から放られたノートを投げろと言われたから、脇の用水路に投げただけだ。

「わたしは、おかしなことしてないじゃない」



 ぱしゃん……ばしゃ……。


 自室でベッドに潜り込んで蹲っていても、聞こえるはずのなかった海水を弾く音が繰り返し、繰り返し。


 ばっしゃーん……。

 べしょり……べしょり……。


 やがて、布団の隙間から見張る室内が暗くなる頃――ひときわ大きく跳ねた音は、濡れた雑巾やモップを床にたたきつけるような音に変わった。

 暗いのは怖い。けれど、ベッドを下りるのが怖い。それに、電気をつけたらかえって見つかるのではないか。

それより、カーテンを開けたままではないか!


 べしょり……べしょり……。


 一定の間隔をもって繰り返される水気を帯びた音は、確実に近づいてくる。

 部屋のなかが丸見えになる――見つかってしまう。


 べしょり……べしょり……。


 べちょ……。


 部屋が一層暗くなるのは、窓をなにかが塞いだからだ。

 同時に、磯臭い臭いがした。


 ぺちょ、ぺちょ……ぺちょ、ぺちょ……。


 入り口を求めているのか、窓を壊そうとしているのか、それは短く執拗だった。

 耐えきれず、目を向ける。


 ぷかぷかと窓を舐めまわしているのは、クラスメイトの顔ではなく――ぎょろぎょろとした目玉が飛び出し、牙の並んだ口を開いた、図鑑で見る深海魚のような巨大な魚のようなものだった。


「あの人は、あの姿になって満足して行ってしまったんだ」

 堤防で聞いた、澄んだ高い声が聞こえた。

「これは、お姉さんが自分で呼んだんだよ」


 みしり……窓が、きしんだ。


「これは、歪に育つ魂が好きみたいだ」



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