23 探偵
妹が、身籠った。
未婚であり、特定の親しい異性もいた気配もなく、両親は驚き狼狽えたが――姉である彼女には、思い至りたくないが思うところがあった。
三歳年下の妹は、幼いころから彼女のすることを真似したがり、彼女のものを欲しがった。父は実業家、母はかつての銀幕スター、両親とも忙しい身であり――おかげで家は裕福であったこともあり、可能な限り姉妹を平等に扱おうと、物質面では常に同等のものを用意し、精神面では褒める際にはそれぞれを共に褒めるようにと心を砕いてくれていた。しかしながら、妹は自分こそが一番であることを強く望んでいたらしい。両親も周囲もただ姉をしたっているものと思っていたようだが、妹が同じ習い事をしたり同じものを持ちたがるのは、実のところそうやって比較せざるえない状況を作ることで、自分の方が優れているとアピールするための手段だと、彼女は理解していた。
実際、妹の方が容姿に優れ、多才であろうと彼女も思う。彼女自身は努力家を自負しているが、妹はいわゆる天才肌だった。彼女が努力して到達する地点は、妹にとっては余裕の地点であることも多い――にもかかわらず、妹にはむしろ、及ばずとも近しい成果を努力で勝ち得る彼女の存在そのものが許しがたいものであったらしい。
なにかにつけ彼女より優位であることに固執し誇示する妹は、彼女としても長じるごとに鬱陶しく煩わしさの増す存在でしかなかった。努力して手に入れるものは、彼女の当然の権利であり、褒められることこそあれ、妬まれるいわれはなかった。
それに世の中には、才能や努力ではどうにもならないことはある。
彼女は、やがて父の持つ会社の傘下にある企業に勤務するようになり、勤務先で出会った男性に交際を申し込まれ、お付き合いを経て結婚した。
他人の心は、才能はもちろん努力をしたとて左右できるものではない。
こればかりは、真似ることはできない――夫なる男性とふたり、両親に結婚の意思を報告した際、同席した妹は驚愕の表情のまま凍り付いた。
妹は自身の美貌に価値を見出し、妹に見惚れる視線を自慢にしていただけに――妹に興味を示さない、彼女だけを選んだ男性の存在は、屈辱であったものと思われた。
これに懲りて、彼女のいないどこかでお山の大将をしていてくれればいい。
正直を言えば、溜飲が下がった。
それから一年を待たず、妹が身籠った。
「このままでいいの?」
話しかけてきたのは、息を呑むほど綺麗な少年だったので――母の仕事関係者を招いたホームパーティーの最中であったかもしれない。
「知らないままで、いいの?」
なにを指しているのか……戸惑いもせずに直感した。
妹は、膨らんだ腹部をハイウェストのボリュームあるドレスで隠して、にこやかに来客の間を泳いでいる。あの時のこわばった表情はどこにもない、いつもの彼女に優位を覚え見せつける時の満足げな笑みを湛えて……。
「取られちゃうよ」
少年の真っ黒な瞳に正面から見つめられ、ふわりと眩暈を覚えた。
高速道路を法定速度を大幅に超過して疾走していた。
助手席に座らせた夫は、もう動かない。
ひとを使って調べさせれば、やはり妹の腹に宿った子供の父親は、彼女の夫だった。
妹は、彼女の夫を前後不覚になるほど酒に酔わせて、無理矢理関係を結んだ――妹の妊娠期間と前後の状況から、間違いなく思われた。彼女が仕事で不在の折りのことだった。
死ねばいいと思った……。
それまでならば、彼女のいない世界で生きて行ってくれたならいい……思うこともあったが、もう限界だった。
死んでしまえ……。
はっきりと自覚する殺意だった。
夫は、彼女が選んだのではなく彼女を選んだ男性だった――だからこそ、結婚した。
妹には、決して得られない存在だったから。
ただ、彼女と夫の間にはまだ子供は授からなかった。
それを妹は奪った。
どこまで邪魔をするのだと……怒りで目の前が真っ赤になると感じたとたん、しかし突然、咽喉が詰まった。
彼女の周りには誰もいない、なにもない――にもかかわらず、誰かの手が彼女の首を締め上げようとしていた。
もがき、かろうじて振りほどく。
異変を聞きつけ、部屋に駆け込んできた夫が、顔色を失くす。
促されて鏡を見れば、彼女の咽喉にくっきりと十本の指のそれぞれ喰い込んだあとが浮かんでいた。
おそるおそる自らの手を触れてみれば、大きさやバランスは女の手だった。
妹に違いない――。
思い至ると同時に、考えるより早く夫を引き倒して馬乗りになり、首に手を伸ばしていた。
彼女自身、自分のどこにひとりの男性を抑え込めるほどの力があったのかわからない。それでも、突き出た咽喉仏に親指を重ね、肩から体重を乗せて圧し潰した。
組み敷いた身体が幾度か跳ねたが、赤いあぶくを口から溢れさせた夫が動かなくなるまで、そう時間はかからなかった。
これで、妹は彼女の夫を手に入れることはできなくなった――。
「何でもお前のものだと思ったら、大間違いよ。思い知るといいわ」
重い身体をガレージまで引きずり、車の助手席に座らせた。
遺体にさえ、触れさせるつもりはなかった。
夜の中へ車を走らせる。
渡さない……渡すものか!
どこをどう走ったのか、もうわからない。
車は、街中ではなく等間隔にオレンジ色の道路照明灯が並ぶ――高速道路を定められた速度を大幅に超過しながら走行していた。
ともかく、どこか遠いところへ行きたかった。
妹の手の出せないところへ、行きたかった。
「……っ!」
悲鳴も上がらなかったのは、それより早く咽喉が締めつけられたせいだった。
背後から伸ばされた手が、彼女の首を掴まえていた。
細い指が、皮膚に喰い込む。
バックミラーには、後部シートにわだかまる黒い影が映っていた。
そこから白い腕が伸び、彼女の首を圧し折らんばかりに締め上げていた。
ただの闇のような黒い影に一対の目が開き、ほんの一瞬、鏡越しに視線が絡んだ。
彼女の目が極限まで見開かれたのは、驚愕のためだったが、次に瞬きをすることはもうなかった。
闇の中に見えた目は、確かに彼女自身のものであったと、誰かに伝えることももう無理だった。
間もなく、分離帯に衝突し前半分が消失するほど潰れた乗用車が、夜空に高く炎をあげていた。




