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17 空蝉


 自分はからっぽだと、彼女は思った。

 親の言うことを聞くものだと教えられて育った。今の時代、義務教育でなくとも高校までは行くものとして扱われたあと、女にはそれで充分だと親の伝手で仕事に就き、親戚の持ってきた見合い話で結婚した。それが、女の幸せであるらしかった。

 子供を産むことが女の喜びであると、急かされながら子供をもうけた。数年経ってやっと長女をまた数年して次女を産んで溜め息を吐かれ、少し離れてできた三人目が男であった時には喜ばれた。長男の育児には、両親義両親共にやたらと関心を持ち口を出し、母乳を与える時以外は彼女の手は必要とされないほどだった。

 長女は、かいがいしく長男の世話を焼いた。よくできた子だと彼女の夫は、長男の次に長女を可愛がった。

 次女は、いつのころからか反抗的になり、高校在学中に父親のわからぬ子を身籠り、出奔した。彼女の育て方が悪かったのだと叱られた。

 そうなのかと落ち込んだが、ほどなく彼女と夫双方の両親が順番に介護を必要とするようになり、世話に追われた。一時は、家で認知症の進む夫の父の面倒を見ながら、病院に入院している夫の母の身の回りの用を引き受け、受け入れ人数の関係で別々の施設に入った実の両親を交互に見舞い――気付けば一日が暮れているような日々を過ごしていた。

 それも嫁の仕事だと言われ続けた。

 舅姑が相次いで他界し、ようやく落ち着いて家族に目を向け直せば、長女は彼女が長女を生んだ年齢に達していた。彼女自身の頃とはまた時代が変わっているので、そのあたりが適齢期だろうか? 娘を嫁がせるのもまた、母としての役目であろう。

 思う矢先に、長女が首を括った。

 夫と長男が罵り合いをはじめ、長女の自死の原因に思い至った。

 母として至らなかったことを長女に申し訳なく思ったと同時に、この家での彼女の存在意義は子供を得る道具であり、年老いた親たちの世話係であったのかと、ぽっかりと胸だか腹だかに穴が開いたような気分になった。

 女の幸せ、女の喜びとは……?

 気が付くと、暗い河原沿いの道をひとり歩いていた。


 教えられたまま、与えられるまま……自分はからっぽだったと、彼女は思った。

 これまで、なにに高揚し、なにが嬉しかっただろうか……?

 思い出せなかった。


 からり……。

 からからからり……。


 軽く短く、涼しげな音がした。

 遠くはなく、思いがけず近い音だった。


 からからから……。

 からころからりん……。


 ひとつではなく、追いかけ合うように音は重なり、主張しあう。

 耳を澄まし、音を探して見遣れば、河原に提灯を点した屋台がひとつ。

 荷台に組み上げられた格子に、ひらりひらりきらりきらりと揺れているのは、ガラス製の風鈴のようだ。

 こんな時間のこんなところに……不思議ではあったが、不審とは感じなかった。


 からんかららん……。


 からりと乾いた音は、からっぽの自分の身体が奏でる音のように思った。

 ひらひらと翻るポリプロピレン制の短冊と、提灯に照らされたつるりとした外身が、綺麗だった。


 あぁ、わたしも風鈴ならよかった……。


 風鈴なら、中身がなくても望まれるし、役に立つではないか――。

 ふらふらと、河原の方へ足が向く。

「行ってはいけない」

 しかし、久しく呼ばれていない名を呼ばれるに似た響きを孕んだ声が、彼女を引き留めた。

 振り向くと、いつの間に現れたのか……若い男が、すぐ隣に立っていた。

「あれは、あんたの虚しさに付け込んで、魂を奪うものだ」

 青年は、そこにいて彼女に話しかけているはずなのに、どこか茫洋とした印象がぬぐえなかった。彼女を見遣る瞳に光はあるが、語りかける表情に起伏が見て取れないせいだろうか。

「あなたは……?」

「俺のことはいい――あんたは、家族のもとに帰るんだ」

 当然の誰何は、一蹴された。

 けれども……。

「家族……いいえ。わたしに、家族はもういません」

 さして大きくもない古いだけの建物の中で言い争っていた()たちのことは、『家族』とは言わないと思った。

 からっぽなうえに、ひとりぼっちなのだと――とたんに、寂しくなった。

「本当に?」

 青年の瞳に翳りが差し、それが少し慰めに感じた。

「けど、あんたは……まだ、自分を捨てられないように見える」

 それは、捨てるほどの自分がないからだろう……彼女は自覚し、悲しくなり同時になんだか悔しいような気がした。


 わたしは、わたしを生きてこなかった……。


 少しでいいから自分が欲しいと、そんなことを初めて願った。

 それらは、ほんのりと――腹に積もるように感じた。

「このまま、()には帰らないで、家族(・・)を探してみればいい」

 労わりを込めた溜め息というものもあるらしい……青年の溜め息が、それだった。


 次女に会おうと思った。

 きっと、すさまじく(なじ)られるだろうが、それは彼女が受け取るべき彼女のもの(・・・・・)なのだ。

 それを手に入れたい。


 もう、風鈴の音は聞こえなかった。



 数日後、親子とみられる成人の遺体が発見され報道されたが、彼女がそれを知ることはなかった。



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