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12 色水


「おや、綺麗だねぇ。これは、どうやって咲かすんだね?」

 店先に飾った薔薇に足を止めた和装の老人は、感嘆の声をあげ、次いで彼と目が合うと、さも嬉しそうに微笑んだ。

 それぞれ小さなブーケにまとめた薔薇は、紅白青黄、ピンクに紫、ひとつの花に二色三色あるいは虹色をひしめかせている。花におよそ興味がなかろうとも、さすがに天然に咲くとは思うまい。

「それは、切り花に色水を吸わせて作るんです」

 いらっしゃいませ……彼は、水揚げ作業の手を止めて、思いのほか姿勢の良い老人の隣で共にカラフルな薔薇に目を向けた。面白がって購入してもらえれば御の字であるし、そうでなくとも単純に自分の仕事への賞賛は嬉しい。店には、先代からの付き合いのある問屋から仕入れる花の他に、色変わりの薔薇のように彼が自宅の温室で手ずから世話をした花も並んでいた。

「先月までは、カーネーションで作っていました」

 それは喜ばれたことだろうね……ゆったりとした口調で感心する総白髪の老人は、いかにも好々爺といった品と風情を持ち合わせていた。

『他にもなにか育てておいでかね?』

 にもかかわらず、ほんの一瞬――ぞくり…とした。


 そんな……気付かれているはずなどない。

 思いつく通りさえ、ないではないか……すっかり暗くなった温室で花々の生育を確認しながら、ふるふる…莫迦な考えを追い出すために彼は(かぶり)を振る。

 この温室は、今は彼以外の誰も知らない。先代に強く乞い、頼みに頼み込んで譲り受けた――いわゆる、秘密の花園だ。先代は、彼を招き入れてくれたが、先代から引き継いで以来、彼はまだ誰も招待したことはない。

 管理を引き受けたからには、そろそろ新しい客を迎えた方がいいのだろう。

 先代から育てていた花の蕾はふっくら膨らみ、じきに咲きそうだ。

 やはり、体力のある苗床から育てると、花も元気がいい。


 明日は、一本、レジ前に置いて客の反応を待ってみよう――。



「この花は? 売り物では、ないのですか?」

 翌日、レジ前の一輪挿しに活けた花に目を止めたのは、平均的な身長を有する彼をしておそらくほんのり見上げる程度に背の高い青年だった。

 落ち着いた物腰に、若干の憂いを感じさせる――なかなかのハンサムだった。惜しむらくは、造形のわりに華やかさを感じないところだろうか……伏し目がちに影を帯びた瞳に光は見えたが、総じて表情は茫洋として思われた。

「ええ。まだ、育てている最中で――見本に一本だけ」

 いらっしゃいませ……届け物の花束のリボンを手早く結び終え、レジを前に回り込む。

 先ほどまで、店頭の薔薇をとっくり見つめていた青年だ――贈り物を考えていたのかもしれないし、花に興味があるのかもしれない。


 上手くすれば、どちらかの(・・・・・)客になる。


「あなたが育てているのですか」

 花に注ぐ青年の視線に、熱を感じた。


 この青年なら――。


「専用の温室を持っていまして。よかったら、ご招待しましょう」

 今夜にでもいかがですか?……期待のあまり少々先走ってしまったかと思ったが、青年はわずかの間の後に、ありがたく…と諾を返した。



「ようこそ」

 古色を演出した鍵と鍵穴は先代の趣味だったが、ガラス張りの温室は先代の祖父が見栄えのためだけに専門家に作らせたものだと聞いている。先代の祖父母も母も園芸の趣味はなく、長く庭師に来客に見せるための適当な花を育てさせていたらしい。庭師の息子である先代の父が婿となり、温室の管理を任され、やがて先代も手伝うようになって間もなく――両祖父母も両親も相次いで亡くなり、先代ひとりの温室になったのだった。

 そして、その温室をまるごと――彼が受け継いだ。

「あなたが、僕にとって初めての招待客です」

 扉を引き開けると、温室内に閉じ込められていた空気が一気に襲い掛かってくる。

 背後の青年が、わずかに身を固くする気配がした。

 温室とは言え、陽射しで温めるだけでなく、空調の管理もしているが――やはり、臭いはこもってしまうものだ。

「中に入ってしまえば、すぐに慣れますよ」

 さぁ……青年の腕をとって招く。

 意外にも抵抗しない青年を引っ張って、端から順に先代の偉業を紹介した。

「ここは、お母さまだったそうです」

 それから、祖父、祖母、父の順だと、先代は説明してくれた。そのあたりは、今はもう花ではなく、数種類の苺が植わっている。

「それから、お付き合いのあった女性たち」

 一帯は既に個々の別はなく、たわわな蘭が咲き乱れていた。

「お店のお客様――いずれも女性だったそうです」

 こちらは、温室の半分ほどを占め、花の終わったカーネーションや薔薇や隅の方では鮮やかな葛の棚も見られた。

「それから……ここが、僕がひとりで一からお世話をしている――先代です」

 それは、他に比べれば小さな区画。ちょうど、成人男子がひとり横たわる程度のまだ十分に掘り跡も新しい盛り土を覆いこむように、ペチュニアが花を咲かせていた。

「あなたは、どんな花が好きですか?」

 そして彼は、満面に笑みを浮かべて青年を振り返った。


「あぁ、遅かったか……」


「は?」

 噛み合わない会話に、彼のこぼす疑問符。

 青年が、憂いを帯びた溜め息を吐く先――ぶるぶると、数多の花が震える。

「あの人が、あんたの魂に目を付けたからと、思ったんだが」

 ぼこり、ぼこり…可憐な花の根差す土壌が波立つ。

 青年は、ゆっくりと踵を返した。


「もう、あの人はここにはいない」


 青年が立ち去ると、温室に――彼の悲鳴が響いた。




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