11 蝶番
きぃ……。
蝶番が軋む。
それから十秒ほどの間を置いて――こんこん…二度、ノックの音。
返事を待たずにドアが開き、今日は、出汁の匂いがした。トレイには湯気の立つ丼が載っている。そばかうどんか、いずれ温かな麺類だろう。
おそらくは、今朝、空調が効きすぎていて寒いと言ったからだ。
少年は、部屋の中央の小さな丸テーブルの椅子におとなしく座る。
洋風のテーブルセットに、ほうれん草とかまぼこの添えられた卵とじうどんは不似合だったが、家庭の食事とは和洋中よくわからないありあわせ等、なんでもあるものだ。
「召し上がれ」
母親に促されて箸をとる。母親は、少年がごちそうさまを言うまで、向かいに座り、じっと少年を見つめていた。
少年は、ひと言で表して、美しかった。
抜けるように白い肌、細い首、なよやかに伸びた手足。
さらさらと癖のない黒髪、長い睫毛が影を落とす濡れたような黒目がちの目元、すんなり通った鼻筋と小さくまとまった唇。
十歳になるか否か、思春期の影さえまだ知らない――男でも女でもない美しさを持っていた。
母親は、うっとりと彼を眺め、食事のあとは隣の寝室の奥に続く風呂場へと彼を促した。
少年を裸にし、四肢に曇りひとつないことを確かめてから、ぬるめの湯を張ったバスタブに入らせ、手ずから髪や身体を洗い始める。
さすがに幼児ではないので、自分で洗うと訴えたこともあったが、とたんに顔色を蒼白に変えた母親が倒れそうになり、そのくらいは甘受することにした。
すっかり綺麗に洗いあげられ、身体を拭かれ髪を乾かされて、肌触りの良い清潔なパジャマを着せられる。
「夜更かししないで寝るのよ」
母親は、言い置いて――部屋を出て行った。
ドアが閉まり、十秒ほど経って、蝶番の軋む音がした。
部屋に窓はなかった。
丸テーブルが中央にあるリビングと、バスルームの備えられた寝室の二部屋だけが、少年の生かされる世界だった。
外部からの情報は、全て母親を通して伝えられる。真実か否かわからない。
菜の花が咲いた、梅雨が明けた、どんぐりが落ちていた、今日はとても寒い……季節の移ろいは、もう何度も聞かされた。
母親は、兄が死んだと言った。
「外はとても危険なの」
ここにいてちょうだい……あの日、母親は息子の膝にすがって泣いた。
きぃ……。
蝶番が軋む。
母親は気づいていないのだろうか。
蝶番のあげる耳障りな音に。
食事を運び風呂の世話をする自身の手が、以前より痩せていることに。
目尻や口元に皺が増え、髪に白いものが混じり始めていることに。
にもかかわらず、少年があの日のままの姿であることにも。
ばたばたばた……。
十を数える間もなく、入り乱れる複数人の足音。
「やめて。連れて行かないで……!」
「奥さん、落ち着いて……」
懇願する母親の声と、制止しようとする男の声。
他に、数人のものらしい男女のうめき声も聞こえた。
さらに、ドアを隔てたすぐそこで、今しがた制止しようとした男のものらしき悲鳴が上がる。
拍子に乱暴に開いたドアから、制服姿の警察官が転がりこみ、続いて赤く塗れる包丁を手に震える母親が駆け込んできた。
「あぁ。駄目よ……連れて行かせない」
おどおどと子供を探す母親の脇をすり抜け、少年は部屋を出た。
短い隠し廊下とその向こうには、複数の警官が腹や太ももを押さえて蹲っていた。
間もなく、母親の悲鳴が響き渡るだろう。
丸テーブルの足元に、黒く乾いて固まった大切な息子を見つけて。




