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始まりのとき


俺の声に、相手が反応した。


思っていた通りだったのでつい浮き足立ちそうになるが、ぐっと堪える。俺が自分を誰だか分からずに困っている、という弱味はまだ見せない方がいいだろう。久方ぶりに他人と交流できることに躍る心を抑えて、俺は平常を装って話しかけた。




【ああ、聞こえている。いつもメソメソ惨めったらしく泣きやがって、この胸糞の悪いクソガキが」



…しまった。何だ、今のは?

俺は、自分からおおよそ初対面の人間に対して使うとは思えないような悪辣な言葉が、意を介するより先にするりと口から出てしまったことに戸惑う。

ここまで言うつもりはなかったのに、何故か、つい…。一体"元々の俺"とは、どんなに品のない人間だったのだろうか。



しかし、内心焦る俺に対して返ってきたのは、予想もしない明るい声色だった。



「いつも、私の声が聞こえていたの!?ほんとう!?」



まるで、もしも今目の前にいたら瞳がキラキラと瑞々しく輝いていたのであろうことが容易に想像できるくらい、相手の声は弾んでいた。

確かにこいつはいつも、「誰か私の声を聞いて」などと、まるで誰にも声が届いていないかのように孤独を嘆いていたな。

久しぶりに会話ができて嬉しいのは、俺だけではないのかもしれない。



己との会話を相手が喜んでいる、という構図に少し気を良くした俺は、先程よりも柔らかい口調で話せるようになってきた。



【ああ、そうだ。お前の声は、いつも俺に届いている。おかげで退屈はしないさ。】




こいつは、俺が目覚めてから初めて俺の気分を良くしてくれた人間だ。元々俺は思案に忙しいので別に退屈などはしてないないが、まあ、少しくらい良い思いをさせてやってもいいだろう。だからわざとそう言ってやったのだ。




ところが、途端に返答は無くなった。




………は?なんだ?押し黙っているのか、それとも居なくなったのか。何も見えない俺には確認する術がない。


今までは気にもならなかったこの沈黙の世界が、突然シーーーーーーーーンという音を立てて、俺の肌に突き刺さる。

そうか。俺はこんなに静かな場所に居たのか。

先程まで話しをしていた相手がいたことで、俺はそいつがいなければ"独りきり"であるということを痛感させられた。



全く、実に不愉快だ。



俺がわざわざ優しい言葉をかけて、喜ばせるために嘘までついてやったというのに、何故こいつはそれを無下にするのか。

許せない許せない許せない許せない許せない。

俺を舐める奴は必ず、この手で───────……




「ヒッグ、………ぐすん…………………」




殺意で広げられて今にもはち切れそうになっていたこの胸を突然止めたのは、耳に飛び込んできた嗚咽だった。


泣いているのだ。一体何のために?


先ほどまでの憤りや殺意が嘘のように急速に萎んでいき、今度は頭いっぱいに疑問符が広がっていく。

何故?俺は別に泣かせようと思って言ったわけではないのに、どうしてこいつは泣いているんだ。

訳が分からず面食らってしまった俺は、そのまま口を閉ざした。

他人と話すのが久しぶりだからか、やりとりの仕方を忘れてしまったのだろうか。良かれと思って言った言葉が、相手を傷付けたようだ。

俺は相手を痛めつけることに何も感じない人間…であったような気がするが、何故か今は胸の奥に穴が空いたような感覚がする。まあ、穴といっても針穴くらいのものだが。



まるで俺らしくもなく狼狽えていると、再び相手の声がした。

ん?そもそも、俺らしく、とは一体何だったか…。





「本当に、本当に嬉しいです…。今までずっと、誰にも私の声は聞こえなくて、ひとりぼっちだと思っていたから………。私の声をいつも聞いていてくれる人がいたなんて、思いもしませんでした。本当に、とにかく嬉しくて、涙が…涙が止まらないんです。」




相手が嗚咽混じりに途切れ途切れに話す言葉を、俺は遮ることなく静かに聞いていた。

"俺が傷付けたから泣いているわけではなく、嬉しくて泣いている"という事実が、俺を温め始めた。

体感の温度は何も変わっていないはずなのに、先ほどまで穴が空いていたはずの胸が、今は薪をくべたようにぽかぽかと温まっているのだ。

不慣れなこの感情には戸惑うが、俺はまた平静を装って、声を出す。




【お前のことは知らないが、お前がよく泣いたり痛がったりする声はよく聞こえている。他者に自分の醜態を晒しているくせに、何がそんなに嬉しいのだ。】




他者から嬉しがられることはまずない俺は、初めて向けられたその感情に愉悦のようなものを感じていた。

俺の存在を、俺の行動を、こいつは本当に嬉しいと思っているのだろうか。確かめたい。

…しかし、俺の書き方はこれで良かったのだろうか。やはり、久しく他者と話していないことの弊害が大きいようだ。




俺の心配とは裏腹に、声の主はまた笑顔を滲ませたような声で返してくる。


「はい、嬉しいです。私の声は誰にも届かないはずだから、いつも苦しい時も辛い時も、どんなに叫んでも誰にも聞こえていないと思っていて悲しかったんです。それが実は誰かに届いていたと分かって、私は孤独ではなかったんだって分かりました。」



【どんなに叫んでも誰にも聞こえない、とは一体なんだ?俺にはこんなによく聞こえるのに。周りには誰も人間がいないのか?】




いつもそうだが、こいつはやけに「誰にも聞こえない」ということを強調したがる。

俺の耳にはこんなにはっきり届いているのに、何故他の奴らには聞こえていないと思っているのか。

やはり俺と同じでどこかに閉じ込められているのか?






そして、俺の疑問について、予想だにしない答えが返ってきたのである。





「いいえ、周りに人はいますが、私の声は届かないようになっているんです。声を奪う魔道具を付けておりますから。」




………………マドーグ?




全く聞き馴染みのない言葉に、理解に時間がかかる。



【マドーグとは、一体なんだ。】



分からない言葉について考えるより、聞いた方が早いだろう。




泣き止んで落ち着きを取り戻したらしい少女は、その幼さを微塵も感じさせないほど利発的に答えた。



「魔道具とは、魔力を原動力とする道具です。用途により、様々な魔道具があります。私に付けられている魔道具は、私の魔力を自動的に吸い上げて、私の声を外に出せなくする機能があるものです。

ですから、私はどれだけ叫ぼうとも、私が生きて魔力を供給し続けている限り、この声は誰にも届かないはずなのです。…………何故か、あなた様以外は。」



あなた様、つまり俺だ。



言いたいことは理解した。こいつは声を出しても他人に届かなくする力のある道具を付けている、ということだ。

そのマドーグというものは初めて聞いたが、人間が使う魔法のように、道具が魔法を使えるというものなのだろう。

俺は存在すら知らなかったが、貴族連中の間で出回っててもおかしくはないからな。



それにしても、引っかかるところがある。



【マドーグとやらは分かったが、そもそも何故お前はそんなものを付けているのだ?そんなに嫌なら外せばいいだろう】



馬鹿にしているつもりはなく、純粋に疑問なのだ。

幼いくせに流暢に喋るこいつは、恐らく阿呆ではないのだろう。それなのに、何故。



「この魔道具は、私が付けたものではないため、私には外すことはできないのです。契約済みの魔道具を外すのには、契約者本人が外すか、魔道具の許容量を超える量の魔力で破壊するかしかありませんが、どちらも叶いませんから……。」



淡々と話すようで、最後には悔しさや諦めが滲んでいることが、表情の見えない俺にも伝わった。



【契約者とは、一体誰なんだ?】



俺はいつしか、こいつに興味を持ち始めていた。

他人が目の前で魔獣に踏み潰されようとも、俺の魔法で消し飛ぼうとも、まるで道端の蟻を見たかのように興味を持たなかった、この俺が…。

相手の話を掘り下げて聞く、といういたく普通な人間としての会話ができていることに、俺は俺自身に驚いていた。




「この魔道具の契約者は………大神官様です。大神官様は、私のためを思って付けてくださいましたから、私ごときが外そうとすることすら本来烏滸がましいものですから。」




……大神官か。聞き覚えのある。

確かあいつらは、いつも俺の邪魔ばかりしていたはずだ。俺の話も聞かず、一方的に俺の非ばかりを声高に主張してきて、最後は俺に炭になるまで焼かれたあいつら…………



俺が知っている大神官は、今こいつから話に聞いている大神官とは全くの別人だろう。



何故なら奴は、俺が殺したからだ。




【たかが大神官がなんだというのだ。俺ならあんな奴らは一人残らず殺して、二度と邪魔な真似ができないようにしてやるがな。】



俺の乱暴な言葉対して、相手は少し焦ったように言葉を返してくる。



「そんなことを言ってはなりません!大神官様を始め、神官の皆様はこの国の人々が平穏に豊かに安静に暮らせますよう、厳しい修行に耐えながらお祈りしてくださっているのですから。」




せっかく良い案を出してやったのに、まるで咎めるような言い方をされたことに、少し苛立ってしまう。

じゃあ勝手にしやがれ、一生一人で泣いてろ とでも言ってやりたいところだが、そもそも相手はまだガキだ。

まるで大人のように小賢しい言葉を使ってはいるが、この声色からすると10歳にも満たないだろう。



【その魔道具が外せぬ事情があるというのは分かった。だがそもそも、何故そんなものを付けている?】




俺の疑問はもっともだろう。

ガキは静かな声で答えた。



「大神官様は、私の魔力を抑えるためだと仰っていました。」



【魔力を抑える?】



一体何故そのようなことを。

魔力とは、体力や知力のように、人それぞれ強さが違う。努力である程度まで伸ばすことはできるが、そもそも大半の人間は全くないに等しいはず。家系や生まれ持った才によって強い魔力を持つ者は、恵まれているとして人々から羨ましく思われるもののはずなのに。

その魔力をわざわざ抑えようとするなど、聞いたことがないし意味が分からない。

俺の困惑を感じ取ったのだろう、ガキは丁寧に答えた。



「はい。私の魔力は生まれつき、珍しいほどに膨大なのです。魔力は魔法として正しく使えば人々のためになりますが、私はまだ幼いために、魔力のコントロールが難しく………。もしも暴発すると周囲の人を傷つける可能性があるので、常に魔道具を付けて魔力を吸収させ続けてているのです。」








…………膨大な、魔力。






記憶の欠片が勝手に寄せ集められていき、一つの巨大な絵を作り始めた。





………………そうか、俺の人生だ。






先刻まで自分が何者かも分かっていなかったはずであるのに、いつの間にか俺は、こいつと話している内に、「神官」や「魔力」などの言葉についての情報を思い出していた。






そうだ。俺は、俺を疑ってきたあの醜い者どもを殺して殺して殺したはず。神官達だって殺した。もちろん大神官も。それなのに、見逃してしまった奴がいた先で、俺は………




そしてふと、俺は今、「かつては俺にも膨大な魔力があったこと」と「今の俺には全く魔力が感じられないこと」の二つの事実を認識し始めた。


何故俺は、魔力を失っている?







俺が黙って過去の記憶を少しずつ手探りで拾い集めていると、唐突に相手から終わりを告げられた。



「お話できて、とても嬉しかったです。今日はもう寝ますから…」




【ん?いや、待て。まだ聞きたいことが…】







「おやすみなさい、優しい妖精さん。」









…………………は?妖精さん?





ガキの声は、そこで途絶えた。



どうやら本当に眠ってしまったらしい。










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