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秘められた力

「いや、いい意味での『誤差』かもな……」

しばらくの間、信じられないものを見たというように頭を掻きむしっていた審査員の男は、やがて顔を上げ、真剣な目でハル様を見据えた。

「よし、決まりだな。あんたの歌子としての才能はバッチリだ。……だがな、普通、歌子が引き出せる魔力の効果ってのは『一つだけ』なんだよ。あんたの兄貴の情報にありゃ『魅了が浄化に変わった』なんてあったが、どうやらそうとも言い切れないらしい」

男の言葉に、私とハル様は息を呑んだ。男は手元にあったカゴを開け、一羽の鳥を放つ。鳥はフワリと羽ばたき――真っ直ぐにハル様の方へと飛び、彼が身構えて伸ばした腕の先へ、ちょこんと大人しく留まった。

「その山鳩、今日外で捕らえたばかりでね。さっきまで狂ったように暴れて興奮してたわけよ。それなのに、しれっと落ち着いて、あんたに一直線だ。……この状態、魅了の力が無くなったんじゃない。ハル、君の歌には『魔力が複数』含まれてる」

男は部屋の植物や水槽を指し示す。

「この部屋にあるものを見てみな。さっきまで枯れかけてた蔓に新しい新芽がついてる。水槽の水の透明度も、異常なほど増してる。極めつけは、この野鳩の懐きようだ。……魅了に鎮静、浄化。もしかすると、微弱だが『治癒』の力すら混ざってるんじゃないか? 他にも、俺の気づいていない力があるかも知れねぇ」

確かに、ハル様が歌う前とは明らかに部屋の生命力が変わっていた。

「複数持ち(マルチ)なのは分かった。だがな、こんな規格外の事実をそのまま公表してみろ。瞬く間に国中に知れ渡って、あんたを力ずくで囲い込もうとする危険な輩がごまんと出てくる。……そこでだ。力の公表は『一つ』に絞った方がいい。なんなら、書類上は『魔力無し』として公表してもいいくらいだ。この圧倒的な歌唱実力なら、魔力がなくたってオファーは腐るほど来る。……ハァ、君らを案じるあんたの兄貴の気持ちが、今になってようやく分かったよ」

どの魔力で登録するか、それともあえて魔力無しを選ぶか。私たちが思案していると、男は「そうだ」と何かを思いついたように、ニカッと不敵に笑った。

「どうせなら、2枚作っちまおうか。片方は無力、もう片方は浄化でな。……よし、これで決まりだ。複数持ちにはいろいろ大人の事情ってやつがあってなぁ。こっからは、まぁ俺に任せてくれや。損はさせないからよ。すぐ出来るから、そこの受付で依頼でも探して待ってな」

男はそう告げると、足早に部屋を出ていった。私たちは促されるまま、元の受付カウンターへと戻り、個別の窓口で現在募集中の依頼書を出してもらうことにした。

最初に対応してくれたお姉さんが、分厚い書類の束を抱えて戻ってくる。100件を優に超える依頼の中から、新人歌子にちょうどいい案件をいくつかピックアップして机に並べてくれた。

ハル様はそれを上から順に一度眺め、ふーんと不満げに鼻を鳴らす。

そっと横から覗き見ると、そこには『貴族の生誕祭』『お茶会でのBGM』『絵画の鑑賞会』『王立学園披露会』『中央音楽隊のメインボーカル』なんて華やかな文字が並んでいた。

ハル様にとって、過去のトラウマを刺激されないような、位置関係や依頼主の名前を睨みつけるハル様。

私はそんなハル様を「どこなら歌いやすいだろうか」と、少しばかり心配の視線で見つめてしまっていたらしい。ハル様は私の視線がうるさいとばかりに、鋭く振り返った。

「……お前はどう思う? 僕に、どこで歌ってほしい?」

「どこでも、ハル様の行きたい場所なら……」と言いかけ、私はハッとした。なぜ、それを私に聞くのだろう。

ぽかんと呆気に取られていると、ハル様は自分の意見を無視されたと思ったのか、あからさまに不機嫌そうに口をむすくれた。慌てて「どこにでも、私はお供しますよ」と伝えたが、一度損ねた機嫌は簡単には直らないようで、少々気まずい空気が流れる。

そこへ、タイミングよくあの審査員の男が戻ってきた。

「おっと、待たせたな。できたぜ、特製の登録証。……結局、プレートは1枚だけにした。一応、表面上は『魔力無し』と記載してある。だがな、この裏面のここを指で軽く擦ると……ほら、一時的に『魔力あり:浄化』って文字が浮き出る仕様にしといた。魅了にしても良かったんだが、多分こっちの方が今後の旅で使い勝手がいいだろうからな」

男から手渡されたのは、鈍く輝く銀色のプレートだった。

美しく刻まれたハル様の名。その表面にあしらわれた繊細な五線譜のデザインは、紛れもない『歌子』の証明だった。軽く小さく作られており、首から下げて携帯できるようになっている。

ハル様は受け取ったプレートの裏面を、さっそく指先で何度も物珍しそうに擦っている。その様子が少し可愛くて、私は胸を撫で下ろした。

「で、受ける依頼は決まったのか?」

男の問いに、ハル様は黙り込む。それを見た男は「そうか、まあ最初だしな。そうだなぁ……」と言って、束の中から一枚の依頼書を抜き出して見せてきた。それは、ある学校で歌を披露するという風変わりな依頼だった。

「この手の単発のやつが、最初はやりやすいんじゃないか? 『学園鑑賞会』。生徒の知見を広めるべく、定期的に歌や音楽、歌劇に舞踊、果ては座談会なんてものまで外部から呼んで開くらしい。そんでなぜか、今回は若い年齢の歌子を大歓迎しててね。同世代の輝く姿を見て切磋琢磨しろ、なんて高尚なコンセプトを謳ってる。まぁ、単発だし肩慣らしぐらいには丁度いいだろ。顔バレもしないしよ」

「……え?」

顔バレしない、という言葉に、私は思わず顔を上げて男を見上げた。

「あぁ、一応『仮面や被り物とかで顔を隠して参加すること』ってのが条件なんだ。依頼書には書いてないけどな。うちからも何人か過去に送り出したんだが、マスクさせられたり、照明を一切当てなかったり、妙な変装をさせられたりでさ。まぁ、演者が余計なプレッシャーを感じずに気楽に受けてもらうための、学園側の配慮ってやつだろ」

その言葉を聞いた瞬間、ハル様の瞳が前を向いた。

「――じゃあ、それやります」

「お、決まりか。話が早くて助かるぜ」

トントン拍子に話が進んでいく中、私はハル様の後ろから、こそっと小さな声で尋ねた。

「ハル様、本当に受けてしまって良いんですか?」

「……最初だし、なんでもいいだろ」

なんでもいい、と言うわりには、さっきまであれほど書類と睨み合って決めかねていたというのに。

それでも、これが私のあるじの、記念すべき初の依頼だ。それにモリテとして同行できることが、私は心から嬉しかった。今度は日陰の檻からではなく、一番近くで、彼の本当の歌声に立ち会えるのだから。

依頼の手続きを正式に終え、私たちは案内所を後にした。

賑やかな街並みへと歩き出していくハル様と私の背中を、建物の陰から見送る男。彼はぽりぽりと頭を掻きながら、ため息混じりに小さく呟いた。

「――これで、本当によかったんかねぇ、グレゴリーの旦那……」

男のその言葉の真意を知る者は、まだ誰もいなかった。

登録所の最高責任者である男が吐き出した、ため息混じりの呟き。

男は手元にある書類に目を落とした。そこには、たった今手続きを終えたハルの『歌子申請書の写し』が、ひっそりと一枚残されている。

男はそれをデスクの引き出しにしまい込みながら、小さく首を振った。

「はぁ、まったく悩ましいねぇ。あいつの兄貴は、すべてを分かっててこの依頼をハルに進めたのか? それとも……この依頼が、あいつのいい経験にでもなると踏んだのかね」

独りごちながら、男は先ほどまでハルが歌っていた試験会場の片付けを始めた。

カゴの鳥を外の空へと放ち、水槽の魚たちも元の飼育室へと手際よく移動させていく。その最中、男の視線がある一点でピタリと止まった。

部屋の隅に置かれていた、枯れかけたつるの植木。

先ほどハルの歌声が響いた拍子に、青々とした新芽が芽吹いたのには気づいていた。だが、男が驚いたのはそれだけではなかった。

「……おいおい、マジかよ」

蔓の根元。さっきまでは完全に茶色く枯れ果て、触ればボロボロと崩れ落ちるはずだった古い葉に――瑞々しい『緑色』が戻り始めていたのだ。

ハルが歌う前には、絶対にそんな変化はなかった。信じられない思いでその葉に触れてみると、うっすらと枯れ葉の葉脈が、内側から生気ある水気を孕んでいる確かな感触が指先に伝わってくる。

失われた生命の時間を、歌声だけで巻き戻したとでも言うのか。

「……ふ、まぁ、俺は何も知らないからなぁ。頼まれた仕事はキッチリこなした。それだけだ」

男が呟いた言葉は、誰に話しかけたものだったのか。自分に言い聞かせたのか、それとも、あまりの規格外ぶりにさじを投げたのか。

男はそれ以上考えるのをやめるように、物置を兼ねた試験会場の重いドアを、ポンと足で蹴って閉めた。

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