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〜モリテ〜 痛み分け回復師  作者: 高星 舞
ルーファス家編
26/30

兄として

セイを自分のベッドへと横たえ、深い眠りに落ちたのを見届けてから、ハルは静かに部屋を後にした。

向かった先は、兄・グレゴリーの執務室だ。

ハルが声をかける前に、まるで来るのが分かっていたかのように、ちょうどよく扉が開いた。

「おお、いいところに来たな」

グレゴリーはフッといつもの穏やかな笑みを浮かべ、ハルを部屋の中へと招き入れた。

「――それで、セイの様子はどうだ? 大丈夫そうか?」

部屋に入るなり、開口一番に告げられたのはセイの容体だった。グレゴリー自身、あの痛々しい血痕を見て以来、ずっと彼女の体調を気にかけていたのだろう。

「思ったよりは、大丈夫そう。……あの、あの人の具合は?」

ハルが少し口を濁らせながら尋ねる。「あの人」とは、言うまでもなく自分を道具として扱い、かりそめの父親――ブレンダン伯爵のことだ。

利用され、幽閉されていたとはいえ、ハルにはハルなりの依頼主への複雑な情念があった。

「父さんは、まず命に別条はないよ。セイが大方の治療を終えてくれていたからな。とはいえ、傷が完全に塞がるまでは数日間、ベッドで寝たきりになるだろう。……まぁ、僕らの今後の動きを考えれば、今はその方が好都合だけどね」

グレゴリーの言葉を聞き、ハルは心のどこかで安堵したように、そっと胸を撫で下ろした。それを見届けたグレゴリーは、一転してその瞳に宿る光を鋭く、真剣なものへと変えた。

「――これからの話だ、ハル。お前は、この家を出る『覚悟』があるか?」

「……っ」

「行く気があるか」という生ぬるい確認ではない。これから過酷な運命に飛び込む弟の「決意」を真っ直ぐに問う、兄の眼差しだった。

けれど、その熱く真っ直ぐな視線は、いつだって孤独だったハルの背中を優しく後押ししてくれるのだ。ハルは迷うことなく、強く頷いた。

「あるよ。僕は、ただの飾り人形なんかじゃなく、自分の意志で『歌子』として生きたい。……そして、セイと一緒に、あの世界へ行きたいんだ」

「わかった」

グレゴリーは満足そうに口元を綻ばせた。

「父さんが目を覚ませば、手段を選ばずにお前を連れ戻し、今度こそ完全に幽閉するに違いない。出発は早い方がいい。……それと、街を出たらまずは『登録所』へ向かうといい。ハル、お前の歌には、ただ人を魅了するだけじゃない――汚れを祓う『浄化の力』があるんだろう?」

ハルの心臓が、ドクンと跳ね上がった。

(あぁ、やっぱり、この人はどこまでも真っ直ぐで、底が知れない人だ……)

父親のドス黒い悪行を間近で見てきた。その醜態をもすべて受け入れ、自分はどこまでも正直なままでいる。そして何より、実の弟がそれほどの『特別な力』を秘めていると知りながら、それを私利私欲のために利用しようという発想が、この兄には一ミリたりとも存在しないのだ。

「……知ってたんですね」

「舐めるなよ。これでも俺は、世界で最初のお前の『一番のファン』だからな」

グレゴリーは悪戯っぽく笑うと、すぐに真面目な顔に戻って言葉を続けた。

「旅をするにも、歌子として活動するにも、何より路銀かねが必要だ。登録所に所属しておけば、実力に応じて歌子の依頼が舞い込んでくる。……きっと、お前の歌には、まだまだ僕らの知らない秘められた可能性があるはずだ。それは、あのセイという子も同じだろう。二人で旅をしながら、お互いの本当の力を、目指す道を見つければいい。あの子の望む道がお前と共にある限り、俺はどこまでも、お前たち二人の味方だ」

グレゴリーは歩み寄ると、ハルの両肩に、その大きな手を重く、だけど温かく置いた。

「お前がどこに行こうと、誰と生きようと、お前は俺のたった一人の弟だ。――ルーファス・ハル。この『ルーファス』の家名は、お前を縛る鎖じゃない。これからのお前を守る、一つの強固な『盾』だ。好きなように、誇りを持って使えばいい」

兄の不器用で、けれど海より深い愛情が、ハルの胸の奥を激しく熱くさせる。

涙が溢れそうになるのを必死に堪え、嬉しい癖にそれを素直に顔に出せないハルは、ふいっと視線を少し斜め下に落としながら、静かに、けれど明確に言葉を紡いだ。

「――ありがとう、兄さん」

「…………え?」

ピキッ、とグレゴリーの動きが完全に止まった。

今、自分の脳内に、最高に心地よい響きで「兄さん」という単語が響き渡った気がする。

1秒、2秒。状況を理解した瞬間、グレゴリーの顔に、これまでに見たことがないほどのド派手なニヤけ面が広がった。

「えっ、今なんて!? もう一回言って!? 兄さんって言った!? 今、兄さんって言ったよねハル!?」

「あ、うるさい。もう言わない」

「まぁまぁそう言うなってお兄ちゃん感激しちゃったよ!!」

完全に舞い上がったグレゴリーは、ハルの首にガシッと腕を回して肩を組むと、「よしよし、俺の可愛い弟!」と言わんばかりに、全力でハルの身体を左右に揺らし始めた。

「ちょっ……離して、暑苦しい……っ!」

相変わらず、全力で嫌がって見せるハルだった。

けれど、グレゴリーに振り回されるハルの、少しだけ困ったような苦笑いの表情には――「内心、もの凄く嬉しい」と、ハッキリ書いてあるのだった。

血の繋がりなんて関係ない。

二人はもう、誰が何と言おうと、『本当の兄弟』だった。

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