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〜モリテ〜 痛み分け回復師  作者: 高星 舞
ルーファス家編
25/30

世話好きなハル

「――ふっ、さすがだな。俺の弟は」

閉ざされていた扉の向こうから、どこか誇らしげで、嬉しそうな声が響いた。

コンコン、と軽いノックと共に部屋に入ってきたのは、グレゴリー様だった。

空気を察したハル様は、私を包み込んでいた腕をゆっくりとほどく。私は急に冷えた空気に寂しさを覚えながらも、慌てて涙を拭った。

「……タイミング悪すぎですよ、グレゴリーさん」

ハル様が少し不満げに唇を尖らせると、グレゴリー様は肩をすくめて苦笑した。

「まあ、そう言うなって。お前じゃなきゃ、セイは止められなさそうだったからな。……それと、ハル。これを」

グレゴリー様は表情を引き締めると、ハル様の前に真っ直ぐに向き合い、胸ポケットから一枚の紙を取り出して手渡した。

「これって……」

受け取った紙に視線を落としたハル様の瞳が、驚愕に見開かれる。

そこに書かれていたのは、ブレンダン伯爵の直筆のサインが刻まれた『誓約書』だった。

「そうだ。これで君は、誰の道具になることもなく、自由に歌える。もうこの屋敷に居続ける必要も、過去にとらわれる必要もないんだ。――さあ、その聖なる歌声を、世界中に鳴り響かせておいで」

ハル様は自由への片道切符を愛おしそうに指先でなぞり、ゆっくりと振り返って私を見つめた。その目の奥で、決意に満ちた強い光が灯る。

「セイに感謝しろよ? セイが父さんと命がけの取引をして、手に入れてくれたんだからな。あんな瀕死の重傷を瞬時に治すなんて、やっぱり本物の回復師は凄いよなぁ」

何気ないグレゴリー様の言葉に、ハル様がピクリと眉をひそめた。

「怪我? ……あの人が、怪我をしたの?」

「あぁ、今までのツケが回ってきたんだよ。自業自得さ。本当なら死んでもおかしくなかったわけだし、助けられなくて当然だったのになぁ。……セイ、改めて父を救ってくれてありがとう。あんな人でも、僕にとっては一応、父親だからね」

グレゴリー様は私に向かって、深く頭を下げて礼を述べた。

けれど、ハル様はその感謝の言葉を遮るように、鋭い疑問を私に突きつけてきた。

「待って、セイ。……お前、そんな重傷を『治せる』のか? 低級の回復術しか使えないはずのお前が、どうやって……」

「あ、いえ……。それは、その、というか……」

あまりにも歯切れの悪い私の返答。その瞬間、ハル様の聡明な瞳が、私の衣服の不自然な汚れを捉えた。

「セイ、お前――」

ハル様の手が止まる。私の上着の右肩と、左の脇腹のあたりに、黒赤い血が滲み出ているのを見つけたのだ。ハル様の顔から、一気に血の気が引いていく。

「グレゴリーさん、ちょっと外して。二人きりにしてほしい。……あと、これから言うものを今すぐ急ぎで集めてきて」

「なんだよ、急に」

ハル様の突然の命令に、グレゴリー様は最初、からかうようにニヤついた。けれど、ハル様がその耳元に近づいて必要なものを囁いた瞬間、グレゴリー様の表情は一変し、ひどく険しいものになった。

ハル様が頼んだのは――気休めの消毒薬などではなく、本格的な止血薬や包帯といった、明らかな重傷治療の道具だったからだ。

(お願いします)

言葉にせず、ただ強い光を宿したハル様の目を見て、グレゴリー様はすべてを察したように深く頷いた。そのまま一言も発さず、急ぎ足で部屋を出ていく。

カチャン、と扉が閉まり、部屋にはハル様と私、二人きりになった。

ハル様は静かに私との距離を詰めると、いつになく低い声で命じた。

「怪我、見せて」

「えっ……! いや、嫌です、大丈夫ですから……っ」

「何意地張ってんだよ。重傷なんだろ、お前!?」

「そこまでじゃないです! 自分で後で処置できますから、ハル様が気にすることじゃ――」

「そこまでじゃないなら、今すぐ見せろよ!」

ハル様の手が、強引に私の衣服へと伸びてくる。私は慌てて、差し出されたハル様の細い手首を両手でギュッと押さえた。

「見せろ」「見せない」の、静かな取っ組み合いが始まる。女の腕力とはいえ、曲がりなりにもモリテの訓練を受けてきた身。本気で押し返そうと、全身に力を込めた――その瞬間。

「いっ……ぅ、あ……っ」

よりによって、伯爵から引き受けた右肩と左脇腹の傷口に、負荷がかかってしまった。激痛に襲われ、私は思わずハル様の手首を離し、自分の脇腹をキツく押さえてうめく。

「そこか。……動くな」

ハル様は冷徹なまでに素早く、私の手を退けると、サッと衣服の裾をめくって患部を露わにした。

包帯すら巻かれていない、痛々しい刺し傷。

それを見た瞬間、ハル様が纏う空気が、怒りと悲しみでビリビリと激しく震えたのが分かった。

トントン、と絶妙なタイミングでドアがノックされ、ハル様はグレゴリー様から治療道具の詰まった木箱を無言で受け取った。

「他には、どこ。手当てする方も面倒くさいんだから、隠さず早く言って」

ハル様はフンと不機嫌そうに鼻を鳴らしながら、私の顔や腕にそっと触れ、他に負傷箇所がないかを探り始めた。怒ってはいるけれど、その指先は驚くほど優しく、繊細だった。

ただのモリテと主人ではなく、男の子としてハル様に触れられている。その事実に、私の顔が傷の熱さとは違う理由でカッと熱くなった。

「……右肩と、今見せた、左の脇腹です……」

「ん。最初からそうやって、素直に言えばいいの」

ハル様は手際よく薬を指に取ると、私の傷口に躊躇なく塗り、慣れた手つきで包帯を巻いていく。

「痛、いです……っ」

「当たり前。……今までよく、こんな状態で平然としていられたな」

「えへへ……。そこは、モリテとしての気合いで……」

「褒めてないからな」

ハル様はジロリと私を強く睨みつけると、私の両頬に手を添えキュッと目を合わせた。

「お前、ちゃんと言えよ。痛いときは痛いって、苦しいときは苦しいって、僕にちゃんと言え」

「……うぅ」

「返事は?」

「……はい、言います……」

情けない声を出す私を見て、ハル様は満足したように手を離し、最後の仕上げとして包帯を結び終えた。的確で素早い治療のおかげで、あんなに疼いていた激痛が、嘘のようにじんわりと落ち着いていく。

「それで。……どうしてこうなったんだ」

一通り処置を終えたハル様が、真剣な目を私に向けた。

「ええと……それは、私の怪我の理由のことですか? それとも……」

「全部だ」

ハル様は言葉をかぶせるように言った。

「その怪我の本当の理由も、お前自身のことも、アイツ(父親)との取引のことも。全部、僕に話しなよ」

全部、と言われてしまい、私はどこから紐解けばいいのか迷って視線を彷徨わせた。男のフリをしていた理由、パトリアを追われた過去、そして『痛み分け』という異能のこと――。

そんな私の困惑を見抜いたのか、ハル様はふっと表情を和らげ、私の肩を優しく押してベッドへと促した。

「まあ、今は少しここで寝ていろよ。起きたら、またゆっくり聞くから」

「あっ……でも。ここ、ハル様のベッドじゃ……っ」

「いいから、寝ろ」

これ以上断ったら、また本気で怒られそうだ。私は大人しく引き下がり、ハル様の言う通りにすることにした。

ハル様は私を優しくベッドに横たえ、毛布をそっと頭までかけてくれると、「じゃあね」と短く残して、そのまま自室を後にした。兄であるグレゴリー様と、これからの旅立ちの具体的な相談をしに行ったのだろう。

ハル様のベッドで、一人取り残された私。

シーツから漂う、温かい木漏れ日のような、ハル様と同じ優しい匂いに包まれながら、私はなぜだか、パトリアの地を去る別れ際に言われたフリート様の言葉を思い出していた。

『最後に――言っておく。モリテにとって、主の命令は一番じゃない。主とモリテ、互いに本当の、泥臭い本音をぶつけ合える関係こそが、一番大切なことなんだ。もし、セイ……お前がそんな「本物の主人」に出会えたなら、その時お前は――』

「――幸せもんだ、か」

私は天井を見つめながら、ぽつりと小さく呟いた。

「本音をぶつけ合える関係、ね。……今はまだ、あっちから一方的にぶつけられてばかりなんだけどな」

フフッ、と自嘲気味に、けれどこの上なく愛おしそうに笑みを漏らしながら、私は静かに瞼を閉じた。

ハル様の温もりに守られながら、私は久しぶりに、心地よい深い眠りへと落ちていくのだった。

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