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〜モリテ〜 痛み分け回復師  作者: 高星 舞
ルーファス家編
22/30

負傷の代償

ドンドン、と荒々しく扉を叩く音で、私は強制的に目を覚まされた。

前夜の怪我のせいで身体が重い。意識が朦朧とする中で鍵を開けて扉を開けると、そこには冷酷な笑みを浮かべたジャンが、大勢の部下を引き連れて待ち構えていた。

「今すぐ荷物をまとめろ。この屋敷から出て行く準備をしろ」

「……えっ?」

寝起きのせいか、頭がうまく回らない。突きつけられた言葉の意味が掴みきれず、私は眉をひそめた。

「昨日、ハル様から『あのモリテは信用ならない、二度と顔を見たくない』との報告が出た。ハル様がお前を拒絶された以上、ここに置いておく義理はない。ブレンダン伯爵からの命令だ。さっさと失せろ」

ジャンの言葉に、私は一瞬だけ俯いた。――けれど、すぐに全てを察して、フッと低く笑い声を漏らす。そのまま一歩、ジャンの方へと踏み出した。

「……それは本当にハル様の言葉ですか? ハル様が、心から望んでいることですか?」

「事実だ。あの方は激怒していらっしゃる」

「では、ハル様にお会いさせてください。直接そのお言葉を聞かなければ、私は絶対に納得できません」

私がジャンを押し退けてハル様の部屋へと向かおうとした、その時だった。

「お前が納得できるかどうかなど、どうでもいいのだよ」

廊下の奥から、粘り気のある、ひどく冷徹な声が響いた。

重苦しい足音と共に割って入ってきたのは――当主であるブレンダン伯爵だった。

「それを決めるのはお前でもハルでもない。この私、雇い主である私だ。セイ。今この時をもって、お前との雇用契約を『無効』とする」

伯爵は懐から一枚の紙を取り出すと、私の目の前で見せつけるように、ビリビリと無惨に引き破って床へと投げ捨てた。私たちが最初に交わした、あの契約書だ。

「ここにいるお前は、もうよそ者だ。ルーファス家のモリテでもなければ、ハルの監視役でもない。ただの不審者だ」

伯爵が冷酷に顎をしゃくると、ジャンが即座に背後のモリテたちに指示を出した。瞬時に、十二、三人の屈強な男たちが抜刀し、私の行く手を完全に阻む。

囲まれた中心で、私はフッと不敵な笑みを口元に浮かべた。

「……そうですか。契約が無効ってことは、つまり、私がここで『好きに暴れてもいい』ってことですよね」

「ハッ! 女一人の細腕で、この人数を相手に何ができる! お前の好きにするがいい。ここで無惨に死んでくれた方が、あの子の孤独がさらに深まって好都合だ。その気があるなら、ここで侵入者として容赦なく叩き切って捨てるまで。――かかれっ!」

ジャンの怒号と共に、数人のモリテたちが一斉に私を目がけて斬りかかってきた。

だが――。

(……あぁ、やっぱり。朝稽古の時と同じ。いや、それ以下だ)

実戦の緊張感のせいか、彼らの動きは酷く雑だった。大振りで隙だらけ。多勢である強みを全く生かしきれていない。呼吸も、歩調も、まるであっていない。

私は失望の色を瞳に浮かべながら、手元にあった木剣を構え、一人、また一人と、確実にモリテたちの急所を打って沈めていく。

その時、ヒュンッ! と空気を切り裂く音がして、私の足元の一寸手前に一本の小刀が鋭く突き刺さった。

視線でその軌跡を追うと、奥にいるジャンの姿を捉えた。あいつ、指の間に暗器(小刀)を隠し持って飛ばしてきている。

周りに自分の味方のモリテたちがいるというのに、当たることすら考慮していない。勝つためなら手段を選ばない男だ。

「――舐めるなよ」

私の腕に、一気に怒りの力がこもる。迫り来るモリテたちの剣を払いのけ、流れるような連撃で彼らを気絶させていく。

一歩、また一歩と、私はハル様のいる部屋を目指して、血路を切り開いていく。

「これ以上、先へは行かせん……っ!」

ハル様の元へ向かわせまいと、後ろで狙い撃ちをしていたジャンが、ついに自ら大剣を回して立ちはだかった。

昨日の特別指導の時のように、凄まじい風切り音を立てて剣をぶん回してくる。

だが、今回は違う。――「押される演技」をする必要は、もうどこにもない。

私は冷徹な目でジャンの脇の甘い隙を見抜き、容赦なく打撃を叩き込んでいく。完全に圧倒されるジャンの姿を見て、後ろに控えていた伯爵の顔色が変わった。違和感を察知したのだろう、伯爵が自らの本剣の柄へと手をかける。

私の前方にはジャン、そして後方にはブレンダン伯爵。

完全に前後に挟まれた形になったが、ジャンはすでに焦りで息が上がっていた。彼は体勢を崩そうと、懐からさらに数本の小刀を取り出し、私を目がけて一斉に投げつけてきた。

私は極めて冷静に、迫り来る刃のうちの1本を自分の剣で正確に弾き飛ばし、残りの軌跡を見切ってその場からわずかに身を翻して全てを躱した。

カキィンッ! シィン、シィンッ!

刃が空を切り、私の背後へと飛び去っていく。その直後だった。

「ぐふぁっ……!?」

後ろから、短い悲鳴が響き渡った。

驚いて振り返ると、そこには自分の脇腹と肩に、ジャンが投げた小刀を深く突き立てられたブレンダン伯爵が、血を流して床にへたり込んでいた。

「は……? 伯爵……様……?」

ジャンの顔が、みるみるうちに真っ青に染まっていく。自分が主を刺してしまった恐怖からか、彼は木人形のように棒立ちになり、目線は遠いどこかを彷徨い始めていた。

ドクドクと傷口から鮮血を溢れさせ、床に座り込む伯爵が、縋るような目を私に向けた。

「せ、セイ……お前、回復師だろう……っ!? 私を治せるよな……っ? 早く治せ、命令だ……っ!!」

静まり返った廊下に、伯爵の素っ頓狂で、情けない悲鳴が響き渡る。

この期に及んで、よくもまあそんな図々しい口が叩けたものだ。誰がこんな奴を助けるものか。

私は冷ややかな目で伯爵を見下ろし、追い打ちをかけるように静かに声をかけた。

「……思ったよりも、深いですね」

「な、何だと……っ!?」

伯爵の顔に、明確な『死』への恐怖が走る。自分では傷の深さが分からないのだろう。実際、かなりの重傷だ。すぐに自分で的確な止血をしなければ、そう長くはもたない。

「わ、分かった! セイ、もう一度契約をしよう……っ! お前を永久に、高待遇でここで雇ってやる! 女であることも認めよう! なんなら、ジャンの代わりにモリテの『隊長』の座をくれてやってもいい! キャリアに傷のあるお前のようなよそ者なら、悪くない話だろう……っ!?」

必死になってまわる口。だが、伯爵の語る身勝手な言葉など、今の私の耳には一言も入ってこなかった。

「ブレンダン伯爵。あなたは全然、私のことを分かっていないようなのでハッキリ言っておきます。――私は、低級以下の回復師ですよ? ここまで深い傷、私に綺麗に治せるわけがないでしょう」

「ひっ……!」

伯爵の額に、絶望のシワが刻まれる。

「このまま出血が止まらなければ、あなたは確実に死にます。私には完全に治す手立てはありません。……まあ、あなたがこのまま死んでしまっても、伯爵の名を継ぐのは実の実子であるグレゴリー様ですからね。あの優しいグレゴリー様なら、ハル様を今よりもずっと大切に扱ってくれそうだなぁ」

「お前……っ、何を……っ!!」

「あなたは、ハル様をただの『飾り』として扱った。自分の権威を高め、地位を得るためだけに、あの方を底深い孤独に縛り付けた。――私は、あなたのことが絶対に許せない」

激しい怒りで、私の身体が小刻みに震える。私は瞼を固く閉じ、ハル様と過ごしたこれまでの短い記憶を、その温もりを思い返した。

「それでも、ハル様は優しい方です。周りからどれほど疎まれようが、孤立させられようが、この世界を憎んだりなんかしていない。あの方の歌は、あなた一人のための飾りなんかじゃない。もっと、多くの人に聴かせるべき聖なる歌だ。ハル様には、もうそれができる。……あの方は、自分の足でここから羽ばたく『羽』を、もう持っているんです」

大きく息を吐き出し、私は静かに剣を鞘へと収めた。

「新しい『契約』をしましょう、ブレンダン伯爵。……私には、あなたの命をギリギリ繋ぎ止める方法があります。それを行えば、あなたは一命を取り留めるでしょう。――その代わり、ハル様を二度と、あなたの私利私欲のために歌わせないとここで約束してください」

「な、何だと……!? そんなこと、あいつを引き取った意味がなくなる……っ!」

コンッ!!

私が容赦なく木剣の柄の先で床を強く突くと、キィンと高い音が響き渡り、伯爵はビクリと肩を跳ね上げて顔を上げた。

「今ここで死んで、息子に全てを明け渡すか。それとも、生きてハル様を手放すか。――さあ、選んでください」

私は懐から一枚の紙を取り出し、伯爵の前に突きつけた。あらかじめ用意していた、ハル様を解放するための誓約書だ。

伯爵は拳を力強く握り締め、唇を血が出るほど噛み締めながら、他に手立てはないかと必死に悪あがきの視線を巡らせている。だが、ドクドクと流れる血は待ってくれない。ついに死の恐怖に屈した伯爵は、震える手でペンを掴むと、ペン先が潰れそうなほどの凄まじい圧をかけて、誓約書に自身のサインを刻み込んだ。

契約は、完了した。

「さ、さあ……早くしろ……っ!」

伯爵の呼吸はすでに限界に近く、吐き出す息に混ざってヒューヒューと不気味な音が漏れている。私は冷徹な目を崩さないまま、伯爵の肩と、血に染まる脇腹へと両手をそっとかざした。

(……やるか。あれを)

回復師として異質な力――『痛み分け』。

肩の傷はまだ浅い。問題は、腹部の深い突き傷だ。こいつが往生際悪く時間を無駄にしたせいで、傷口がかなり悪化している。

私は体中に魔力を込め、回復対象である伯爵の肌へと軽く触れた。

脳裏を集中させ、相手の心に、自分の心を深くリンクさせていく。

――つまり、『共感』だ。

相手の心の中へ、暗闇を模索するように手を伸ばしていく独特の感覚。

やがて、相手の肉体から燻る黒い煙のように、生々しい「痛み」の概念が伝わってきて、白いモヤとなって私の周囲を取り巻き始める。そのモヤを、自分の身体で深く吸い込むことで初めて、相手のダメージを自分の肉体へと引き取ることができるのだ。

(こんな最悪な奴に、わざわざ共感しなければいけないなんて……)

腹の底から嫌悪感が込み上げる。けれど、目の前で血を流し、無様に助けを乞う人間を、どうしてもこのまま見過ごすことができない。心のどこかで、この男のあまりにも無様な姿を「可哀想だ」と同情してしまう自分がいる。

(同情するよ、ブレンダン伯爵。あなたの、その無様な姿に)

荒れ狂う嵐の海へと自ら足を踏み入れるように、私は伯爵への憐れみの波に身を任せた。

ゾワッ――!! と、凄まじい激痛が私の脇腹と肩へと流れ込んでくる。

全身の肉体が悲鳴を上げる。だが――全部を吸い上げてはいけない。あのパトリアの時のように、自分が死んでしまっては意味がない。私は限界のラインを見極めながら、必死に痛みをコントロールし始めるのだった。

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