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〜モリテ〜 痛み分け回復師  作者: 高星 舞
ルーファス家編
18/30

飾りとモリテ

……何の歌がいい?」

低く、風に乗って届いたその声は、どこか刺々しく、私を試すような響きを含んでいた。


「――いつもの、あの子守唄が聴きたいです」

私がそう答えると、ハル様は意外そうに小さく苦笑し、いつもの発声練習を始めた。

いよいよだ。私はごくりと唾を呑み、その瞬間を待った。

「――♪~~~~」

刹那、世界の色が変わった。

溢れ出してきた圧倒的な歌声、そしてあまりにも美しい旋律。その細い身体から放たれる圧倒的な音の奔流が、私の胸の奥に固く閉ざされていた、記憶の扉を激しく叩く。

(ああ、これだ……。この歌だ……っ!)

目の前の景色が霞み、脳裏に懐かしい光景がポツリ、ポツリと浮かび上がってくる。

『母さん――』

優しいお母さんのすぐ隣で、小さな私が一生懸命に薬草をすり潰している。上手だね、と頭を撫でられて、私は飛び上がるほど嬉しかったんだ。手についた薬草をうっかり舐めてしまい、あまりの渋さに泣きじゃくる私を見て、お父さんはお腹を抱えて大笑いしていたっけ――。

お父さんとお母さんの、あのどこまでも温かな眼差し。

失われていたはずの家族の温もりが、記憶の底から鮮烈に蘇ってくる。なぜだろう、愛おしいはずなのに、胸が張り裂けそうなほどに苦しい。もっと、もっとこの温かい記憶に触れていたいのに。

気づけば、私の頬を一筋の涙が伝い落ちていた。

私は哀しそうに、けれどどこか嬉しそうに、儚げな笑みを浮かべてその歌声を聴き入っていた。

やがて、夢のような時間は終わり、ハル様の歌が静かに締めくくられた。

ハル様はハッと息を呑みながら、涙を流す私を凝視している。その瞳は、激しい動揺に揺れていた。

「……なんで、そんな顔をするんだ。……何でお前を見ていると、こんなに僕の心がざわつくんだ? ――お前、僕の歌に『魅了』されないのか?」

「みりょう……ですか?」

初めて耳にする単語に、私は涙を拭うのも忘れて目を丸くした。

「お前……本当に何も知らないのか?」

ハル様は驚愕に目を見開いた後、何かを察したように、大きなため息を吐いてぽつりぽつりと語り始めた。

「僕の歌には、特殊な魔力が宿っている。――聴いた人間の心を強制的に奪う、『魅了』の力だ。虜にすると言ってもいい。一度でも魅了された人間は、狂ったように僕の歌を欲しがるようになる。何かに取り憑かれたみたいに、僕自身へ執着してくるんだ。……魅了された人間は、僕の言うことを何でも聞くようになる。貴族たちにとっては、人間が僕の歌で狂っていくその姿を見るのが、たまらなく面白い娯楽らしい。……だから僕は、ただの『飾り』なんだよ」

(飾り――)

ジャンのあの冷酷な言葉の意味が、点と線で繋がった。ハル様は、自分の意思とは関係なく、周囲を狂わせる道具として扱われていたのだ。

「僕の歌を聴いた奴らは、例外なく全員が魅了されて狂う。そうならない奴は、そもそも歌に1ミリの興味もない、心のない奴らだけだ。だから、お前も僕の歌をまた聴きたがったのは、僕に魅了されて執着しているからだと思ってた。……八つ当たりをして、悪かったな」

突然、寂しそうに謝罪の言葉を口にしたハル様に、私は慌てて両手を振った。

「い、いえっ! 私の方こそ、そんな恐ろしい秘密があるとは知らずに、本当にすみません……! 私がハル様の歌をもう一度聴きたかったのは、あなたの歌を聴くと、忘れてしまったはずの『両親との記憶』が戻るからなんです。私は、父と母の真実を知るためにここへ来ました。私は……ハル様の歌を、自分の目的のために利用したんです。私も、あなたを飾りとして扱うあの貴族たちと、何も変わりません……っ」

ハル様の歌声を純粋に求めていただけでなく、記憶を取り戻すための道具として利用しようとしていた。その自分の傲慢さが恥ずかしく、申し訳なかった。

しかし、ハル様はそんな私を見つめ、フッと柔らかく目元を和らげた。

「……違うな。お前は僕の喉を気遣って、煙から守ってくれた。僕の大切な友達(森の動物)の怪我を、真っ先に治してくれた。お前は僕を、ただの操り人形(飾り)としてじゃなく、一人の『歌い手』として見てくれたじゃないか」

「ハル様……」

「お前は、他の奴らとは決定的に違う。――いいよ。僕の監視役でも、モリテでも、好きになればいい。お前に見られているのは……不思議と、悪くない。なぁ、僕の歌を利用したいんだろ? だったら、その代わりに僕を全力で守れ。そしたら、お前のためにいくらでも歌ってやる」

思ってもみない救いの言葉に、私の思考が追いつかない。

利用すればいい――。貴族たちからお飾りとして搾取されてきたハル様だからこその、どこか切なく、けれど自分自身の『歌』に絶対の誇りを持っているからこその、力強い言葉。

本当に、いいのだろうか。私は……ハル様に、モリテとして認められたのだろうか。

森の中で見せてくれた、あの少年のあどけない、眩しい笑顔が、今度は私一人に向けられていた。

じわり、と胸の奥が熱くなる。

私は小さく息を吸うと、ハル様の前で静かに片膝を突いた。男装の衣服が擦れる音を響かせ、右の拳を自分の左胸へと強く、真っ直ぐに当てる。――それはパトリアでフリートさんから教わった、命を捧げる戦士の、至高の忠誠の礼。

「――はい。ハル様。私の命に代えても、あなたをお守りします」

真っ直ぐに彼を見上げる私の誓いに、ハル様は一瞬だけ驚いたように目を丸くした。

けれど、すぐにクスッと悪戯っぽく微笑むと、ハル様は自分の小さな拳をぎゅっと握り、そのまま私の額へと『ピトッ』と優しくくっつけてきた。

「……?」

ゴツン、ではなく、まるで子供が秘密を共有するときのような、優しくてどこか愛らしい小突かれ方。くっつけられた彼の拳の温もりが、額を通じて私の脳裏にじんわりと広がっていく。

(あぁ……。私は本当は男じゃないけれど。なんだか、生まれて初めて『男の友情』のようなものを知った気がした)

胸の奥が、くすぐったいような温かさで満たされていく。そんな私の内心を知ってか知らずか、ハル様はニカッと眩しく笑った。

「ふん、合格。口先だけのモリテはたくさんいるけど、お前は合格にしてやるよ、セイ。……これからよろしくな、僕の頼もしい護衛官」

そう言って拳を離したハル様は、満足そうにバルコニーの柵へともたれかかり、遠くの青空を見つめた。

額に残るくすぐったいような温もりを意識しながら、私は胸の拳にさらにギュッと力を込める。

この人の歌を、この人の笑顔を、今度は私がモリテとして全力で守り抜く。

確かな熱い決意と共に、私は心から、この少年に仕えようと誓ったのだった。


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