ルーファス家のモリテ
パトリアの仲間たちに賑やかに見送られ、私は新たな世界へと足を踏み入れた。
支給された馬に跨り、パトリアの領地を離れて新しい雇い主のもとへ向かう。パカパカと響く蹄の音を聞きながら、道中、私は雇い主から提示されたあの奇妙な条件を思い返していた。
(男として振る舞いつつ、当主の養子を監視する……。だったら、最初から若い男のモリテを指名すればいいのに)
そんな疑問を口にしたときの、出発直前のフリートさんとの会話が頭をよぎる。
『お前は男ばかりのこのパトリアで、あいつらに負けず劣らず男らしかったからな』
『……それ、褒めてますか?』
『ハハッ、格好いい女のモリテだってことさ。いいかセイ。女としてのハンデなんて気にするな。お前がいつも通り男勝りにしていれば、誰も怪しみゃしない。……ただな、お前が本当は女だと知っている奴(依頼主)の前では、あえて自分を少し弱く見せておけ。本当の勝負時に、お前の本当の力を見せるチャンスが必ず来る。最後に――』
「おい、着いたぞ。中に入れ、セイ」
案内役を任されていた男の鋭い声に、過去の思考が引き戻される。
「はいっ」
返事をして顔を上げると、そこにはパトリアの寮とは比べものにならないほど、重厚で巨大な門と、貴族の権威を象徴するような大屋敷がそびえ立っていた。
ゴクリと息を呑み、己の胸を拳でトントンと叩いて気合を入れる。
いよいよ、ルーファス家での私のモリテ生活が始まるのだ。
◇
屋敷に到着して早々、私は豪奢な客間へと通された。
部屋の中には、素人目にも一級品だと分かる見事な彫刻や宝飾品が整然と飾られている。よく見れば、椅子やテーブルといった調度品の一つ一つにまで、気の遠くなるような細かい装飾が施されていた。この部屋の景色だけで、ルーファス家がどれほど潤沢な資産を持っているかが嫌というほど伝わってくる。
部屋の奥には、当主と思われる壮年の男と、護衛らしきモリテが一人、静かに佇んでいた。
「よく来てくれたね、セイ。私はルーファス家当主、ルーファス・ブレンダンだ。ブレンダン伯爵とでも呼んでもらおうか。早速だが、まずはこの契約書にサインをしてもらおう。私のモリテとして、その務めを果たしてもらうための誓約書だ」
差し出された上質な紙の契約書に目を落とす。私の名前の横、性別欄には小さく『男』とあらかじめ記載されていた。
おそらく、私を使い捨ての駒としか思っていないのだろう。最初から守る気のない契約書――だが、それは私にとっても同じことだ。私を縛る拘束力など、この紙切れには最初からない。
(気づいていないフリをしておくのが、お互いのためね……)
ある意味では好都合だと割り切り、私は表情を変えずに、さっと流れるような手つきで契約書に署名した。
「うむ。では、よろしく頼むぞ、セイ」
ブレンダン伯爵は満足げに頷くと、サインされた契約書を近くの本の間に無造作に挟んで片付けた。
「さて、お前に命じる当面の務めだが……まずはハルと『まともに会話ができるようになること』だ」
「え……?」
予想外の初任務に、私は思わず顔を上げて聞き返してしまった。
「我が養子息子のハルは、極度の人見知りでな。自分が気に入らないと判断した者とは、一切口を利かん。かろうじて会話が成り立つのは、私と、実の息子であるグレゴリーの二人だけだ。そこにいるモリテ隊長のジャンでさえ、普段は完全に無視されている始末でね。まあ、もし数日経ってもあの子に気に入られなければ、その時はまた別の新しい監視役を探すだけだ。頑張ってくれたまえ」
さらりと、とんでもない爆弾発言を置いていかれた。
ハルという人物と仲良くなれなければ、即クビ。さらに、女だとバレても即クビ。
(……交換の利く捨て駒、か。でも、正直それでもいい。あの歌声を、もう一度だけ近くで聞くことができるなら)
私の覚悟は揺るがなかった。話は終わったかのように思われたが、部屋を退出しようとした際、伯爵から呼び止められて一つの小箱を渡された。
「後、屋敷内では常にこれを首につけて監視にあたるように。これをつけて話せば、お前の声が少し低く変化する」
手渡されたのは、鈍い光沢を放つ黒革のチョーカーだった。
『声替えの魔道具』――装着者の魔力を微量に吸い上げることで、声を偽装する特殊な装備だ。
私はさっそくそれを首元に巻きつけると、外から魔道具が見えてしまわないよう、パトリアから持ってきた襟巻きを上から丁寧に重ねて隠した。
伯爵との謁見を終え、私は案内役の男と共にハルの私室へと向かった。
先ほど伯爵の傍らに控えていた男――彼はルーファス家のモリテを束ねる隊長、ジャン。驚くほどのガタイの良さと、すべてを見透かすような鋭い目つきは、いかにも修羅場を潜り抜けてきた隊長らしかった。
重苦しい沈黙の中、長い廊下を歩きながら、私は先ほどの伯爵の言葉を思い出し、思い切って声をかけた。
「あの……ジャンさん。ハルさんは、普段どんな方なんですか?」
ジャンの歩く速度が、ほんの少しだけ遅くなる。
「……お飾りだ」
ボソッと、吐き捨てるようにジャンが呟いた。しかし、周囲に聞かれたらまずいと直後に思ったのだろう、彼は自分の失言をかき消すように、凄まじい眼光で私をキッと睨みつけた。
「チッ……! 様をつけろ、新入り。余計な口を叩くな」
「っ、すみません……」
やはり、この屋敷の中でのハル様の立場は、お世辞にも良いとは言えないらしい。
やがて、一番奥にある大きな扉の前でジャンの足が止まった。彼は規則正しくドアをノックする。
「ハル様、ジャンです。新しいモリテをお連れしました」
返事はない。しかし、ジャンは構わずにドアを開けて中へと入っていく。私もその背中に続いて、静かに部屋へと足を踏み入れた。
部屋の窓際、柔らかな光の中に、その人物はいた。
そこに佇んでいたのは――まるで少女と見紛うほどに、息をのむほど美しく、そしてどこか儚げな少年だった。




