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フリートの親心

「おい、聞いたか!? セイがモリテに選ばれたんだとよっ!」

「しかもあの名家、ルーファス家だぜ! 先日の草爺を必死に助けた姿が、あのお偉い方の目に留まったんだってよ!」

話は瞬く間に寮内へと広がっていった。

困惑するセイの意図とは裏腹に、意外にもパトリアの仲間たちは一様に「大出世だ!」と祝賀ムードに沸き立っている。

そんなお祭り騒ぎの喧騒の中、廊下の向こうから、一際大きな体躯の男が歩いてくるのが見えた。――フリートさんだ。

まだ、自分の口からは何も直接話せていない。

「フリートさん、あのっ……!」

慌てて駆け寄り、声をかける。けれど、フリートは歩みを止めなかった。

「……寮の屋上だ。待ってるぞ」

地を這うような、ひどく冷たい声だった。

言おうと思っていた言葉は、すべて喉の奥に張り付いて出てこなかった。フリートはセイと一瞬たりとも目を合わせることなく、そのまま風のように通り過ぎていってしまった。

胸を突くようなショックを受けつつも、セイは『待っている』という彼の言葉の響きに、かすかな希望をかけて屋上へと急いだ。

鉄扉を開けて屋上に出ると、フリートは東の門の方をじっと見つめて佇んでいた。

近づく足音に気づくと、彼はゆっくりと振り返る。その手には、なぜか二本の木刀が握られていた。

「さて、最後の稽古だ。――いや、最初で最後の真剣勝負と行こうか」

「え……?」

「俺が勝ったらセイ、お前はルーファス家からのモリテの依頼を今すぐ辞退しろ」

予想外すぎる理不尽な条件に、セイの思考が追いつかない。しかし、フリートはそんな動揺などお構いなしに、手元にあった一本の木刀をセイの足元へと容赦なく放り投げてよこした。

床を転がってきた木刀を、セイは困惑しながらも両手で拾い上げる。

「セイが勝ったら、行って良し。負けたら大人しく次の依頼を待てば良い。……まぁ、一種の卒業試験さ。お前がどんな最後ケジメをつけるか、見届けてやる。さあ構えろ。一発でも有効打を喰らわせた方の勝ちだ」

「そんな、どうしてですか……っ!? フリートさん、なんでそんな勝負をっ!?」

「――いくぞ!」

フリートは何も答えない。強烈な踏み込みとともに、容赦のない一撃がセイの頭上へと振り下ろされた。

ガキィィィン!! と、鼓膜を震わせる激しい衝撃。

本気のフリートと打ち合うのは、これが初めてだった。

白日の下に晒される、あまりにも美しい太刀筋。無駄が一切削ぎ落とされた、洗練された体の動き。そして、両腕が痺れるほどに重い剣撃。

ひりついたパトリア最強の空気が、容赦なくセイの肌を刺す。どれを取っても、他のモリテたちの追随を許さない圧倒的な強さ。

乾いた木刀の音が、青空に激しくぶつかり合う。撃ち合いは何十手と続いていくが、このまま持久戦になれば、体力に劣るセイに勝ち目がないことは明白だった。

(行くんだ……。私は、外の世界に行くんだ……っ!)

セイは覚悟を決めると、あえてフリートの間合いの内側へと鋭く飛び込み、互いの木刀を激しく鍔迫り合わせた。

「どうしてそこまでその依頼にこだわるッ!? 命を捧げるべき主が欲しいか、それとも、新しい家族が欲しいか!」

フリートの口から、とげを孕んだ鋭い言葉が容赦なく降りかかる。

まるでセイの本質を抉り出すようなその問いかけが、胸に痛い。

「父と母の真実を知ってどうする! 辛い現実を知るだけだろ!」

(違う……っ!)

「誰かに必要とされたいか! そうやってまた、いいように使い捨てにされて、ボロボロになって死にたいのか、お前は!」

「――ちがうっ!!」

セイは悲鳴のような声を上げると、身体中の魔力と筋力を爆発させ、フリートの重い剣を力任せに上方へと振り払った。

「そんなんじゃないっ! 私は、死に場所を探しに行くわけじゃない……っ! 誰かを必死に守る父の姿に、ずっと憧れてた……っ! 誰かを全力で助ける母の姿に、ずっと憧れてた……っ! だから私は、モリテになった! 誰かを守って、助けて、私も父や母みたいに、ちゃんと胸を張って生きたい……っ!!」

「っ――!」

フリートの目が、驚愕に大きく見開かれる。

その一瞬の隙を見逃さず、セイはフリートの懐へと深く飛び込んだ。

がら空きになった胴体へ向けて、下段から木刀を鋭く激しく打ち上げる。

ガシィィンッ!!

フリートは間一髪、手元の木刀の柄でそれを防ぎ止めた。――だが、そこから押し返すのを、彼は自らやめた。

セイの木刀の剣先が、フリートの胸元の衣服を強く捉え、ぐしゃりとシワを刻みつける。

静寂が、屋上を包み込んだ。

フリートは片手で自身の前髪を乱暴にかき上げると、観念したように、クシャッと目尻を下げて笑い出した。

「……ハハッ。やっぱ、お前は格好いいな」

フリートは木刀を持っていた腕を、だらりと下ろした。

「参った。一発もらったよ。――お前はもう、立派な一人前のモリテだ。……はぁっ、もう俺の『可愛い娘』のようにはいかないか」

「え……?」

呆然とするセイの身体を、フリートの太い両腕が、壊れ物を扱うように強く、強く抱きしめてきた。

彼の広い胸板から、ドクンドクンと、自分のものよりもずっと大きな熱い鼓動が響いてくる。

「ち、力が……強いです、フリートさん……っ」

「ごめんな。……最後だと思ったら、どうにも名残惜しくてな。愛おしくなっちまったんだ。――お前がここに来たあの日から、俺は勝手にお前を、自分の実の娘のように思っていた。……思っていたよりもずっと早く、お前は強くなって、俺たちの手を離れて巣立っていくんだな」

フリートの胸の温もりの中で、セイの胸の奥から、堰を切ったように寂しさが込み上げてきた。

本当に、最後なんだ。明日にはこの温かい場所から離れて、みんなに会えなくなってしまうんだ。

「だけど……お前が自分の足で、前へ進めるようになって本当に良かった。ここに来たばかりのお前は……ただ、自分の命の終わりの場所(終着点)を必死に探しているようだったからな」

その言葉に、セイの目頭が猛烈に熱くなった。

やっぱりフリートさんは、最初から私の「死にたがりな危うさ」に気づいて、ずっと守ろうとしてくれていたのだ。

「忘れるなよ、セイ。ここを出て、お前がこれからどこの、誰のところへ行こうとも――お前の『家』は、いつだってこのパトリアにある。もしも外の世界で傷ついて、挫けそうになったときには、いつでもここに戻ってこい。みんなで、笑って迎えてやる。お前の『家族』は、ここにいるんだ。……だからな、セイ。最後は笑って、堂々と行ってこい!」

「うっ……う、あ……はいぃ……っ!」

セイは声を押し殺して泣きじゃくりながら、フリートの胸に顔を埋めて、自分の見っともない泣き顔を必死に隠した。

大粒の涙が、彼の分厚い上着をぐっしょりと湿らせていく。

昼下がりの爽やかな風が吹き抜ける中で、セイはフリートの服に染み付いた、男らしい汗の匂いと、いつも稽古場で浴びていた土の匂い、そして彼が愛用していた少し苦いタバコの匂いを、忘れないように、胸いっぱいに深く吸い込んだ。

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