第八話『母の胸』
のどかな田舎風景が広がるモニカとクララの村。二人は親衛隊の試験に合格し、今は城の中で厳しい訓練を受けている。だからこの村には、その二人の姿はないはずだった。
しかし、馬車が一台この村の傍にとまり、少女を一人おろした。それはモニカだった。
「ん~! 久しぶり……でもないのかな? あはは」
モニカは二カ月ぶりに見る自分の村の入り口で、懐かしい空気をめいいっぱい吸い込む。たった二カ月で変わるはずもないのだが、村の空気がそのままだったのが嬉しかった。
訓練中のモニカがどうして村に来たのだろうと疑問がわく。何も知らない村人がモニカを見れば、親衛隊の訓練に耐えきれずに帰ってきたのだろうかと考えるかもしれない。
しかし、モニカは訓練に耐えきれず逃げ帰って来たわけではない。少し休暇をもらったのだ。
訓練は基本的に週に一回休みをもらうことができる。ただ、休みとはいっても城から出ることは許されず。自主訓練という扱いで、訓練のノルマが少し課せられている。それをクリアすれば後は自由行動になるのだが、最初の頃は全員寝て過ごしているようなものだった。
体力がついてくると、許可されている城の中を見て回ったりもするが、要領よく動かないとあっという間に一日が終わってしまう。
そして訓練も二カ月が立ち、一区切りついたということで、二人ずつ交代で五日間の連休をもらえることになった。
これも自主訓練扱いなのだが、ノルマは特になく、城を出て家に一度帰ってもいい。家が遠い者は馬車で送ってもらえるという親切なものだった。
ただ、帰りは迎えが来ないので、家で短く過ごして歩いて帰ってくるか。家で長く過ごして走って帰ってくるかを選ぶことになっていた。モニカは走って帰るつもりでいる。
「んー……」
二カ月ぶりに村に帰るのがなんだか照れくさくて、モニカは村の入り口で立ち尽くしてしまう。今までずっと村で過ごしてきたせいで、ちょっと離れるだけでもひどく懐かしく感じてしまうのだ。
城での暮らしにも慣れてきた。親衛隊の中でも、クララのほかに数人と仲良くなってきた者達も居る。ただ、少し残念なことがあった。
* * *
「よし……と。こんなものかな?」
モニカが、城の自分の部屋で荷物をまとめていた。家に数日帰るだけだし、どうせあっちに色々あるから、持っていくものは最低限だ。あまり多く持ちすぎると、帰ってくる時に重すぎて大変なことになってしまう。
「カルラちゃんも準備できた?」
モニカが準備を終え、同室のカルラに声をかけた。今回連休をもらったのはモニカとカルラだった。カルラも連休を利用して家に帰るらしい。
「……まあ」
カルラも小さなカバンに何かを詰めていた。モニカの問いかけに小さい声で返事をする。
「カルラちゃんも家に帰るんだよね? やっぱり楽しみでしょ?」
「帰って来いってうるさいから帰るだけ。それに、別に私を……」
最後の部分の声が小さすぎて、なんて言ったのか聞こえなかった。カルラは自分の荷物を持って、部屋から出て行こうとする。
「あ、ちょっと待って。そこまで一緒に行こう?」
モニカも慌てて荷物を持ち、カルラの後ろを付いていこうとする。しかし、カルラは部屋を出て行きながら言った。
「別の馬車でいくんだし、私は途中で行くところがある」
さよならも言わずにカルラは出て行った。モニカは部屋の中で呆然として扉を見つめた。
* * *
実は、二カ月も一緒の部屋に居るというのに、まともにカルラと話ができたことが無いのだ。
少し年下らしいから、緊張しているだけだとは思うのだが、同室なのに会話ができないのは寂しい。
クララと話ができればまだいいのだが、クララは城の中の図書館から大量に本を借りてきて、暇な時間は部屋の中で夢中で読んでいる。今まで古本を月に一冊買うくらいしかできなかったのだから、今の待遇はクララにとって夢のようなものだろう。それを考えると、読書の邪魔をする気になれなかった。
とはいっても、クララも多少はカルラのことを気にかけているらしい。謎の四次試験の合格者なのだから、知識欲旺盛なクララが気にしないわけがない。モニカほどではないが、クララもたまにカルラに話しかけている。続けていればきっとそのうち普通に話ができるようになると信じているからだ。
だが、結局今のところ二人のどちらとも打ち解けていない。
「ふー、大丈夫大丈夫! 気長にやって行こう」
モニカは一人つぶやいて、ようやく村の中に入って行った。
すれ違った知り合いの村人に話しかけられた。モニカは改めて帰ってきたんだなと実感できて嬉しかった。
* * *
「こんにちはー」
モニカは少し遠回りをして、まずクララの家に寄った。
「はーい。あら? モニカちゃんじゃない! 久しぶりねー」
出てきたのはクララの母だった。モニカのことを見つけると、近寄って来て頭を撫で始める。子供のことからずっと続けられてきたことだが、そろそろ頭を撫でられるのは恥ずかしい。
「やあモニカちゃん。今日帰ってくるというのは、クララからの手紙で知っていたよ。お帰りなさい」
クララの父も、クララから届いたらしい手紙を持ってやってきた。クララの父も村の中で数少ない字の読み書きができる人間だ。だから、村の中では重宝されて、忙しくしているはずだ。今日は家の中で書類でも作っていたのだろう。
「おじさんもおばさんもお元気そうで良かったです。クララちゃんは、私と入れ替わりで連休に入るので、五日後くらいに帰ってくると思います」
「クララが迷惑をかけてない? ホントにあの子は理屈屋だから……」
「いいえ! むしろ私は助けられてばっかりで……」
数分ほど、モニカとクララの両親は世間話をする。すると、モニカの父が何気なく言った。
「お母さんは元気そうだっただろう? これもモニカちゃんのおかげだね」
「あ、いえ、お母さんにはまだ会ってないんです」
モニカのその言葉に、クララの両親は同時に驚いた表情を浮かべた。
「まだ家に帰っていなかったのかい? ここに来るのは遠回りだろう?」
「そんなに大した遠回りではありませんよ。それに、クララちゃんのことが気になるだろうと思いましたので……」
「もう、私達のことは気にしなくていいから、早くマルテの所に帰ってあげなさい! 楽しみにしていたんですから!」
クララの両親は、モニカがまだ家に帰っていないことを知ると、追い返すようにモニカに帰るように迫った。
モニカは苦笑いを浮かべながらそれに従う。
「分かりました。これお土産です」
モニカは鞄からお土産を取り出して渡し、手を振りながら自分の家に急いだ。
「まったく、わざわざ遠回りをしてまで家に立ち寄るとはね。私達を気遣ってのことだろうが、家に一番に帰るのが照れくさかったのかもしれないな」
「ふふ、優しいんだか意地っ張りなんだか分からないわね。楽しい子よ。私はモニカちゃん好きだわ」
小さくなっていくモニカの後姿を見ながら、クララの両親はそう言って笑った。
「クララも、まず遠回りをしてマルテのところに行くんだろうか?」
「ええ、きっとそうですよ。ずっと一緒に過ごしてきたんですから……。あの二人は姉妹みたいなものよ。私はもしマルテが……」
クララの母は、そこから先の言葉は飲みこんだ。そして少し悲しそうに俯いた。
そんな妻の姿を見て、クララの父はなんと言おうとしたのかを察して、優しく頭を撫でてやった。
* * *
クララの家からは、走って自分の家に向かった。すれ違った村人に挨拶をしながら進み、モニカは母マルテの待つ家まで辿りついた。
「ふー……。ただいまお母さん」
モニカは息を整えてから家のドアを開いた。瞬間、おいしそうな匂いがモニカを包み込んだ。
「あら、お帰りなさいモニカ。思っていたより早かったのね?」
「お、お母さんッ! 何してるの!」
マルテは普段着を着て、エプロンを付けて料理をしていた。てっきりベッドの上で休んでいるんだと思っていたモニカは、驚いて声をあげてしまう。
「何って、料理でしょう? 今日はあなたが帰ってくるんだから……」
「そんなのいいから! お母さんは寝ててよ!」
モニカはマルテに駆け寄って、部屋まで押しやろうとする。マルテは苦笑して火を消し、モニカにされるがままになった。
マルテの病気は波がある。発症すれば立っていられないほどの激痛に苦しめられ、命をけずられてしまう。しかし、発症さえしなければ、少しけだるいだけだ。激しい動きはできないが、料理くらいなら問題ない。モニカと暮らしている時だって、料理は大抵マルテがしていた。モニカはそのことを忘れ、普通に料理をしているマルテを見て慌てたのだ。
我が娘ながら抜けているなーと思いつつ、モニカが落ち着くならばと、寝間着に着替えてベッドに横になる。
「まったく、お母さんを楽させるために親衛隊試験に合格したのに、お母さんが無理したら意味ないでしょ?」
「はいはい、悪いお母さんでごめんなさいね」
まるで悪びれた様子の無い笑顔を浮かべる母親を見て、モニカはため息をついた。まさか、畑仕事なんてしていないだろうな?
「だいたいお母さんは……あ」
モニカは指を立てて、マルテに説教をしようとした。すると、マルテの手がモニカの顔に近づいてきて、優しく頬を触った。
「お帰りなさいモニカ。私が元気なのはあなたのおかげよ。村に居る時はしっかり休んでね?」
「……うん」
愛する母親に頬を撫でられ、モニカは何も言えなくなった。マルテが元気だというなら、もう何も言うことはない。
「お城での暮らしはどう? お仕事は大変?」
実際はまだ親衛隊としての仕事はしていない。訓練が仕事と言えなくもないが、それの成績次第では採用されないのだから、試験を受けているようなものだろう。でも給料は出ているのだから、やっぱり仕事か。
「結構大変だよ。できるだけ体力を付けておこうと思って、城に行くまで体を鍛えていたつもりだったけど、厳しいね。クララちゃんは全然準備して無かったからね。初日に倒れた時はどうしようかと思った」
「まあ、大丈夫だったの?」
「うん。今は体力もついてきたみたいで、休憩時間中は勉強してるよ。だから私はその間手持無沙汰なんだ」
モニカはベッドの傍の椅子に座り、楽しそうに母親と話す。
城での暮らし、訓練、仲間達のこと……そして、話はノルベルトのことになった。
「王族の方とお会いしたの? すごいわねぇ。どう? 優しいお方? それとも厳しいお方なのかしら?」
「えっと……優しい方なんだけど、ちょっと荒々しいというか変わっているというか……」
モニカはノルベルトのことを思い浮かべながら、どんな言葉があてはまるだろうかと考えた。しかし、わずか数十分一緒に居ただけなので、うまい言葉が見つからない。
「王族の方だものね。私達とは変わっていて当然よ。入隊式か何かの時にご挨拶されたのを見ただけなんでしょう?」
「ううん。私は、直接お話ししたんだ……」
「え?」
その言葉にマルテがさすがに驚く。まだ訓練生だというのに、直接会話をする機会があったと聞かされれば、驚きもするだろう。
モニカは、訓練中にノルベルトがやってきたこと、ゲームを課してきたこと、自分がそれに合格し、部屋に呼ばれたことを話した。
話を進めるたび、マルテは「まあ!」とか「すごいわね」と相槌を打ちながら驚いていた。あまり驚かせると、体に触るかもしれないと思い、モニカはマルテの様子を探りながらゆっくりと話す。驚きはするが、マルテの表情は穏やかだったため、モニカは安心して話を続ける。
そして、話はついにノルベルトの部屋でアレを渡されたところまできた。
実は、今日それを持ってきているのだ。
「お母さん。これからある物を見せるけど、あまり驚かないって約束してくれる?」
「ん? いいわよ。何を見せられても驚かないって約束してあげる」
約束して驚かずにいられるはずはないのだが、一応マルテに断わりを入れてから、アレを見せることにした。
正直見せるべきかどうか迷った。あまり刺激したくないという理由もあるが、ノルベルトに他者に見せるのを止められているからだ。しかし、多分あれは親衛隊の者達に見せるなという意味だろう。心から信頼できるものになら見せても構わないとも言っていたし、母親に見せるのは問題ないはず。
それに、モニカは、マルテに言わなければならないことがある。
モニカは、念のため誰も聞き耳を立てていないことを確認してからそれを……青い宝石でできた髪飾りをマルテに見せた。
「これ……なんだけど……」
「まぁ、これは……」
マルテは約束をしたため、オーバーに驚いたりはしなかったが、それでも髪飾りを見せられた瞬間に目を見開き、手を口にあてた。
「ノルベルト様にいただいたの。頑張った褒美だって言って……」
「そんな……こんなに高価なもの……」
もっともな意見だ。これは褒美の範囲を軽く超えているものだ。戦争で大きな手柄を立てたならともかく、気まぐれで行った遊びに勝ったくらいでもらえるような代物ではない。
「ノルベルト様はこれが嫌いだったみたいで、手放したかったんだって。女親衛隊ができたら、どの道誰かにあげるつもりだったみたい」
「……そう、確かにすごいお方ね。訓練生の段階で自分の部屋に入れるというのは、信頼しているのか大胆なのか……」
マルテからあの話題はでない。しかし、モニカは話さなければならないのだ。母を裏切るようなものなのだから……。
「モニカ? どうしたの、床に膝なんてついて……」
モニカは髪飾りをベッドの上に置き、自分は椅子から下りて床に膝をついて座った。
「……ごめんなさい、お母さんッ!」
「モ、モニカ?」
モニカは床に頭を打つ勢いで頭を下げ、いきなり母親に向かって謝罪の言葉を口にした。突然の娘の奇行に、マルテは困惑する。
「私、ノルベルト様の親衛隊になりたいの!」
「? ……ええ、おなりなさい? そのために今頑張っているのでしょう?」
言葉が足りず、マルテはモニカがなにを言っているのか理解できない。
「ノルベルト様に言われたの。それを売ればすごいお金になるって。それだけのお金があれば、お母さんの看病をしながら村で過ごすには十分だろうって……」
「……ああ、なるほどね」
マルテはモニカの謝罪の意図を理解し、優しいとも儚いとも言える様な笑みを浮かべて娘を見た。
「それでモニカ、あなたは一瞬でもそれを考えたの? 母のためにこれを売ってしまおうなんて」
「それは当然だよ。だって私はそのために……」
「そう。……モニカ? こっちにいらっしゃい」
マルテに言われて、モニカは立ち上がってマルテに近づいた。そしてマルテの傍にしゃがみこもうとした瞬間、マルテに右頬を思い切りはたかれた。
「お、お母さん。なにを……」
「恥を知りなさいモニカ」
マルテの表情が急に厳しいものに変わり、言葉は責めるように鋭くとがった。
「あなたはまだ正式に採用されていないとはいえ、親衛隊の一人なのよ? それにもかかわらず、母親のために親衛隊になったなんて恥ずかしげもなく言うんじゃありません。ましてや王族の方から……自分の主人から頂いた物を、田舎に住む弱々しい母親のために売り払う? そんなことをすれば末代までの恥です。体は生きていても、名と精神はこの上なく汚れて死んでしまう。あなたはどの面を下げて村の中を歩くつもりですか?」
「お母さん……」
モニカは目に涙をためて母親を見つめた。マルテは厳しい表情をとき、娘を抱きしめられるように胸を開いた。
「親衛隊になりたくて母に謝るくらいなら、そんなことで悲しむ程度の人間だと母を蔑んだことを謝りなさい。……あなたが心から仕えたいと思った人の元へ行くのを、私が止めるとでも思ったの?」
「……お母さぁああぁあんッ!」
瞬間、モニカは母の体が弱っていることを忘れて母の胸に飛び込んだ。マルテは、娘をその病気で弱った体と、強い母の胸で抱きとめ、優しく抱きしめて頭を撫でる。
「ごめんなさい! ごめんなさいお母さん。私頑張る……頑張るから……」
「馬鹿な子……まったく馬鹿で、優しくて……私の愛しい娘……」
二人はベッドの上で抱き合い、涙を零しあった。
その涙の雫を髪飾りが受け止め、青い宝石が美しく輝くのだった。




