第七十五話『裏方の鳥の目』
親衛隊試験に合格し、訓練が始まって間もないころの出来事だった。
ディアナは苦虫をかみつぶしたような表情で、城の周りを歩いていた。
「クソ! 失敗した」
ディアナが後悔しているのは、この間ノルベルトがいきなり行ったゲームのことだ。
ノルベルトを盗賊役のレナーテから守るという単純なゲーム。親衛隊たちはみなレナーテに恐怖し、名乗り出ることを尻込みしていた。
ディアナも手を上げることはなかったが、別にレナーテに恐怖したからではない。
『これはチャンスだ』
そう思った。そう思ったからこそ慎重に行きたかった。誰か一人でもレナーテと一戦行ってもらい、レナーテの出方を伺いたかった。きっとレナーテは、一瞬で勝負を決めに行くことはないだろうと思った。ある程度闘い、ノルベルトに親衛隊たちの力を見せようとするはず。そこに付け込めれば勝利もあり得る……そう思ったのだ。
予想は的中だった。真っ先にモニカとかいうチビが手を挙げて戦い始めたが、レナーテは随分とぬるい戦いを披露していた。これならチャンスはある。しかも、モニカは二次試験を勝ち抜いて残った人間だ。ある程度レナーテに疲労を与えて、さらにディアナに有利な状況を作ってくれるはずだった。しかし……。
『お前の勝ちだ、モニカ』
まさか一戦目で勝ちきってしまうとは思わなかった。これにより二番手以降の出番は一切与えられず、ディアナはせっかくの力を示す機会を失ってしまった。
「ハァ……」
ディアナは頭を抱えてその場に座り込む。失敗してしまった。無様に負けても、真っ先に手を上げるべきだった。しかし、これは結果論だ。今更いくら後悔してもどうにもならない。王子へ自分を売り込む機会はまためぐってくるはずだ。きっと親衛隊長になってみせる。
そう胸の中で決心すると、風が吹いて、ディアナの腕に草が触れた。
「……ふん、雑草畑だな」
ディアナは石階段の上に座っていた。ここは最近散歩をしていて見つけたのだが、昔は花壇だったらしい。階段の両側に広がるように、石に仕切られた土の段が広がっている。そこに生えているのは多くが雑草だ。しかし、球根が残っているのだろう、ところどころに名のある花が咲いている。だがまったく手入れされていないため、どの花も小さく、まばらに咲いている。それは美しさというより、生命力ばかりを感じさせてしまい、花壇としては失敗だと思った。
「……」
ふと横に、雑草に囲まれて苦しそうにしている花を見つけた。周りの草が見事な緑をたたえているのに対し、その花はやはり小さく、弱々しく映った。
ディアナはおもむろに手を伸ばして周りの雑草を抜き始めた。
ディアナの唯一と言っていい趣味が、動植物の世話だ。昔蜘蛛に心を慰められて――一方的にではあるが――から、ディアナは動植物に興味を持つようになった。
ディアナは家を飛び出してから、あちこちに住み込みで働きながら旅をした。誰もが嫌がる力仕事や汚れ仕事が多かったが、期間限定での農家や牧場での仕事は楽しかった。そこで働きながら知識を学んだのだ。
「よし」
目に留まった花の周りの雑草を処理して、ディアナは満足げな表情を浮かべる。いい暇つぶしができたかもしれない。見たところ放置されている花壇のようだし、たまに来て雑草を引き抜くくらい問題ないだろう。後できれば仕切り石を磨いて、まばらに咲いている花を整え、周りの外観も綺麗にできれば……。
「そこまでやるんなら金でも貰わないとねぇ」
誰に言うでもなく呟き、ディアナは笑った。
* * *
「……っふ! っほ!」
ディアナは今日も花壇にやって来て雑草を抜いていた。一日にどこまで進めるか決めながらやらなければ、宿舎に戻るのは夜中になってしまう。それに、あっという間に処理してしまえば、せっかくできた暇つぶしがなくなってしまう。あくまで自分がやっているのは暇つぶし……。別にやりたくてやってるわけではない。そう自分に言い聞かせながらディアナは作業をしていた。
「精が出るな」
「……ッ! だ、誰!? あ」
もう少しで今日の目標まで達成というところで、ディアナは声をかけられた。驚いてみ返すと、すぐに誰であったかを理解し、慌ててその場にひざまずいた。現れたのはノルベルトだったのだ。
「最近この花壇を世話していたのはお前だったのか」
「はい、どうやら放置されていて誰も世話するものがいないようでしたので。手を出さない方がよかったでしょうか?」
これだけ立派な花壇なのだ。放置されているのはそれなりの理由があるかもしれないとは思っていた。ただ、花壇を壊しているわけではないのだから、とがめられたらやめればいい程度に考えていたのだ。ただ、見つかったのがノルベルトだったのは誤算だった。
「いや、世話をしてくれるならむしろありがたい。ここは俺の祖母が管理していた花壇なのだ。他界してからは恐れ多いといって世話をする人間がいないのだ。父上はここでまた花が咲いているのを見たいといっているのだがな」
ディアナは内心ほっとした。花壇をいじって問題があるということはないようだ。ノルベルトはディアナを見下ろしながら言った。
「どうだディアナ? お前がこの花壇を整えてくれないか? 多少は給料も出そう」
「私がですか? 素人ですので、見苦しい花壇が出来上がってしまうかもしれませんよ?」
「構わん。その道の人間が、皇太后の花壇だったと聞くと、震えあがって手を付けようとはしないのだ。そうであるなら、話を聞いてもまるで動じる様子のない素人にまかせるほかあるまい?」
それが自分のことを言っているのだと、ディアナにはすぐにわかった。恐れ多いと考えてしまう人間の気持ちはわかる。だがそれよりも、恐れ多いからと雑草におしくらまんじゅうを食らっている花を見るほうが切ない。給料も発生し、ノルベルトに自分を売り込むこともできる。断る理由はなかった。
「わかりました。喜んで拝命いたします」
「そうか、ありがたい。……そうだ、これも渡しておこう」
ノルベルトはそう言うと、口笛を吹いた。召使でも呼んだのだろうかと思えば、やってきたのは真っ白なハトだった。
「伝書鳩だ。俺は草花に疎い。せっかく俺の部下が管理をしている花壇に、何の花が咲いているのかわからないのではもったいないからな。この伝書鳩を通じて教えてくれ。手紙の言い訳は、父親と手紙のやり取りをしているとでもいえばいいだろう」
「私は、父親とは絶縁しているのですが……」
ノルベルトはそれを聞いて笑った。
「それならむしろ都合がいいだろう。本物の父親から普通に手紙が届くようでは不自然だからな。最初の手紙はお前からだ。花壇について特に記することが無ければ、普段の生活について記してよこせばいい」
そういうとノルベルトはハトを羽ばたかせ、ディアナの肩に飛ばした。ディアナはハトの重みを肩に感じながら、ノルベルトの言った意味を噛みしめていた。
言葉道理の意味のはずがない。ノルベルトがそこまで花壇に興味があるとは思えないし、二度程度顔を合わせた者の生活に興味があるはずもない。これは、親衛隊たちの様子を観察して報告せよと言っているのだ。
親衛隊に最も身近で、最も怪しまれずに観察できる人間。それは親衛隊の中の人間以外ありえない。無論、ノルベルトもいきなり自分の報告を真に受けたりはしないだろう。ディアナの手紙の内容を吟味し、厳密に調査し、信頼に値するものであるか調べるはずだ。
嘘をかいていないか? 不足している情報はないか? 解釈に間違いはないか? 報告文章に問題はないか? 親衛隊を探る手がかりの前に、ディアナのことを探る手がかりとして使うつもりなのだ。
この場に居やわせたことは偶然で、こんなことを提案するのも気まぐれかもしれない。だが、偶然でも気まぐれでも、その対象がディアナであることだけは間違いはない。
ノルベルトはディアナを試そうとしている。ならば、ディアナは受けて立つのみだった。
「わかりました。鳥の目の役……喜んで拝命いたします」
ノルベルトは一瞬目を見開いたが、最後にニコリと微笑んでいった。
「頼んだぞ」
* * *
鳥の目を引き受けてからすぐにディアナは行動を起こした。影に身をひそめ、仲間たちのことを調査し始めたのだ。ルームメイトのエーフィは勝手に自分のことを話すから調べやすい。エーフィの話で他の仲間の情報を得ることもできる。だが、基本的には自分で調べなくてはならない。エーフィから情報を得るにしても、その情報には自分で裏付けできるものを探した。
まず調べ始めたのは、仲間たちの普段の行動だ。ノルベルトがまず先に知りたいのもこのあたりだろう。訓練以外でどこにいるのか? 何をしているのか? 誰と一緒に居ることが多いのか? それらをこっそり尾行しながら調べ上げ、普段の生活として何気なく伝える。
『今日図書館に行くとクララを見かけました。花の資料を探しに行ったのは三回ほどですが、三回とも見かけたので、いつもそこにいるのでしょう。勉強が好きな奴とは相いれません』
本当は何日も通って裏を取っている。
『伝書鳩を飛ばすと、近くにカルラの姿を見つけました。絵画の試験で合格したからでしょうか? 暇さえあれば筆を取って何かを描いているようです。あたしには絵を描く趣味はないな』
非公開で行われた試験については、即日すべて調べ上げた。
『訓練をしていると他の者達と比べてしまいます。一般人上がりの者ばかりですし、苦労しているようですね。まあ中には小さい体で頑張っている者もおりますが』
訓練の様子も当然伝える。私情によって他の者をわざと低評価にするわけにはいかない。客観的に認めるべきところは認める。
「これからの季節なら植えるべきはあの花か……。彩りを考えるなら補色を意識しないと。それならば色の種類が多いこの花は便利だな。まあ、まずは生命力あふれる雑草を処理して、土に栄養を混ぜなくては……」
手紙のやり取りの建前とはいえ、花壇の世話をおろそかにするわけにはいかない。
訓練と仲間たちの調査と花壇の世話……二足の草鞋どころではないが、やるしかない。自分の力を主張する機会を無駄には絶対にしない。
それに、花壇の世話は……純粋に楽しかった。
そんなある日、ノルベルトからの手紙にいつもとは違うことが書かれてあった。
『エーフィが傷ついているようだ。傍にいるものとして、心がけてほしい』
詳しい状況も書かれてあった。そこまで落ち込むべき内容ではないと思ったが、手紙をもらってその日にエーフィを見ると、なるほど傷心していた。今にも泣きだしそうなその顔は、何を聞かなくてもショックを受けていることはすぐにわかった。
「心がける……か」
心に留めておいてほしいということなのだろうが、ディアナは慰めの言葉などかけられない。そんなことを生れてこの方したことがないし、自分でも口が悪いことは重々承知している。そんな自分なのに、どうやって心がければいいのか……?
ディアナはとりあえずエーフィの様子を観察することにした。夜遅くまで弓の練習をし続けるエーフィに隠れて付き添い、エーフィが無事に宿舎にたどり着いてから自分も部屋に帰る。話しかけられれば少しくらいは話しに付き合うようにしてやり、夜中に目を覚ましてもそっとしておくことにした。
「これじゃ……ダメか」
実際傍にいるだけでは、何にもしていないのと変わらない。何か直接的なことをしなくてはダメだ。そう考えてディアナは、ダリアの花を枕元に飾ってやった。
花なんて飾って何が変わるものか……そうは思ったが、他に何もできなかった。
そしてエーフィが、自分の中で決着をつけたあの日も、ディアナは訓練場の脇に隠れていた。モニカに見つかった気がしたが、木のせいだったと思ってくれたらしい。
訓練場の傍に隠れていると、ノルベルトがやってきたので声をかけた。
「ノルベルト様、今夜は良い夜ですね」
「ディアナか。心配で駆けつけてきたのか?」
「ええ、心配でございます。ノルベルト様にもしものことがあれば大変ですから」
「そうか、そんなにエーフィのことが心配か」
ノルベルトが話を聞いてくれない。何度か実際にあって会話をする機会があったが、この人はこうやってからかってくることが多い。一番多いのは、お前は本当に生き物が好きだなという言葉だ。
「ハトが帰ってくると、速く返事をかけと私の指をつつくのだ。どうやら、お前のもとの方が居心地がよいらしい。それだけ気に入られたのだろう」
「私は脳みそが軽いですから、仲間だとでも思われているのでしょう」
ノルベルトは小声で笑って立ち去って行く。
「案ずるな。エーフィならば大丈夫だろう。お前の手紙からそれが感じ取れる」
「心の弱い……いえ、不安定な奴です。芯がしっかりしているかと思えば、くだらないことで乱れてしまう。……これは、他の面々にも言えることです」
ディアナはこれまで仲間たちを調べた中でそれを感じていた。皆信念を持っており、能力もある。己の愛することにまい進する真面目さには、思わず拍手を送りたくなるほどだ。
だがふと、ディアナから見ればどうでもいいことで躓いているように見えてしまう。
カルラは自分の不遇を恨み切れていない。
エーフィは自分の力に正義を求めすぎる。
ニーナは不当な差別を当然と受け入れてしまっている。
フレイヤは能力があっても、度胸と自信が足りない。
みな自分のせいにし過ぎている。皆悪ともいえない行動を悪として己を攻めている。
性格から言って、モニカやクララも何かをきっかけとして同じところに落ち込むような気がする。皆まじめすぎるのだ。
「揃いも揃って力はあるのに図太さが足りない人間ばかり。どうして開き直れないのかと不思議でなりません」
「類は友を呼ぶというだろう? 自然と集まったのさ……お前も含めてな」
やはりノルベルトは話しを聞いてくれない。今の話のどこを聞いたらそんな解釈になるのか?
「あたしはそんなところに落ち込みませんよ」
「そうかな? 例えばお前が大切にしている生き物が、どうしようもない力で襲われたとき、お前は自分を責めると思うぞ」
「それは……ん」
それはいつだったか……とても小さい時に実際に味わった経験だった。確かにあの時、ディアナは自分を責めた。守り抜くと誓った蜘蛛を守れなかったとき、とても悲しかった。あの後、立ち直れたのは優しい言葉だった気がする。そう、今聞いている声をもっと幼くしたような……。
「どうした?」
ノルベルトに声をかけられ、ディアナは首を横に振った。
「私はそんな人間ではありません」
ディアナの返事に、ノルベルトはまた笑った。そして弓術場に入っていく。
「またなディアナ。お前の手紙を楽しみにしているぞ」
姿勢をただし、ディアナは頭を下げる。
「はい、お役にたてるように鳥の目を光らせております」
* * *
ノルベルトは、『私は実力で劣っているつもりはありませんからね』と走り書きされた手紙を見つめていた。
ゲルイセン王国の親衛隊は、特別な権限と位を与えられて、どこか華やかな雰囲気がある。だが、本来親衛隊というのは裏方の仕事だ。主の盾となり剣となる。周りの人間が見るのは親衛隊ではなく、親衛隊が守っている人間だ。
ゲルイセンの親衛隊の基本は主に絶対服従。どんな命令や扱いを受けてもそれを受け入れなければならない。華やかさすらあるゲルイセン王国の親衛隊でも、泥にまみれることは大いにある。
ディアナは己の存在を強調せず、裏に徹することができる人間だ。機会さえ与えられれば己の力を存分に見せつけるが、そうでなければ後ろに控えて、私情を挟まずただ報告をする隠密にもなれる。
最終的にはモニカを親衛隊長に選んだが、ディアナも十分親衛隊長になりえた人間だ。最後まで伝書鳩の存在をごまかしきり、モニカの親衛隊長就任に不平を漏らさなかった点からもそれを確信できる。
「副隊長の任命権は隊長にある。だが、副隊長がディアナであったなら、一番まとまりが取れた隊になるだろうな」
ノルベルトはそう呟いてから手紙の返事を書き、ハトを飛ばした。




