第七十六話『七色の音』
モニカはディアナと再戦した日の夜、右腕をさすりながら歩いていた。中盤でディアナに思いっきりもらった一撃がいまだに効いている。他の箇所の切り傷よりはるかに気になる痛みだった。骨には異常はないだろうが、数日残るかもしれない。
「夜中に傷を負った女が歩いているのは少し怖いな」
「え!? ノルベルト様!」
井戸に向かって歩くモニカの目の前に、ノルベルトがいきなりあらわれた。切り傷だけでなく、あちこちに泥をつけた情けない格好だから、できれば見られたくはなかった。しかもあちこちの服も破けてあられもない姿だというのに……。
「その傷はどうした? 服まで破けてボロボロじゃないか」
「あの……少し転びまして……えへへ」
我ながら下手な嘘だと思った。すぐに看破されてしまったのだろうが、ノルベルトはそれ以上聞いてこなかった。
「そうか。傷と汚れを洗ったら、医務室に行ってこい。夜中でも担当の者がいるはずだからな」
「はい! ありがとうございます」
元気良く返事をすると、ノルベルトは微笑んだ。
「土にまみれながら、元気良く騒いでいる姿が一番よく似合うなお前は」
「それは……子供っぽいということでは……?」
「そうともいうな。ハハハ!」
ノルベルトはそう言って笑った。モニカは頭をかきながら顔を赤らめる。すると、スッとノルベルトの手が伸びてきてモニカの髪を揺らした。
「っわっわ! どうされました!?」
「綺麗な髪だ。泥に汚すのはもったいない……」
茶化すような雰囲気などなく、ノルベルトはしみじみとそういった。これにはモニカもまじめな表情をして返す。
「お褒めに預かり光栄です。しかし、私たちはこれから正式に親衛隊となります。主の代わりに泥にまみれるのは本望です」
ノルベルトは優しくうなずいてモニカを見据えた。
「そうだな。それが分かっているからお前に安心して隊長の座を任命できる」
「あ、お礼の言葉が遅れてしまいました! 私なんかを親衛隊長に選んでいただき、ありがとうございます!」
モニカはまだそのことについてお礼を言っていないことを思いだし、頭を下げて礼を言う。ノルベルトから吹き出す声が小さく聞こえた。
「お前は本当に素直に気持ちをあらわにするな。誰かさんとは違う」
「誰かさん……とは?」
ノルベルトはそれには答えずに、後ろを向いた。
「お前、俺が渡した髪飾りを律儀にまだ持っているそうだな?」
「はい! 私の宝物ですから」
「では三日後の就任式には、その髪飾りをつけてくるといい。今なら俺が髪飾りを渡した事実を知っても、それに嫉妬する人間はいないだろう」
「髪飾りを……? わ、分かりました」
思いもよらない言葉だったので、モニカは少し言いよどんだが、ノルベルトの言葉を了承して頭を下げた。
ノルベルトが立ち去ると同時に、モニカは頭を上げて呟いた。
「ノルベルト様……あの髪飾りはお嫌いだって言ってたような……?」
* * *
時間はあっという間に過ぎる。初めてこの宿舎に入ってから一年とちょっとだが、親衛隊たちは初めてこの場所に来た日のことを昨日のことのように覚えている。
一年があっという間なら、三日という時間は瞬きをする間に過ぎてしまうだろう。就任式の日には、どの部屋にもあわただしい音が響いていた。
「ねえカルラ? 後ろちゃんと着れているかしら? 鏡じゃよく見えなくて」
「今描いてる……描けた」
「相変わらず早いわね……。うん、ばっちりね。カルラも見てあげるわ」
モニカの親衛隊長の就任式は、同時に仲間たちの親衛隊任命も兼ねている。今まで仕事で制服を着る機会もあったが、こういう晴れ舞台できるのは初めてのため、皆気合が入っている。
「よし……と。カルラも問題ないわね。似合っているわよ。さあ最後はモニカよ……あら」
「どう……かな? ちゃんとつけられてるかな?」
モニカはクララとカルラがお互いを見あっている間に、髪飾りを取り出して自分の髪に挿したのだ。初めてつけたので、うまくいっているか分からない。
「ええ……そうね。ちゃんと挿せているわ、綺麗よモニカ」
クララは一度頷いてから、余計なことは何も言わなかった。
「そろそろ行こう」
カルラも特に何も聞いてくることはなく、ドアを開けて廊下に出る。
「おっそいよ三人とも~。みんな待っていたんだから~」
ニーナの間延びした声に迎えられて、三人は廊下に出た。ニーナの言った通り、仲間たちはもう全員廊下に出ていた。
「あれ? モニカさん、その髪飾りは……?」
「あ、隊長に就任するから買ったの? 結構奮発したね?」
エーフィがまず髪飾りに気付き、フレイヤが興味深げに覗き込んでくる。
「ううん、買ったんじゃないんだ。実は……ノルベルト様のゲームに勝った時に、これをもらっていて……」
「へぇ~! いいねぇ、すっごく綺麗だよ」
「お前の小さい体に似合わずでかい髪飾りだな。潰されるなよ」
「……後でつけているところ描かせて」
モニカの話を聞いても、特別大きな反応をする人間はいなかった。みんなそれよりも、この後の就任式のことが気になっているのだろう。
「さあ行こう~! っと、ここは隊長殿の仕事だね」
ニーナが先頭を切りそうになると、すぐにモニカに先を譲った。モニカは周りを見渡してから、一番前に進み出る。
「行こう皆! ノルベルト様が待ってるよ」
「おー!」
全員が返事をして、モニカ達は王宮の中を目指して歩き出した。
式場につくと、すぐに式が始まった。主役はもちろん親衛隊達だが、話をするのは大臣やら将軍やらで、親衛隊たちは基本的に座っているのみだった。
ただ一人、モニカだけが隊長就任のあいさつをすることになっている。文言はすべて暗記しているから問題ない。
式は進み、やがてモニカの挨拶をする番となった。
席に座って控えていたモニカが立ち上がり、主ノルベルトの待つ玉座の前へと進み出る。
モニカが前に進み出ると、わずかにどよめきが起こった。すべては予定通りの行動なのだから、どよめくのは少しおかしい。
(なんだろう? 何か失敗したのかな?)
変に思いながらモニカは前に進み出て、王族の前に跪く。
「では、これより親衛隊長就任の儀を行う。モニカ・ライヤー顔を上げよ」
「はい!」
モニカは返事をして顔を上げる。見上げた先には、国王陛下フリッツと女王陛下カミラ。そして第一王子のオスカーと、第二王子であるノルベルトが座っていた。
顔を上げろと言ったのはフリッツだったが、その表情は若干重たい。モニカはやはり自分が何かしでかしたのかと、少し肝を冷やす。
フリッツが話を続けた。
「では、王族女性親衛隊長就任の儀を始める。就任にあたり、伝統として証である髪飾りを授ける……が」
髪飾り……。フリッツは間違いなくそう言った。しかし、髪飾りと言えば……。
「ノルベルト、形にはまらないのがお前のいいところではあるが、就任式で髪飾りを渡すのが伝統だぞ。いくら隊長を任命したからと言って、式の前に髪飾りを渡されたのでは困る」
え? ……え? 国王フリッツの言っていることが頭に入らない。
「父上、私はまだ髪飾りを、隊長の証として渡してはいませんよ」
「何を言っている。現にモニカ・ライヤーの頭にあるではないか」
「あれをモニカに渡したのは一年前です」
ノルベルトの言葉に、式場がどよめく。そのどよめきは、モニカの心臓の鼓動を速めた。
「な……に? 一年前だと? 一年前に渡したとはどういう……?」
「言葉通りです。一年前にゲームに勝った商品として、モニカに授けました」
どよめきは大きくなる。事の重大さに気づいて、親衛隊達まで口をあんぐりあけてしまった。
「あれは親衛隊長に送られる特別な代物だぞ? それを渡したのか?」
「モニカの境遇を聞いたら哀れでしたので、売りさばいて金にすればよいと思い渡しました」
フリッツは少し沈黙した。その沈黙の重みで、式場全員の人間が息を飲んだ。
「……ノルベルト、それだけの理由で髪飾りを渡したのか?」
「金で立ち去る人間などいりません」
ノルベルトはモニカを見た。
「俺の部屋につくまでに、モニカと少し話をしました。境遇を聞いて哀れに思いました。病気の母のために、なりたくもない親衛隊を目指したというのですから」
ストレートな言葉に、モニカは慌てて弁明したくなる。しかし余計な言葉を口にできる雰囲気ではない。ノルベルトは続けた。
「哀れには思いました。そして不安にも思いました。金を手に入れさえすれば立ち去るというのなら、金を手に入れた後でも、俺の親衛隊としてとどまってくれるのだろうかと」
ノルベルトはモニカの髪飾りを見る。
「俺は試すことにしました。モニカが資金を手に入れた後でも、俺に仕えてくれるかどうかを試したんです。親衛隊を試すにはおあつらえ向きに、部屋には親衛隊長の髪飾りがありましたので、嘘八百を並べてそれを手渡しました」
大金になるという話は本当だといって、ノルベルトは笑った。
「モニカは、それを受け取っても俺に仕えることを選んでくれました。そして、これから人一番努力すると誓ってくれたんです。その言葉通り、モニカは訓練に力を入れてくれました。金の保障があるというのに、それを当てにして手を抜くことなく、俺のために精進してくれたんです」
ノルベルトは嬉しそうに微笑んだ。
「モニカは己が努力するだけでなく、俺の親衛隊を一つにまとめる努力までしてくれました。仲間たちとつながりを持ち、連帯感を生み、共に成長し、強くなってくれた。それはモニカの功績だと考えております」
モニカの後方で、仲間たちは目をつむって頷いていた。
「俺は売ってしまえと言って髪飾りを渡しました。実際売るものだとばかり考えていました。ただ美しいだけの石を手元に持っていて喜ぶのは金持ちだけです。金が必要な者が手にしたなら、売るのが普通だと思います。ましてや、具体的に必要な事柄があるならなおさらです。それでもモニカは売らずに手元に持っていてくれました」
ノルベルトは、今度はモニカの瞳を見た。
「俺はその髪飾りは目障りだ。売ってしまえと言っただろう? なぜそうしなかった?」
「ノルベルト様に頂いた大切なものです……売り払うなどあり得ません」
「これです」
ノルベルトは国王フリッツを振り返った。
「嫌いだから売り払えと渡したものを、忠誠を裏切ることになるからとモニカは決して売りませんでした。愛すべき母が病魔に苦しみ、今まさに命絶えようとしている時にも手放そうとはしなかった。それが本来の目的であったはずなのにですよ? これほどの忠誠はそうはない」
ノルベルトは改めてモニカに向き直る。
「モニカ、初めて渡した時。俺は別にお前に才能を認めたわけでも、特別な存在としてみたわけでもない。だが今、俺に最も深い忠誠を誓ってくれているものとして……俺に最も近い存在である親衛隊長の証として、改めてその髪飾りをお前に渡そう」
「ノルベルト様……わた……し……」
モニカはずっと限界だった。すべてを察したその瞬間から、気絶するのをこらえるので必死だった。だが、ノルベルトの最後の言葉で、モニカは耐えきれなくなり、一つ言葉を言うので精いっぱいになってしまった。
「喜んで受け取ります」
それを口にして、モニカは気を失った。
* * *
真っ暗な医務室の中。モニカはそこで目を覚ました。
「うぅん? ここは……」
「医務室のベッドの上だ」
「ひゃあ! にょるべると様ッ!」
目を開けるとすぐ横にノルベルトがいたため、モニカは紙ながら飛び上がってしまった。その時に、髪飾りも一緒に揺れる。
「あ……」
「医者が恐れ多いといってそれを外さなかったのだ。お前の仲間たちも断りなく触れないといっていた。他の者がそう言っているのに、俺が触るわけにもいかないからな。つけたままで寝かせておいた」
「あ、あのあのあの! わ、私どうしたらッ!」
「親衛隊長として俺を支えてくれればいい」
「あ……ぅ」
なんだか今日この瞬間まで、自分が親衛隊長に選ばれたのだという実感がなかった。ディアナのこともあったというのもあるだろうが、実際に形あるものでそれを授けられると、違った感覚がある。
「式の最中に気を失うのは前代未聞だそうだ。ふふ、当然だろうな。後で始末書を書かされるんじゃないか?」
「……初仕事が始末書の作成ですか?」
「そうなるな。ハハハ!」
ノルベルトはそう言って笑った。つられてモニカも少し笑ってしまった。
「なんにせよ、お前が親衛隊長に選ばれたのだ。せいぜい俺に楽をさせてくれるように頑張れよ」
「はい! もちろんです」
その返事にノルベルトはクスリと笑う。
「いい返事だな。ではこれから俺は、父上と母上、それから兄上にも叱られに行かねばならないが、付き添ってくれるか?」
「うえ? あ、あのあの! まだ胃が痛いと言いますか! どうしてもとおっしゃられるなら横に控えておりますが、きっと何もできずに聞いているしかないかとッ!」
「ハハハ! 冗談だ。一人で来るようにと言われているから気にするな」
ノルベルトはそう言って笑ってモニカの頭を撫でる。撫でられるたびにモニカの頭はくらくらと揺れて考えがまとまらない。やはり一緒に行くことはどのみちできなさそうだ。
「……では、俺はもう行く。しっかり休めよ」
なぜかノルベルトは小声でそう言ってから立ち上がり、ドアにこっそりと忍び寄った。
「……こえな……どうなって……」
「おさな……いた……ない!」
耳を澄ますと、何やらドアの向こうで話し声が聞こえる。ノルベルトはそのドアを勢いよく開け放った。
「うわぁ! いった~!」
「だから押さないでって言ったでしょ? もうー!」
ニーナとクララ他、仲間たちが全員医務室の中に倒れこんできた。どうやら盗み聞きしていたらしい。
「春もまだはじめだぞ? 廊下で聞き耳を立てるには寒かったんじゃないか?」
「な~にが。部屋の中がアツアツだったから気にならなかったよ~だ。……です」
ニーナが一瞬ため口を聞いてから、とってつけたようにですをつけた。
「まあいいさ。モニカをしっかり宿舎まで送り届けてやれよ。ではな」
そう言ってノルベルトは立ち去って行く。
「ふ~んだ。ベルのくせに生意気~」
「ニーナ! ノルベルト様とベルのことに気付いたの!?」
「この前着替えてるのを偶然見ちゃったんだよね~。全く、幼馴染に自分のことを様つけて呼ばせるなんてスケベだよね。スケベルだよスケベル」
「それでも、着替えてるところを見なくちゃ気付けなかったのね……」
「ニーナさんらしいと言えばニーナさんらしいですけどね」
クララとエーフィが互いに見あいながら笑った。
「そこ、二人聞こえてるよ! まったく……」
ニーナは少し拗ねたように壁を見てから一言つぶやいた。
「まあ、ベルが私に守ってほしいっていうなら、断る理由はないよね」
そんなニーナの言葉を聞いて、モニカは少し吹きだした。
「ベストシーン……描けてる」
「え! ッえ! 部屋の中ではこんなことがッ!」
「ねつ造だろう? こいつは結構絵で遊ぶから気を付けたほうがいいぞ」
カルラの描いたノルベルトとモニカのキスシーンに、フレイヤが顔を赤くして、ディアナが冷静にツッコミを入れる。
「さて、とっとと帰ろうぜ。明日からは正式な親衛隊としての仕事が始まるんだからな」
「うんそうだね。帰ろう!」
ディアナに言われて、モニカ達は宿舎に引き上げていった。そう、明日からは全員正式な親衛隊なのだ。今日までとは違う。
そして次の日……。
「さあ、今日の訓練を始めるぞ。全員整列!」
レナーテの掛け声で、全員が集まる。
「なんで一日目から普通に訓練なのー」
ニーナが少し不満げな声を上げる。レナーテが鋭い視線でそれをたしなめた。
「仕方ないだろう。まだ勤務体系の作成ができていないのだから。文句はお前たちの主に言え」
男の親衛隊との仕事との調整に時間がかかっているらしく、モニカ達はしばらくはまた訓練の日々を過ごさねばならなくなった。これでは実感も何もあったものではない。
そんな少し気が抜けた親衛隊たちのもとに、ふらりと一つの人影が現れた。
「なんだ、正式に採用されたというのに、ずいぶんつまらないことをしているな」
「ノルベルト様……」
現れたのはノルベルトだった。ノルベルトの姿を認めると、レナーテは顔をしかめる。
「自分の怠慢を棚に上げてよくそんなことが言えますね。だいたい正式採用をとっくに決めていたのなら、もっと早くから調整をですね……」
「あー、あー、わかったわかった。すまなかった。昨日はこってり絞られて参っているんだ。今日は怒鳴らないでくれ」
レナーテにそう言いながら近づき、ノルベルトは親衛隊たちを見渡した。
「初日にいきなり訓練だけというのはつまらないだろう? どうだ? ゲームをしてみないか? 商品も出そう。早い者から順番に挑戦させてやる」
この流れが完全に一年前のやり取りで、親衛隊たちは吹きだしてしまう。これが、自分たちの主、これから守っていかなければならないノルベルトなのだ。
「やりたいものは手を上げよ」
「はい!」
親衛隊たちの七色の声が綺麗にそろい、春の空に溶けて広がった。




