第七十三話『確定』
モニカは暗闇の中にいた。モニカはすぐ夢だと気づく。
暗闇の中に光が浮かび上がって、そこにはベッドに横たわる母マルテの姿があった。
モニカが声をかけようとした瞬間、マルテの胸に剣が突き刺さった。赤い血をほとばしらせ、悲鳴を上げるマルテ。そして声が響く。
『悲しいだろう? 苦しいだろう? お前の母親は死んだ』
何時だったか聞いたことがあった声。どこかで感じたことがあった気配。それが今モニカを包み込んでいた。
『絶望せよ。失意して泣き叫べ! お前は目的を果たせなかったのだ』
「楽しい?」
うるさく叫ぶ声に対してのモニカの返事は静かだった。
モニカはつかつかと悲鳴を上げるマルテに近づき、それを見下ろして声をかける。それは母親にかける言葉ではなかった。
「絶望を叫んで、悲劇を囁いて、そうやって人を見るのが楽しいの? 人が成長するのに、試練は確かに必要。困難を乗り越えることによって人は大きく強くなる。でもそれは生きていればおのずと降りかかってくるものであって、あなたに仕掛けてもらうようなものじゃない」
暗闇の中のマルテは悲鳴を止めてモニカを見返した。モニカに自分の招待が見破られたことに気付いたからだ。
モニカは小太刀を抜く。
「ずっと感じていた。何かがおかしいっって……。何か暗いものが私たちのことを監視しているってね。あなたは悪魔。平穏な湖に荒波を起こそうとする悪魔。あなたみたいな存在を私たちの周りには……ノルベルト様の周りにはいさせない!」
『小娘がぁああああ』
マルテの姿をした悪魔が牙をむく。モニカの刀がその悪魔の首を一閃した。
悪魔はぱたりと倒れて沈黙する。
「ふぅ……う。う……うぁ……」
母マルテは死んだ。悪魔の言葉は夢でも。それだけは夢ではない。その現実にモニカは泣いた。夢の中ではうまく感情を制御できない。悲しいと思えばとことん悲しみに沈んで涙がこぼれてしまう。
その時、青い光がモニカを照らした。
『大丈夫』
優しい声だった。スッと悲しみが引いていくほどにやさしい声……。
『この世界は……あなたたちが支えきったこの世界は優しさに満ちている。あなたたちが世界を守ってくれたお礼に、奇跡を一つあげましょう』
何のことか分からなかった。分からなかったが、モニカは安心して目を開けることができた。
「おはようモニカ」
目を覚ました先から声をかけられた。一瞬クララが声をかけたのかと思ったが、声が大人っぽかったのですぐに違うとわかった。誰だろうと思って目をこすってよく見てみると、マルテがモニカを笑顔で見下ろしていた。
「お母さん……お、落ち着いたの?」
発作の様子からもう無理かと思ったが、また持ち直したのかもしれない。そう思ってモニカは言ったが、クララの父親が興奮気味に声を出した。
「治ったんだよモニカちゃん! 治ったんだっ!」
「え、治った?」
治ったとは何が? え? 病気が? あれだけ治らない治らない。不治の病だから絶対に助からないと言われていたのに?
「クララと病院に行く途中で、その病院に勤めている医者に会ったんだ。それでこれだけ早く来ることができたんだよ」
部屋を見渡せば医者らしき男が道具を片付けている途中だった。
「家につくとお二人はお話し中だったようなので、それが終わるまで入室は遠慮しました。すみません、少し聞こえてしまいました」
医者が頭を下げた。クララはその医者の横で釈然としない顔をしている。医者はあなたを上げると説明を始めた。
「海外から新しい薬が入ってきましてね。国がまだ認可を出していないので世には出回っていませんが、王族に仕える方のご家族ですので、特別に許可が下りました」
モニカは視線を医者からマルテに移す。マルテはニコリと微笑んでモニカを見下ろした。
「薬を飲んだら苦しいのがすぐに収まったの。本当に波が引くように苦しいのが消えてしまったわ」
「じゃあ……本当に治った……の?」
「ええ、もう平気よ」
「よか……った。よがっだよー!」
目から大粒の涙をこぼしてモニカはマルテに泣きついた。
それを見てからクララの父親は部屋を出ようとする。
「村のものにも報告してくる。みんな喜ぶだろう」
「薬のことは内密にお願いします。何分まだ表に出ていない薬ですので……」
「わかっています。では行ってくる」
医者に注意を受けてから、クララの父親は部屋を出ていった。つれて医者も腰を上げた。
「それでは私も報告がありますのでこれで……」
「まって」
部屋を出ていこうとする医者を、クララが呼び止める。
「おかしいわ。あなたは何者なの?」
「医者ですとも」
「医者なのは本当としても、ただの医者じゃないわ。不審な点が多すぎる」
怪訝な顔をしていたクララが医者を見ながら問い詰める。
「どういうことなのクララちゃん?」
「この人は、道ですれ違った時に私たちを引き留めたの。病院から来たものですがマルテさんのお家はどこですか? って。村は確かに人が少ないけど、こんなはずれに来るまで誰にもすれ違わないほど誰も出歩いていないわけじゃない。それなのに病院に行こうとしていた私とお父さんをピンポイントで呼びとめる? まるで私たちを病院に行かせまいとしたみたい」
クララの指摘に医者が口を開きかけたが、それより早くクララが言葉を続ける。
「家についたら家についたで、モニカとおばさんの会話の邪魔をしたくないからとドアの前で気配を殺して話を聞くいたわ。もうどうしようもなくて、最後の会話をさせたいというならそれもわかる。でも治療薬ができて、一刻も早く処方しようとして馬車に乗ってやってきたのに、そんなことをするかしら? 会話の邪魔をしたくないくらいで、薬を飲ませるのを遅らせるわけがない。会話を聞かなくちゃいけないような理由でもあったのじゃないかしら?」
そこまで言われてモニカとマルテもおかしいと思い始めた。クララはまだ続ける。
「そして一番おかしいのはおばさんの病気が治ったこと。治るのは当然嬉しいし、それが悪いわけじゃ全然ないけど、これはおかしいわ。ありえない!」
クララはマルテの横に立って、手でマルテを指す。
「ぴんぴんしてるわ。ほんの数分前まで病魔に侵されて弱り切っていたはずなのに、こんなにすぐに元気になれるものなの? いい薬にしたって治るのも早すぎる。初期段階ならいざ知らず、おばさんは今日とも明日ともわからない状態だった。そんな患者が薬の処方だけで治るものなの? それも一度薬を飲んだだけで、こんなにまで完全に?」
そう、マルテの回復には確かに不思議な点があった。マルテは笑顔でモニカに声をかけたが、内心少し動揺もしていた。あれだけ苦しかったのに、なぜ? と。
医者は一つ大きなため息をついてから床に座り込んだ。それまではどこかいそいそとした様子だったが、床に座り込んだとたんに急に態度が変わった。
「さすがに頭が切れるな。いや、冷静ならだれもが感じる不審点だ。頭が切れるというより、冷静に分析しきったことに感心するべきか。だが、ばれてしまった方が遠回しな言い方をしないで済む。マルテというそうだな? これから一年は、少し病弱なふりをしてもらわなくてはならない。たとえ健康でもな。いいか? どれだけ健康でも具合が悪い演技をしろ」
「え? え? なぜですか?」
「う、うん。なんでなんですか? 先生」
マルテとモニカが頭の上にクエッションマークを浮かべて首をかしげる。その様はそっくりで、まさに親子という風だった。
「やっぱりあの薬は特殊なものなのですね? もしやノルベルト様の……?」
「なんでノルベルト様の名前が出てくるの?」
突然ノルベルトの名前が出てきてモニカが焦る。焦るモニカと対照的で、医者はすっかり諦めきっている様子だった。
「本当に察しがいい。ノルベルト様も一目置くわけだ」
医者は一つ咳払いをして話し始めた。
「だまっていろと言われたが、私は知っておくべきだと思う。それを知り、それを背負っていくくらいの責任はお前たち……特に赤い水を飲んだあなたには持ってもらいたい」
医者はそう言ってマルテを見た。そんな中でクララが医者の言った言葉に反応した。
「赤い……水ですか?」
「お前たちが城を出た後の話だ。私が……王家の担当医である私が、ノルベルト様に呼ばれた」
その言葉に全員が息を飲んだ。
* * *
「治療してこい……と、おっしゃいましたか?」
「ああそうだ。今から馬車でモニカ達を追いかけ、症状を見て治療せよ」
ノルベルトは医者を呼びだすとそう命を下した。だが、ノルベルトが調べた話をまとめると、マルテがかかっているのは不治の病だ。治療せよっといっても無理がある。
「お言葉ですがノルベルト様。現代医学でその病気を治すのは不可能でございます。症状が末期に突入しているのならなおさらです。命を引き延ばすこともできず、せいぜい痛みを和らげるくらいしか……」
「今モニカは俺への忠義を握りしめている」
「……はい? 今なんと?」
突然ノルベルトが文脈に沿わない言葉を口にしたのであっけにとられてしまう。ノルベルトは続けた。
「俺は依然あいつにあるものを渡した。それさえ売り払えば母親の薬代はもちろんのこと、入院費までまかなえるだろう代物だ。だが、いまだに仕送りを続けているのを見るに、いまだ手元に持っているのだろう。売らないことで俺への忠義を守っているつもりなのだ」
ノルベルトはわずかに微笑んだ。
「しかし、いざ母親の最後となれば天秤にかけざるを得ないはずだ。どうせ売ってしまえと渡したものだし、俺からあれの話をしたことは一切ない。そんなものを大事に暖めておくより、母親の鎮痛剤でも買ったほうがマシだと考えざるを得ない。俺ならそう考える」
ノルベルトは医者に視線を向けた。
「もしモニカが忠義を売るという選択をしたなら、医学でできる限りの力になってやれ。痛みを抑え、せめて別れだけでも安らかなものにしてやるのだ。だがもし……、モニカがそれでも忠義を貫く選択をしたなら、あれを使ってでもモニカの母を救え」
「そんな! あれとはまさか赤い水のことですか!? あれは王族一人に対して一度しか使えない秘薬です。たかが田舎娘の母親などに……」
「もしモニカが母親より俺への忠誠を選ぶなら、モニカはこれ以上ないほど俺の大切な親衛隊となる。となれば、何か褒美をやりたいと考えるのは自然なことだろう?」
ノルベルトは真剣な目をして言い放った。
「モニカを試す」
* * *
「赤い水とは、我が国に伝わる秘薬だ。一説には不死鳥の血だとも言われている。大昔の国王が、国の財産の多くを手放してまでで手に入れた水だ。どんな怪我や病気もたちまち直してしまい、一滴で数日は怪我もしない。王族一人に対して一度しか使用は認められないが、王族は自分の使用権を放棄して他者を一度だけ救うことが許されている」
「そ……そんな。そんな大切なものを私などに……?」
マルテが顔面蒼白になって震えだす。病気に苦しめられていた時の方がまだ顔色がよかったと思うほどに。医者は笑った。
「恐れ多いだろう? 王子は伝えぬようにと言っていたが、お前にはその重圧に耐えるだけの義務があると俺は思う。せいぜい長生きするのだな」
「……はい」
震える声でマルテが返事をした。対してモニカとクララは驚きのあまり声も出せなかった。医者はそんな二人に向き直る。
「伝えぬようにといった相手はお前たちも含まれている。実際、このことは誰かに言ってはならない。だがお前たちがどんな主人に仕えているのかということはよく分かっただろう? 親衛隊となったなら、忠義を貫け。俺から言えることは以上だ」
「はい!」
二人は気を引き締めるようにそう言った。
「では俺は行く」
医者はそう言って部屋を出ていった。
三人はしばらく言葉もないままそこに座っていた。しかしモニカがあるものを見つけて声を上げる。
「あ、帽子忘れてる」
医者は部屋の中に帽子を忘れていた。あれだけの話をした後だったから、慌てて忘れてしまったのだろうか?
「今追いかければ間に合うかもしれないわね。届けに行きましょう」
「あ、では私も改めてお礼を……」
「おばさんはまだ完治していないふりをしなきゃダメでしょ?」
「あぅ……」
クララにたしなめられて、マルテは布団をかぶりなおす。
「じゃあ行こうかクララちゃん。競走だよ!」
モニカはそう言って帽子も持たずに走り出した。もやもやとした気持ちをごまかそうとするかのように早く走った。そして家のドアを開け、外に飛び出すとその人がいた。
「ん、やあモニカ。久しぶりだね」
ベルの格好をしたノルベルトが、後ろに医者を控えさせて立っていた。
「ノルベルトから様子を見てくるように言われたんだ。そしたら帽子を忘れたというじゃないか。全く笑ったよ。それで話を聞きながらここまで来たんだけど……」
「ノルベルト様ッ!」
モニカは叫んだ。叫んで、駆け出して、周りを全く憚りもせずにノルベルトの名前を呼んでその胸に飛び込んだ。
幸いその場には医者とクララしかいなかったが、本来ならそれは咎められなければならない行動のはず。しかしそれを誰も叱らなかった。だって気持ちがわかるから……。モニカの今の気持ちが痛いほどよく分かるから、誰もそれを咎めようとはしなかった。
「ありがとうございます! ありがとうございます! 私……私ッ!」
お礼を伝える言葉を繰り返すしかできなかった。それ以外の言葉を口にしようとしたら、愛しているなんて言葉まで出てきそうだったから、それを繰り返すしかモニカにはできなかった。
「……モニカ。礼は言わぬ方がよい。俺はお前を試した。つまり確信を持てなかったということだ。お前がどれほどの忠義を持っているのか測りかねて、お前に母の命を天秤にかけさせたのはこの俺だ。そんな非道を行って俺に礼を言うことはない」
「それはノルベルト様が私を信じてくれていたからです。信頼を得られていなかったなら、私は試させてすらもらえなかったはず。それをしていただけたのですから、私は幸せです!」
主の体だということを忘れて、モニカは力強くノルベルトの体を抱きしめた。抱きしめたノルベルトの体はたくましく、大きく、とても暖かくて安心できた。ノルベルトはそんなモニカの頭をポンポンと叩いてくれていた。
「ノルベルト様とお見受けします」
騒ぎを聞きつけて、マルテが家から出てきた。
「このたびは、私の粗末な命を救っていただけたことを感謝いたします。まして、国の宝を使ってまで助けていただき感激しております。この命はもうあなた様のものも同じでございます。どうぞ、好きにお使いになってください」
膝をつき、誠心誠意の言葉をこめてマルテは言った。ノルベルトは薄く笑ってからマルテに言った。
「病魔に侵され、弱り切っていた女の体など欲しくもない。せいぜい体を太らせ、国のために田畑を耕すがいい。だが……」
ノルベルトはそう言うとモニカの腕をつかんで引っ張り上げ、腰に腕を回してモニカを抱きしめる。
「娘は貰っていくぞ!」
「う、うわ……ノルベルト様!」
ノルベルトに抱きとめられたモニカは、これ以上ないほど顔を赤くして主の名前を呼んだ。
マルテは頭を下げて言う。
「どうぞ。元気なだけが取り柄の私の可愛い娘です。あなたのもとへと参るなら、私は二度と会えなくなっても後悔はありません。どこへなりとも連れ去ってください」
「おばさん……」
その言葉にクララが顔を赤くした。
「ふふふ……はっはっはっは! モニカ、三日ほど村にとどまって母親のフォローをしてやれ。次に城に戻ってからはしばらく村には帰れなくなるぞ。クララ、お前も一緒にだ」
「はい!」
また二人の声がきれいにそろって返事が響いた。
ノルベルトはしばらく愉快そうに笑ってから、改めて医者と一緒に引き上げていった。
* * *
「しかし、あわただしい里帰りだったわね」
三日後、クララとモニカは馬車に揺られて中央への道を進んでいた。
「休みをもらったわけじゃないもん。薬のことでいろいろごまかす方法を考えないといけなかったし、仕方ないよ」
不治の病が治った。そんな噂は広まっては面倒なことになる。だからマルテの病気は違うものだったということにして、誤魔化す工作をしなければならなかったのだ。
「本当なら私一人でしなくちゃいけなかったんだけど……クララちゃんを突き合わせちゃって申し訳ないな」
「いいのよ。モニカの面倒は私が見るんだから。だからモニカは安心してノルベルト様のお世話をしていいのよ」
「ふぇ! そ、そうだね! ノルベルト様のお世話をしなくちゃね! うん!」
モニカは冷静になってから、ノルベルトに抱きついたことと抱きしめられたことを思いだし、非常にもだえ苦しんだのだ。今でもノルベルトの名前を出せばそれだけで顔を真っ赤にしてのぼせる。次に実物を見たとき、モニカがどんな反応をするのかが、クララは楽しみだった。
中央の街につくと馬車を降りて歩きで城を目指した。
城門まで来ると、仲間たちが出迎えてくれた。
「モニカちゃ~ん!」
ニーナが腕を振り、大きな声でモニカを呼びながら駆け寄ってきた。
「病気が治ったんだって! よかったね~モニカちゃん」
ニーナが近づいてくるなりそう言って喜んでくれた。知らせは全員聞いているのだろうし、そう声をかけてもらえるのは嬉しかった。
「ありがとうニーナ」
「それで、もう一つ私たちの方から報告があるんだ。
横からフレイヤが出てきて、声をかけてきた
「私たち全員親衛隊合格だって! 正式採用だよ! 正式採用!」
「あら、そうなの。それは良かったわね」
クララが簡単に返事をした。三日前のノルベルトの様子から言ってそうなるだろうと思っていたから驚きはない。だがまあ、やはり正式採用となればうれしい。簡単に返事をしながらも、クララの表情は明るかった。
「それから、最後の報告があります。カルラさん。モニカさんに教えてあげてください」
「ん……」
エーフィに言われて、カルラがモニカに言った。
「同時に親衛隊長も発表された。親衛隊長は……モニカ」
「……え?」
カルラの簡潔な言葉に、モニカは一瞬きょとんとした。しかしすぐさまニーナが飛び掛かってくる。
「モニカちゃんが親衛隊長なんだよ! っよ! われらが親衛隊長モニカ! あははは~」
ニーナにも言われて、モニカは自分が親衛隊長だと発表されたことを知る。だが、モニカは喜びより前に、疑問が浮かんだ。
「ディアナは……?」
その場にディアナの姿はなかった。




