第六話『守護ゲーム』
「やぁ! はッ!」
ゲルイセン王国中央都市。その中央都市に建てられた城の訓練場で、若い娘の声と拳が風を切る音が響いていた。
拳を振るっているのはモニカで、声を張り上げているのもモニカだった。モニカの拳は空を切ってはいるが、モニカが殴ろうとしているのは風ではない。
モニカから数歩距離をとりつつ、華麗に攻撃をかわす背の高い女性がモニカを見下ろしている。名前はレナーテ、モニカをはじめとした新米の女親衛隊を訓練する教官として選ばれた女性だ。
その場には先日行われた試験で合格した親衛隊たちが全員揃っていた。
モニカの親友であるクララ、ルームメイトのカルラ。その二人を含めた七人が、試験に合格したノルベルトの新しい女親衛隊達だ。
モニカ以外の六人は、戦っている二人と少し離れた場所で整列して身じろぎすらしない。なぜだろう? モニカとレナーテが組手の訓練をしているからと言って、他の者達が訓練をしてはいけないということはないはずなのに……。
しかし、親衛隊達には動くことができない理由があった。教官のレナーテを含めた女八人のほかに、男が一人この場にいるからだ。
その男の名前は、ノルベルト。国王フリッツの二番目の男の子供であり、第二王子のノルベルトだ。そして、この場にいる親衛隊たちが将来使えることになる主でもある。
「はぁああ!」
モニカが大きくレナーテに向かって拳を振るうが、それをレナーテは軽々と避けてしまう。それでもモニカはひるむことなく、すぐさま拳を引いて、反対の拳を突き出した。
王子は急に表れた。教官のレナーテすら驚いていたから、それは予定にない訪問だったのだろう。
王子は急に表れ、動揺するモニカ達に向かって言い放った。
「単調な訓練ばかりでは退屈だろう? ゲームをしてみないか? 褒美も出そう」
「やぁあ! たあッ!」
ゲームの内容は単純だった。地面に一本線を引き、そこに王子が立って、その前方に親衛隊の誰かが立つ。レナーテが敵となって線を越えようとする。それに対して一定時間親衛隊が邪魔をして、線を来させなければ親衛隊の勝ち。それができなければ負けだ。
「俺がこれから笛を吹く。それが合図だ。すると、この訓練場のちょうど反対側にある馬房から、俺の愛馬が飛び出してくる。芦毛……白い馬でな。気性が荒いが足の早さが自慢の奴だ。数分もすれば駆けつけてくるだろう」
芦毛の馬がノルベルトのもとまでやってくるまで守り切れば親衛隊の勝ちとなる。来るか来ないかの状況下で守り切らねばならない。馬がなかなか来なければ、焦りが生まれて隙となる。それを乗り越えてレナーテに勝って見せろというのだ。
「いうなれば、レナーテは盗賊。その賊から馬で逃げる間、時間を稼げということだな」
親衛隊たちは尻込みした。実は女の親衛隊のほとんどは一般人上がり。戦う訓練など本当に始めたばかりなのだ。そんな女たちに、いくつもの死線をかいくぐってきたレナーテと戦えというのは酷だった。
「私……やります」
しかし一人、たった一人だけ手を挙げた。その者に対してノルベルトが声をかけて、手を挙げた小さな少女は前に歩み出た。そしてゆっくりと主の顔を見上げる。
ノルベルトは片方の手を腰に当て、値踏みするように娘を眺め見た後、一つ聞いた。
「名前を聞いておこう。名をなんていう?」
娘はひるむことなく力強く答えた。
「私はモニカ……モニカ・ライヤーです」
そして笛は吹かれた。
* * *
攻防は一進一退……とはならなかった。モニカが拳の弾幕を張っても、それをかいくぐってレナーテの重たい攻撃がモニカをとらえる。今朝食べたものが逆流してきそうな攻撃を耐え、モニカは立ち上がるが、そのたびにその体にダメージがたまる。
モニカの方から殴り掛かっていくから、この戦いで主に動き回っているのもモニカだった。疲労と痛みで、苦しいのは間違いなくモニカだ。それでもモニカは立ち上がる。立ち上がってレナーテと対峙した。
「実力差ははっきりしただろう?」
ずっと沈黙していたレナーテが話し出した。
「お前はがんばった。馬は来る気配もない。諦めろ。それで楽になれるんだぞ?」
「嫌です! 私は負けません。馬が来る気配がないって言ったって、まだほんの数分じゃないですか! 絶対来ます。絶対勝ちます。絶対……ノルベルト様を守り切って見せます!」
それを聞いて、ノルベルトがモニカには見えないようにふっと笑った。
レナーテは首を横に振る。首を振って憐れむようにモニカに目線を向けた。
「敗北を教えてやろう。新米のうちからそれを知っておくのも悪くないだろう」
その一言でモニカはカッとしてとびかかった。
「このッ!」
腕を振り上げるだけでも痛みが走る。モニカはそれを必死に我慢し、当たるはずもない突きを繰り出した。すると……。
「……え?」
突然モニカの拳がレナーテの体まで届いた。不自然なくらい綺麗に入ったので、モニカは少し動きを止めてしまう。その一瞬静止の間に、レナーテの腕がモニカの腕を掴んだ。
「し、しまった!」
今のは誘いだったのだ。慌てて拳を引こうとしたが間に合わなかった。レナーテの腕はすでにがっちりとモニカの腕を固めている。
「表面的に当てただけでは私にはダメージを与えられない。かえって相手にチャンスを与えてしまうことになるぞ? こんな風にな」
「わわわ、うわぁあああああ」
レナーテの体が大きく動くのが見えたと思ったら、痛みと共に空中に投げだされていた。腕をひねり上げられ、投げ飛ばされる間に当て身まで入れられたらしい。
モニカは痛みに身もだえする暇もなく、硬い地面に叩きつけられてまた激痛を味わう。
「ぐぅ……が……」
レナーテはモニカが地面の上で痛みに苦しんでいるのを確認してから、ノルベルトに振り返った。
「終わったようだな」
ノルベルトはそう呟いて首を振る。レナーテはため息をついてノルベルトの元へ向かう。
ここまでモニカが痛めつけられたのを見れば、二人目三人目の立候補者などでないだろう。レナーテはこの後ノルベルトをどうやって追い返そうかという考えでいっぱいだった。
「さて、二人目は誰が出てくるかな……」
出てくるはずが無い。横目で候補者達を見ても、全員あんぐりと口を開けて驚いているじゃないか。倒れているはずのモニカを追って首がゆっくり動いている……。
……倒れて動けないものを見ているはずなのに、動いている?
「やぁあ!」
「なに!」
レナーテはとっさに体をひねってモニカの渾身の一撃をかわす。そしてそのまま数歩下がり、再びモニカと向き合った。
「はぁ……はぁ……外れちゃった……」
わざと動けないふりをした訳ではないようだ。左腕で腹を抑え、両足は痛みからかわずかに震えている。なんとか気力を振り絞って立ち上がり、ここまで駆けてきたのだろう。
当然、ノルベルトにはそれが見えていたはず。モニカから意識を逸らし、レナーテに隙を作ろうとしたのは明らかだった。
「もう少しで当たったんだがな」
ノルベルトはにやりと笑いながらレナーテを見た。
「……ひいきするおつもりですか?」
レナーテは若干ノルベルトのことを睨みながらすごんだ。それに対してノルベルトは穏やかに返す。
「当然だろう? こいつらは俺の親衛隊だ。肩入れして何が悪い?」
「……」
モニカは痛みに耐えながら、その言葉を噛みしめる。
俺の親衛隊……。まだ候補者でしかない自分達に対して、将来の主はそう言ってくれた。ならば自分は、精一杯それに答えて見せる。
「あッ! 来た!」
候補者の誰かが突然そう叫んだ。この状況で来たと言えば一つしかない。ノルベルトの馬がやってきたのだ。
モニカは思わずそちらを振り返った。
そこには美しい馬がこちらに走ってくるのが見えた。
真っ白な体で長いたてがみを揺らしながらこちらに走ってくる。思っていたよりずっと早くノルベルトの馬は来てくれた。
「あぶないッ!」
候補者のうちの誰かがまた叫んだ。
モニカは、余所見をしていたことに気付いて慌ててレナーテに向き直る。しかし遅かった。
自分の物とは比べ物にならないくらい速く、重い拳が体に命中する。体をひねって急所は避けたが、ダメージは避けられない。さっき地面に叩きつけられた痛みも重なり、モニカは意識を失いそうな痛みに襲われる。
「ふん」
レナーテは「念のためだ」といわんばかりにモニカの左足に蹴りを入れた。
「うわぁああ!」
地面に倒れながら、モニカは左足を抑える。折れてはいないだろうが、それに等しい痛みがモニカの足を襲う。これでは立ち上がれない。
さっき見えた馬が居た場所からここまでの距離を考えても数十秒はかかる。線を超えるまでには十分すぎる時間だ。
「ここまでだったな」
レナーテはそう呟いて駆けだそうとした。しかし、足に何かがからみついて前に進めなかった。
「なに」
モニカが組みついてきていた。激痛に耐えながら夢中で両腕を伸ばし、レナーテの足を掴んだのだ。
「クッ!」
レナーテは拳を振り上げ、モニカの頭に打ちおろす。
だが、とっさにモニカが頭を下げて、それは有効打にならなかった。
二撃目を与えるために腕を振り上げたが、それより引きずって線を超えた方が早いことに気付いてノルベルトを見た。
「よしよし、ちゃんとこれたな。偉いぞ」
馬はすでにノルベルトの元にたどり着き、頭を撫でられていた。
ノルベルトは、「分かっているな?」という表情を浮かべてレナーテを見た。
「ふぅ……」
レナーテは目を瞑って頷き。いまだ組みついているモニカの頭を触った。
「お前の勝ちだ、モニカ」
* * *
レナーテがモニカの勝利を宣言すると、モニカはそのまま倒れ込んだ。候補者達の数人が駆けより、モニカを抱き起こすと、モニカは微笑んで見せた。
「大丈夫だよ……少し休めば立てると思う……」
「無理しすぎよ馬鹿」
抱き起こしたのはクララだった。モニカの怪我が大したことはないことを確認し、おでこを軽くつつきながらそう言った。
それに対してモニカはまた微笑んで答え、体重をクララに預ける。
クララ体重を預けてきたモニカの頭を、母親のように優しく撫でる。
「見事だった」
ノルベルトがゆっくりと近づいてきてモニカに声をかけてきた。周りの候補者達は姿勢を正し、列に戻る。
モニカを抱きかかえたクララは、どうするべきか迷って不安げにノルベルトを見たが、ノルベルトが「そのままでいい」と手で合図したため、頭だけ下げた。
「レナーテの相手に殴られて気を失わずにいられるのはたいしたものだ。この条件で名乗りを上げた勇気も認めよう」
「ありがとうございます」
モニカはできるだけ体を起こして返事をする。クララは気を使って、体を起こせるように腕に力を込めた。
「さて、少し休めば歩けるのだな?」
「はい。そのまま走り込みでもやって見せますよ」
「……あんたはその前に医務室」
調子に乗って大きなことを言うモニカを、クララはノルベルトには聞こえないくらいの声でいさめた。
ノルベルトは愉快そうに笑う。
「ならば、俺の部屋まで歩くくらいは訳ないな。動けるようになったら声をかけよ」
「……え?」
モニカの体から痛みが消え去り、一気に体を起こしてノルベルトの方を見る。
驚いたのはモニカだけではない。その場に居た全員がノルベルトを見た。
視線に気付いたノルベルトが、今にも怒鳴りだしそうな表情をしているレナーテを見ながらはっきりといった。
「褒美は俺の部屋で渡す」




