第五話 五万人の王国軍は包囲したつもりだった
アルゴスは二度の敗北を一つの結論へ結びつけた。
「奴らは守りに強い。ならば包囲して食糧を断つ」残存部隊を三方向から動かし、ネクロアの三千人を丘へ追い上げた。
軍旗が尾根を囲み、王国軍の伝令は「敵の退路を断った」と書き送った。
北の石段、東の林道、西の浅い谷。
丘へ通じる三本の道に王国軍の旗が立った。
アルゴスは各隊長に、夜明けの合図を一つだけ定めるよう命じた。
しかし西隊が受け取った地図には、東の林道を横切る古い水路が描かれていなかった。
若い伝令がその違いを指摘すると、参謀は「戦闘前に修正する」と答えた。
伝令は納得できず、余白に水路を描き足した。
夜明け、その一本の線を知っているかどうかが、部隊の運命を分けることになる。
その頃、丘の上ではリュシアが乾パンを数えていた。
「三日分です。包囲が長引けば、こちらが先に倒れます」ネクロアは乾パンを一枚割り、半分を伝令役に渡した。
「敵の通信を断つだけでは足りない。こちらの三千人が一日でも長く動けるようにしよう」伝令役は食べながら頷いた。
戦術の前に、空腹で倒れないこと。
その単純な条件を、彼女は忘れなかった。
食料を小袋に分ける作業には、攻撃隊も加わった。
火術師のリュカは乾パンを受け取り、「今は火球より、これが役に立つのね」と苦笑した。
ダリオは倉庫の奥で見つけた古い水路図を広げた。
丘の下には使われなくなった排水路がある。
通水できるかは不明だったが、ネクロアは少人数の調査隊を送り出した。
敵に気づかれれば水路ごと塞がれる。
だから彼らは灯りを持たずに下った。
見習いの少年が乾パンを半分残した。
「明日の分です」リュシアは叱らず、自分の袋を開いた。
中身は同じ量だった。
「明日も同じだけ配る。ただし、今日働く人が倒れたら明日の食事は運べない」少年は迷いながらパンを食べた。
その姿を見たリュカが火炎隊の者に言う。
「食料を守るのも戦闘よ」夜の配給から、術式を使う者には必ず交代の休憩を取らせた。
兵糧を節約するために兵を飢えさせてはならない。
ネクロアが恐れたのは敵の包囲だけではなく、焦りが味方を壊すことだった。
夜の見張り台で、若い術師は敵の篝火を数えていた。
「あんなにたくさんいるのに、どうして怖くないんですか」リュシアは答えた。
「怖いわ。だから数えるの。数えれば、どこに何人いるか考えられる」彼女は敵の火が三つの集団に分かれていることを示した。
「全部が同時に来るわけじゃない」若い術師はもう一度火を数え直した。
恐怖が消えたわけではない。
ただ、暗闇の中に見えていた巨大な一つの敵が、動きの違う三つの部隊に変わった。
古い水路の入口から戻った見習いの靴には、青い粘土がついていた。
ダリオは地図を開き、青い粘土の地層をなぞる。
「ここなら地下水がまだ通る」ネクロアは一度だけ頷いた。
「水を奪い合う戦いにはしない。まず負傷者の飲み水を確保して」包囲を破る計画は、攻撃命令ではなく一本の水路の清掃から始まった。
ダリオの作業班は石橋の下で避雷柱を固定した。
見習いが最後の杭を打ったとき、対岸から王国の斥候が現れた。
彼は剣を抜かず、橋の上に立ったまま叫んだ。
「ここを壊す気か! 向こうの村には病人がいる!」ダリオは道具を下ろし、柱の先を示した。
「橋ではなく、信号灯の銅線を狙う。通りたければ今のうちに渡れ」斥候は疑いながら橋を駆け抜けた。
雷鳴隊が放った一撃で灯りだけが消え、石橋は残った。
見習いは息を吐いた。
成功を確かめるため、ダリオは自分の足で橋を渡って戻った。
王国軍の三隊は、互いの旗を見て包囲が完成したと信じた。
しかし使っている地図の縮尺が違う。
西隊が「谷の入口」と呼ぶ場所は、中央隊の地図ではまだ一里手前だった。
東隊は石橋の信号灯が消えたため、援軍が来るまで前進を止めた。
誰も命令に背いたつもりはない。
各隊は、自分に届いた情報だけなら正しい判断をしていた。
ネクロアが狙ったのはその隙間だった。
丘から見える旗は三本。
それぞれが示す位置と時刻は、もはや一つの包囲線になっていない。
石橋を守る王国兵は、信号灯が消えたことを報告しようとして伝令馬を失った。
馬は雷の音に驚いて逃げたのだ。
兵は走って本陣を目指したが、道は泥に覆われ、日暮れまでに戻れなかった。
彼がようやく指揮所へ着いたとき、包囲網の配置はすでに変わっていた。
アルゴスは報告を聞いて拳を握った。
「敵は橋を壊していない。橋を使う意味だけを奪ったのか」敵の狙いを理解した瞬間、彼は自分が一手遅れていることを知った。
真夜中、調査隊が排水路の入口から戻った。
泥に埋もれた水門を見つけたが、通路は人一人が通れるほどしかない。
「今から開ければ、敵に水音で気づかれます」とダリオは言った。
リュシアは残りの水を数えた。
「明日の夕刻には尽きます」ネクロアは静かに答えた。
「なら夜明け前に、少しずつ流そう」工作隊は泥を袋に詰め、足音を消しながら水路を掘った。
夜明け前、王国軍の西隊は予定より半刻早く動いた。
東隊の信号灯が消えたため、東の部隊が襲われたと判断したのだ。
西隊長は予備兵を谷へ送り、狭い道に荷車まで入れてしまった。
一方、東隊は通信設備の故障を疑って待機していた。
両隊とも敵の動きを確かめる時間を失い、自分たちの推測に従って動き始めた。
王国軍の包囲図を見たリュシアは、東側の部隊だけ旗の間隔が広いことに気づいた。
敵の将軍は兵が足りない場所を旗で埋めていたのだ。
彼女は突撃を提案するが、ネクロアは谷底に落ちた荷車を指した。
「あそこへ追い込めば、敵も味方も戻れない」
二人は旗を攻撃せず、東側にわざと退路を残す作戦を選んだ。
翌朝、王国軍はその隙間を魔導軍の弱点と誤認して動き、包囲の形を自分たちで崩していった。
中央隊の指揮官には、東西から相反する報告が届いた。
西は前進、東は待機。
彼はどちらかを裏切ることを恐れ、確認の伝令を走らせた。
やがて谷へ集まった荷車が動けなくなり、補給の列が街道を塞ぐ。
アルゴスは現場へ向かうよう命じたが、兵の一人が地図を広げて言った。
「閣下、この道は我々の地図にはありません」アルゴスは初めて気づいた。
敵の魔法が包囲を破ったのではない。
自分たちが同じ地形を違う名前で呼び、互いを待たせていたのだ。
古い水路の図面には、村へ流れる支流が一本抜けていた。
ダリオは自分の足で確かめ、赤い線を描き足した。
「ここを塞げば、村の井戸が干上がる」作戦は一刻遅れたが、その線は消されなかった。
水路から戻った斥候は泥で顔を真っ黒にしていた。
「抜け道はある。でも一列でしか通れません」ネクロアは三千人をそこへ押し込む案を退けた。
「一人ずつなら最後尾が置き去りになる」代わりに水路を連絡路として使い、丘の上の部隊は動かさず敵の伝令だけを惑わせることにした。
アルゴスは伝令を三人送り出した。
戻ったのは一人だけで、他の二人は魔導軍の捕虜になっていた。
「なぜ殺さなかった」捕虜を解放された伝令は答えた。
「あの女は、命令を運ぶだけの者に罪はないと」アルゴスは言葉を失った。
自分なら敵の伝令を生かしただろうか。
リュシアは包囲線を二色の糸で引き直した。
敵の旗がある位置と、敵が通れる道は一致しない。
伝令に渡したのは勝利の報告ではなく、まだ開けておくべき谷道の番号だった。
ダリオが泥炭地に打った杭の一本が朝には沈んでいた。
予定の退路も同じように沈むと分かり、工作隊は夜明け前に板を敷き直した。
敵を止める地形は、味方まで閉じ込めかねなかった。
東の林道で荷車を見誤った兵の報告は、リュシアの机にも届いた。
敵が混乱していると笑う声を彼女は遮った。
「同じ印を、私たちの荷車にも付けていない?」確認すると、補給隊の布標は遠目には敵のものと似ていた。
リュシアは翌朝までに形を変えさせた。
敵の失敗は、味方の安全を点検する材料にもなった。
丘の上でリュシアは敵の軍旗を数えた。
「包囲が解けています」ネクロアは首を振った。
「まだよ。敵は自分たちが包囲していると信じている」そのとき東の林道にいた王国兵が、谷へ向かう味方の荷車を敵の補給隊と誤認し、警鐘を鳴らした。
西隊は警鐘を「退却」の合図と取り違えた。
リュシアが目を見開く。
「合図一つで、こんなに」ネクロアは答えた。
「私たちは敵を動かしていない。敵が自分の誤解で動いている」だがその先に負傷者が出ることも知っていた。
「追うな。谷の出口を空けて。逃げる兵が押し潰されないように」退路を開いたまま包囲を崩せるか。
ネクロアは谷の出口から目を離さなかった。
谷の向こうで、王国軍の若い旗手が撤退旗を掲げた。
味方の誰かが矢をつがえる。
ネクロアはその腕を押さえた。
「あの旗が本物か確かめて。撃つのは、それからでも遅くない」旗手の背後から、武器を捨てた兵が一人ずつ現れた。
結界を抜けた旗手は、背負っていた戦友を地面へ降ろすと、ようやく膝をついた。
裂いた外套からは血が滲んでいた。
「旗を振れば、撃たれると思った」と彼は言った。
「それでも、あいつを置いていけなかった」
ネクロアは火球を消した。
勝つための合図ではなく、生き残るための合図を見分けられなければ、どれほど強い魔法も役に立たない。




