↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大魔術師ネクロア ~魔導軍団を率いる最強の魔女が大陸を震撼させる~  作者: レモンティー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
43/50

第四十三話 千の火球が空を埋めても、帝国軍は止まらない

国境の乾いた丘に紅蓮隊が展開した。

リュカの号令で千の火球が夜明けの空を裂く。

かつてなら敵の前衛は一撃で崩れたはずだった。

だが火球が落ちた場所には、兵の密集がなかった。

散開した帝国兵は伏せ、車輪付きの防護壁の陰へ潜った。

炎は土を焼いたが、隊列の中心を捉えられない。

さらに丘の南側に、魔導軍と同じ色の停止旗が上がった。

伝令隊の少女が叫ぶ。

「あれは私たちの旗ではありません!」しかし後方の二隊はすでに詠唱を止めていた。

前衛だけが術式を維持し、結界の継ぎ目が大きく開く。

そこへ帝国の弩兵が矢を集中させた。

守りを破られた術者たちは後退し、リュカは攻撃隊を救うため、自分の火球をすべて消した。

敵は炎を防いだだけではなかった。

魔導軍が誇ってきた連携を、逆に武器に変えたのだ。

初撃を受けた帝国兵は、防護壁の陰で耳を押さえていた。

火球の轟音は、壁を通して胸に響く。

小隊長は震える声で人数を数えた。

十人全員が生きていた。

「訓練どおりだ」その言葉が広がり、兵たちは再び立ち上がった。

魔法を恐れながらも前へ出る。

その勇気が、ネクロア軍の想定を変えた。

「第二射、修正!」とリュカが叫ぶ。

観測手が距離を伝える前に、帝国軍の小隊は信号旗に従って位置を変えた。

次の火球も空地を叩く。


やがて防護壁が三十歩、また三十歩と進み、盾の隙間から弩の矢が飛んだ。

結界隊が受け止めるが、魔力の消費は増えるばかりだった。

撤退した紅蓮隊の野営地には、負傷者よりも沈黙が多かった。

千の火球を放って敵を止められなかったことが、彼らの誇りを傷つけていた。

リュカは焚火を見つめて言った。

「私は、火力さえ増せば勝てると思っていました」ネクロアは薪を一本足した。

「火は道具。使い方を間違えれば、どれほど大きくてもただの火事よ」

リュカは着弾地点を確認し、敵の隊列が三十歩ずつずれていると気づいた。

火球の威力ではなく、着弾までの時間を読まれていたのだ。

彼は次の射撃を急ごうとしたが、観測手が「味方の結界が薄い」と報告した。

撃つほど勝利に近づくとは限らない。

リュカは初めて、杖を下ろす決断をした。

最初の火球が防護壁に当たったとき、帝国兵は歓声を上げた。

耐熱土が黒く焦げただけで、壁は残った。

だが二射目の後、内部の水槽が沸騰し、蒸気が継ぎ目から噴き出した。

工兵長ギーグは水を抜けと叫んだ。

防壁を支える者の手袋が濡れ、熱で指を離せなくなる。

防げたのは炎だけで、熱と恐怖は防げない。

リュカはその様子を望遠術で見て、三射目を止めた。

壁の後ろには退避できない負傷兵がいる。

「撃てば勝てる」と部下が言う。

リュカは唇を噛んだ。

「勝つために撃つんじゃない。止めるために撃つんだ」彼は壁の横の地面へ火球を落とし、退路を開けて降伏を呼びかけた。

丘の背後でネクロアは指を一本立てた。

「全軍後退。火球の数を増やさないで」リュカは歯を食いしばった。

「まだ撃てます」ネクロアは首を振る。

「撃てることと、当てられることは違う」彼女は敵の防護壁に目を細める。

壁の上部に並んだ水槽の蓋が、熱を受けて白く曇っていた。

ネクロアは丘の斜面に残った火球の跡を見せた。

円形の焦土は整然と並んでいる。

狙いは正確だった。

だからこそ敵は避けられた。

「私たちは正確すぎたのよ」彼女は地面に曲がった線を描き、敵が選びそうな道を示した。

魔法は命中させるためだけでなく、相手を動かすためにも使える。

帝国兵の側にも恐怖はあった。

防護壁の裏で息を潜める新兵は、頭上を通る火球の音を忘れられなかった。

隊長は「耐えれば勝てる」と言ったが、土の壁が熱くなるたびに彼は母の名前を呟いた。

勝っている側も、決して無傷ではなかった。

夜、帝国の野営地では「魔女の火を耐えた」という噂が広がった。

一方、魔導軍では敗北の噂が囁かれた。

実際にはどちらも決着していない。

だが戦場では、事実より早く噂が走る。

ネクロアは全隊に正確な戦況を伝えさせた。

恐怖を消すことはできなくても、嘘で膨らませる必要はなかった。

撤退は整然と行われたが、兵たちの表情は重かった。

かつて敵を震え上がらせた火球が、帝国軍の進撃を止められなかった。

夜の作戦会議でネクロアは地図の上に一枚の布を置いた。

「敵は私たちの魔法を避ける。ならば、避ける方向をこちらで決める」彼女は防護壁の進路と谷の位置を重ねた。

帝国軍は前進した。

しかし、それはまだネクロアの敗北ではなかった。

紅蓮隊の一人が、三射目の準備中に膝をついた。

魔力切れではない。

敵の防護壁の陰から聞こえた悲鳴に、照準を変えようとして術式を乱したのだ。

リュカは叱責しかけ、言葉を飲み込んだ。

防護壁は確かに兵を守っている。

そこへ火力を集中すれば、止めたい相手ではなく逃げられない者から死ぬ。

帝国軍の盾列は火を受けても動かなかった。

リュカは次の一斉射を命じかけ、口を閉じた。

敵が学んだのなら、こちらも学び直さなければならない。

彼女は火球を中止し、前線から戻った兵の報告を一人ずつ聞き始めた。

リュカは残りの魔力を、敵の前ではなく丘の斜面に撃った。

炎で草を焼き払い、追撃する騎兵の足元に煙を広げる。

後衛の撤退が始まると、エルナが湿った空気を流して味方側だけ視界を確保した。

初めて二つの隊が、攻撃ではなく撤退のために術を合わせた。

帝国軍は丘を占領した。

兵たちは「魔導軍を破った」と叫んだが、ゲイルは火球の着弾記録を見て顔を曇らせた。

最後の一射だけ、狙いが変わっている。

「撤退を隠したのか」彼は気づいた。

ネクロアは、火球が効かないと知った瞬間に戦い方を変えていた。

こちらの防護壁を研究していたのと同じように。

千の火球が降り注ぐなか、帝国の盾兵は前進を続けた。

しかし先頭の一人が足を止めた。

炎ではない。

地面に落ちた小さな鈴が鳴ったのだ。

ゲイルは鈴を拾い、周囲を見渡す。

火球の陰で、魔導軍の斥候が風向きを測っている。

「火を見せて、風を隠したか」

彼は隊列を横へ広げる命令を出した。

ネクロアは敵の対応を見て笑みを消す。

炎が通じない敵より、炎の意味を読む敵の方が危険だった。


その夜、紅蓮隊は火球の訓練をしなかった。

代わりに敵の防護壁の模型を組み、射撃の後にどこへ兵が動くかを一人ずつ考えた。

リュカは模型の脇に小さな白い布を立てた。

「次は、誰も見ていない場所を狙う」

敗走の途中、紅蓮隊の最後尾が敵の防護壁に追いつかれた。

若い術者は火球を撃つために振り向いたが、リュカは杖を押さえた。

「あれを燃やせば、中の兵が逃げられない」彼は代わりに乾いた地面へ細い火線を引いた。

草だけが燃え、煙が双方の視界を遮った。

追撃は止まり、最後尾の四人が戻った。

リュカは勝てなかった戦いで、初めて別の使い方を覚えた。

野営地へ帰ったリュカは、戦死者の欄が空白なのを見て息をついた。

だが一人の術者は耳を負傷し、命令が聞き取れなくなっていた。

彼は「次はもっと大きな火球を」と叫ぶ仲間の声を読唇で追う。

リュカはその口元を見て、火力を増すだけではまた誰かが傷つくと悟った。


翌朝、帝国の防護壁が残した轍を測ると、奇妙な規則が見つかった。

壁は三十歩ずつ動くが、湿った場所だけ二十歩で止まる。

重い車輪は地面の状態に左右されるのだ。

リュカは模型の横に湿った砂を置き、指で溝を引いた。

「壁を壊す必要はない。相手が動きたいときに動けなくすればいい」それは火球を捨てる決断ではなく、火球の役割を変える決断だった。

リュカは火球が盾に消えるのを見て、次の射撃を止めた。

若い術師が抗議すると、彼女は帳面を示す。

「同じ失敗を千回重ねても、勝利にはならない」

千の火球を防いだ帝国兵は勝利を叫んだ。

だが盾の裏で、水袋を配る兵が倒れた。

炎を防ぐ装備は熱を遮っても、長い行軍の疲れまでは消せない。

ゲイルは防御成功の報告に、補給不足の一行を付け加えさせた。

帝国の小隊長は防護壁の陰で部下を数え直した。

勝利を告げる旗は上がっている。

それでも彼は、壁の外へ出て戻らなかった伝令の名を帳面に書いた。

ゲイルはその報告を読み、初めての勝利に浮かれる将校たちを制した。

「敵は後退した。崩壊したのではない。追えば、向こうが選んだ場所で戦うことになる」

紅蓮隊の術師は燃え残った地図を開き、火球の着弾点と敵の移動を重ねた。

命中しても進軍が止まらない理由は、敵が耐えたからだけではない。

ゲイルは隊列を分散させ、損害を別の道へ逃がしていた。

火球を失った見習いは、燃え残った旗を拾う手を止めた。

隊長は「火が消えても目は残る」と言い、敵陣の合図を数えさせた。

見習いは初めて杖を下ろして戦場を見た。

リュカは不発だった火球の数を数え、成功したものと別の欄に記した。

見習いが「失敗ばかりです」と呟く。

「違う。敵が何を用意したかが分かった」

彼は次の火球を命じず、伝令に観測結果を届けさせた。

千の火球が消えたあと、帝国軍の前衛から一本の白い布が上がった。

降伏ではない。

火傷した馬を後方へ運ぶ合図だった。

リュカは追撃の火球を手にしたまま、その布を見た。

「今なら崩せます」と副官が言う。

リュカは火球を地面へ落とし、代わりに煙を高く上げた。

敵の動きを隠す煙ではなく、味方に射撃停止を知らせる煙だった。

火球が消えた空の下で、見習いが燃え残った旗を拾った。

「昨日まで勝てたのに」

リュカは旗を受け取り、敵陣の奥を見た。

炎を避けるために敵兵が掘った溝が、次の突撃路へつながっている。

「昨日の勝ち方を覚えているのは、俺たちだけじゃない」

彼は火球を作る手を止め、伝令を走らせた。

「溝の出口を見張れ。敵はもう、次の戦いを始めている」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。