第四十話 聖騎士軍団は膝をついた
王都の広場には、降伏した聖騎士たちと、魔術師を恐れて家に隠れていた市民が集まった。
ネクロアは玉座ではなく、広場に置かれた木の卓へ歩いた。
和平の席で、ガレスは賠償金より先に失踪者の名簿を求めた。
ネクロアは用意していた紙を差し出した。
「魔法使いも聖騎士も同じ欄に書いてある」ガレスはしばらくその表を見つめ、署名した。
戦争が終わっても、帰らない人を探す仕事は終わらない。
署名に使う羽根ペンを手にしたガレスは、名前を書く前に被害者の代表を呼んだ。
「この条文で足りないことを言ってほしい」薬師の娘は、村へ帰ったあと再び石を投げられない保証を求めた。
ネクロアは聖騎士団に通報を受ける窓口を設ける条項を書き足した。
剣を置くことと、恐怖が消えることは同じではなかった。
新しい協定には、魔術師の強制登録の禁止、信仰の自由、街道の安全、聖騎士団の再編、捕虜の帰還が記された。
リュシアは署名を確かめながら、三千人から始まった軍団がどれほど遠くへ来たかを思う。
大神官は禁術の使用と住民への危険行為について裁かれることになった。
だが聖堂そのものは閉鎖しない。
信仰を守ることと、他者の才能を奪うことは別だとネクロアは宣言した。
ガレスは聖騎士団の再編案を自ら書いた。
魔法を使う者を捕らえる部隊ではなく、街道の警備と災害救助を担う組織へ変える。
セオンは最初の合同訓練に参加することを申し出た。
リュシアは戦死者の名を読み上げる式典を開いた。
魔導軍も聖騎士も、同じ順序で名前を呼ばれた。
ネクロアは式典の最後にだけ短く言った。
「次の戦いでは、ここに並ぶ名を一つでも減らしましょう」
広場の端には、降伏した聖騎士の家族と、かつて追われた魔術師の家族が並んでいた。
互いに目を合わせないまま、同じ名簿を見つめている。
帰還予定の欄に名前を見つけた母親が泣き出すと、隣にいた見知らぬ女が水を差し出した。
どちらの軍の家族かは、誰も尋ねなかった。
聖堂の司祭たちは、ヴァレリウスの命令書を提出するかどうかで争った。
提出すれば自分たちも責任を問われる。
若い司祭が最初に封書を差し出した。
「治療所にいた妹が、生きて帰ったからです」その一言で、もう一人が帳簿を机に置いた。
信仰を守るために、嘘まで守る必要はない。
広場の隅で少女が小さな灯りをともした。
母親が慌てて手を伸ばすと、隣の老人が「暗いから、助かるよ」と言った。
少女は消しかけた光をもう一度強くする。
誰も拍手しなかった。
その何でもない静けさが、彼女には初めての自由だった。
和平の翌朝、広場の掲示板には新しい行方不明者名簿が張られた。
名前の横に帰還予定日を書ける者は少ない。
リュシアは空欄を消さず、照会先を記した。
ガレスは兵の家族へ説明する役を引き受けた。
勝利の旗の下でも待つ人はいる。
ネクロアはその列を見て、戦いが終わる日と、人が帰れる日は同じではないと知った。
広場を去ろうとした少女が、ネクロアの袖を引いた。
「次に戦争が来たら、また隠れなきゃいけない?」ネクロアはすぐに大丈夫とは言えなかった。
代わりにしゃがみ、少女の目を見た。
「隠れなくていい場所を、もっと増やすわ」少女は少し考えて頷いた。
その約束の重さを、ネクロアは忘れないようにした。
帝国の密書には、五十万という数字のほかに巨大攻城兵器の図が添えられていた。
グランベルクのイザークは図面を見て顔色を変えた。
「これは城を攻める道具ではありません。街を消す道具です」
イザークは巨大攻城兵器の図面に記された車輪幅を測り、北方の石橋の幅と比べた。
図面の兵器はそのままでは橋を通れない。
だが帝国軍が橋を拡張すれば、住民の避難路が失われる。
「橋の工事が始まる前に、村へ知らせるべきです」勝利の祝宴が終わる前に、次の戦争を避ける仕事が始まっていた。
帝国の兵力を記した密書を読み終えると、ネクロアは机に置いた。
五十万という数字に誰も言葉を発しない。
やがてガレスが言った。
「我々は、昨日まであなた方の敵でした」ネクロアは頷く。
「だからこそ、今日交わした約束が本物か試されるわ」ガレスは新しい協定書を手に取った。
次の戦いの前に、まず守るべき約束がそこにあった。
ガレスは少女の母親へ近づき、没収された治癒師の名簿を差し出した。
すべてを返せたわけではない。
帰らない者の名もある。
「謝れば済むとは思わない」と彼が言うと、母親は名簿を受け取り、「では明日もここへ来て」と答えた。
和平は一度の署名では終わらない。
彼が明日も同じ場所に立つことから始まる。
少女が灯した小さな炎は、風に揺れて消えた。
誰も笑わない。
ガレスが自分の外套で風を遮ると、少女はもう一度杖を掲げた。
今度の火は、長く燃えた。
聖騎士が膝をついた広場で、ネクロアは勝利の宣言を求められた。
彼女は聖堂の階段に立ったが、最初に呼んだのは敵の司祭だった。
「この国の病院を閉じないと約束して」
司祭は敵の前で頭を下げるのを拒んだ。
ネクロアは階段を下り、同じ高さに立つ。
「頭を下げなくていい。患者の扉だけ開けて」
翌朝、聖堂の門に新しい札が掛かった。
『診療は従来どおり』。
署名の後、広場の端から声が上がった。
『私の弟を連れていった騎士は、ここにいるのか』。
セオンは一歩前に出て、捜査記録を保管する役所の場所を告げた。
男は怒りのあまり拳を握ったが、ガレスは護衛を前へ出さなかった。
『調べる。
隠さない』。
それだけでは許されないと分かっていた。
それでも新しい協定が試されるのは、祝宴の席ではなく、こういう問いの前だった。
北方の石橋を調べたイザークは、帝国の攻城兵器の車輪幅が橋を越えられないことに気づいた。
しかし喜びかけた手が止まる。
図面の端には、車輪を外して運ぶための金具が描かれていた。
『橋で止められると思ったが、敵も同じことを考えている』。
ネクロアは新しい避難路の地図を求めた。
五十万という数字より恐ろしいのは、敵がこちらの対策を読み始めていることだった。
協定の公布を待つ列で、イーヴはかつて自分を追った聖騎士を見つけた。
騎士は目をそらしたが、イーヴは声をかけなかった。
代わりに帰還者名簿を渡した。
そこには敵味方を分けず、負傷者の居場所が書かれている。
騎士は名簿の一行を指さし、長く息を吐いた。
二人の間に和解の言葉はなかった。
それでも、同じ紙を読めるようになったことは、戦う前には考えられない変化だった。
ガレスは和平文書へ署名する前に、迫害された術師の名簿を求めた。
「私の命令で苦しんだ者を、知らぬまま終わらせたくない」その一言で、広場の空気が変わった。
和平の席で、ガレスは降伏文書の余白に一つの条項を書き加えた。
迫害された術者が故郷へ戻るとき、聖騎士が護衛すること。
ネクロアはその文字を読み、頷いた。
言葉だけの謝罪では足りない。
帰り道に誰が立つかで、約束の重さは決まる。
その決意だけは、帝国軍の数を見ても変わらなかった。
セオンは降伏文書に署名する手を止め、負傷兵の搬送路を追記した。
剣を置く命令だけでは、戦場は終わらない。
書き足された一本の道が、双方の兵を同じ診療所へ導いた。
リュシアは五十万という数字の横に、避難に必要な荷車の数を書いた。
ネクロアは軍勢の矢印より先に、村から出る道を一本太く描き直した。
リュシアは窓の灯りを見て、帝国軍の進路を記した地図を裏返した。
今夜はその家の灯が消えずに済んだ。
だが明日も同じとは限らない。
彼女は避難先の候補を二つ書き、ネクロアへ渡した。
広場の灯が消えても、診療所の窓だけは明るかった。
ネクロアはそこに、禁術で亡くなった老人の孫が座っているのを見た。
勝利の知らせを聞いても、少女は笑わなかった。
ネクロアは声をかけず、翌朝、遺族が立ち会える形で禁術の責任を調べるようリュシアに命じた。
五十万の帝国軍を迎える準備と、その調査を、どちらも先延ばしにはしなかった。
膝をついた聖騎士の一人が、剣を差し出す代わりに盾を裏返した。
そこには戦死した仲間の名が刻まれていた。
「これを捨てろと言うなら、私は従えない」
ネクロアは盾を受け取らなかった。
「持っていて。忘れないためのものなら、武器とは違う」
聖騎士は初めて、命令ではなく自分の意志で頭を下げた。
軍議でリュシアが最初に広げたのは帝国軍の進軍図だった。
ネクロアは国境の診療所を指した。
「治療を続けられる場所を確保してから、迎撃線を決めましょう」
誰も異を唱えなかった。




