第二十話 王たちは初めてネクロアを恐れた
東方七国の使節が集まったのは、山岳都市レイハルトの古い宮殿だった。
円卓の上にはグランベルクの城塞図が置かれている。
三重の城壁、地下の防御術式、十万人を収容できる倉庫。
いずれも難攻不落を支えるはずのものだった。
「それが一刻で落ちたというのか」北方王は何度も同じ質問を繰り返した。
報告役の使節は答えた。
「はい。しかも城壁の大部分は残っています」「では内通者がいたのだろう」と一人が言った。
「そうではありません。ネクロアは地下の術式を止め、守備隊の指揮を断ちました」使節は続けた。
「住民の避難路を守ったため、守備兵の多くが自発的に武器を置いたのです」円卓に沈黙が落ちた。
城を破壊できる敵なら、より厚い壁を築けばよい。
しかし城を壊さず降伏させる敵には、何を築けばよいのか。
南方の公爵は軍備拡張を主張した。
「五万で駄目なら十万、十万で駄目なら三十万を集めればいい」老将軍が首を振った。
「相手は数ではなく、指揮と補給を狙う。兵を増やせば食糧も増える。長い列になった輸送車を守れるのか」若い王は唇を噛んだ。
「それでも何もしないわけにはいかない」誰もが同じ恐怖を抱いていた。
自分の国が次に狙われるかもしれない。
一方グランベルクでは、ネクロアが城塞の修復状況を見ていた。
新しい放流路が完成し、井戸の水は安定した。
商人たちは東街道を使い始め、通行料の一覧が門前に掲示されている。
アルノーは警備隊の報告を差し出した。
「盗賊が減りました。以前は通行税を避けて山道へ入る商人が襲われていたのです」ネクロアは頷いた。
「道を開けば、人も物も動く。軍だけの問題ではないわ」
七国の会議に出席した書記官は、王たちの議論を記録しながら不思議な気持ちになっていた。
誰もがネクロアの軍を恐れているのに、誰一人として城塞の住民がどうなったかを最初には尋ねなかった。
軍の数、城壁の厚さ、魔法の威力。
王たちの関心はその三つに集中していた。
書記官は報告書の余白に小さく書いた。
『勝敗だけでは国は残らない』。
リュシアは七国の会議について知らせた。
「各国は同盟を考えているようです。魔導軍団が増えることを恐れています」ネクロアは驚かなかった。
「当然ね。自分の知っている戦争の仕組みが通じないのだから」リュシアは問う。
「先に攻めますか」ネクロアは地図を閉じた。
「まだ。まず使節を送る。街道を開き、魔術師の強制徴用をやめるなら、戦争をする理由はない」
使節団には元守備隊長アルノーが加わった。
彼はかつてネクロアと戦った当事者であり、敗北の過程を誰よりも知っている。
旅立つ前、ネクロアは彼に言った。
「私の強さを誇る必要はない。何を守りたいのか、正確に伝えて」アルノーは答えた。
「あなたが城を焼かなかった理由を話します。それが一番信じてもらえるでしょう」
七国の宮殿では、アルノーの証言に激しい反発が起きた。
「敗将の言葉など信用できるか」「魔術師に買収されたのだろう」彼は怒らず、城塞の修復記録と住民の証言を机に置いた。
「私は負けました。ですが、勝った軍が何をしたかを見ました。ネクロアは城の財宝より井戸を気にかけ、戦死者より多くの捕虜を生かして帰しました」その声を聞いて、何人かの王が目を伏せた。
だが恐怖は消えなかった。
ある王は「善良な征服者など存在しない」と断じた。
別の王は「今は穏やかでも、力が増えれば変わる」と言った。
アルノーは反論しなかった。
「だからこそ、条件を文書にしてください。守られなければ、あなた方が抗議できるように」条約案には街道の自由、住民保護、魔術師の自由意思による就業、国境紛争の仲裁が記されていた。
諸王の使者が退いたあと、会議室には一枚の空白の地図が残った。
ネクロアは征服済みの土地を赤く塗ろうとした参謀を止めた。
「色を塗れば、そこに住む人の暮らしまで手に入るわけじゃない」彼女はまず、戦争で通れなくなった道に印を付けた。
七国の使節が集まった会議で、一人の王が「魔導軍を共通の敵とする」と宣言した。
別の王は賛成したが、国境で疫病が出ていることを隠していた。
会議の途中、使者が倒れた。
持参した書簡には、隣国へ薬を求める村長の署名がある。
王たちは互いの顔を見た。
敵を決める前に、国境を越えて運ぶべきものがあったのだ。
議長は宣戦布告の署名を翌日に延ばした。
その一日の遅れを、後に誰も取り戻せなかった。
会議は決裂した。
三国は交渉継続を選び、四国は軍の集結を決めた。
最も強硬だった騎兵国家の使者は、帰国の馬車で笑った。
「魔術師が城を落とせても、十万騎の突撃は止められまい」その言葉を聞いた老将軍は、窓の外の山並みを見つめた。
グランベルクの城壁を信じた者たちも、同じように笑っていたのではないか。
夜、ネクロアのもとに交渉結果が届いた。
リュシアは地図に四つの赤い印をつけた。
「戦争になります」ネクロアはしばらく黙り、開かれた東街道の灯を見た。
「それでも、戦わずに済む道は最後まで残すわ」彼女は軍団に冬季訓練を命じ、騎兵の速度と地形を研究するよう指示した。
城壁を無力化した魔術師たちは、次に広い平原で何を守り、何を変えるべきかを考え始める。
大陸の王たちが恐れたのは、ネクロアの魔力だけではなかった。
戦争の常識そのものが、彼女の手で書き換えられていくことだった。
七国の会議は、最後の一時間で決裂した。
三国は交渉を続けると表明したが、四国は騎兵の集結を決めた。
北方王の前には、国境の橋を渡ろうとする薬商人の通行証が残されていた。
患者の名前が並ぶ裏面を、彼は何度も見た。
「通すのか」と強硬派の王が問う。
「薬は通す。兵は動かさぬ」
「魔導軍に屈するのか」
「病人を死なせることが、王の威厳か」
しかし橋には二通の命令が届いた。
一通は薬の通過を許可し、もう一通は国境の全面封鎖を命じていた。
先遣隊長がどちらの王印に従うか迷っている間に、荷車の中の病人が咳き込み始める。
隊長はついに槍を下げた。
「薬だけ通せ。責任は私が負う」
ネクロアはその知らせに安堵した。
だがリュシアが続けて報告する。
「四国が騎士王レオナルドへ使者を送りました。十万騎を動かすつもりです」
窓の外では東街道の灯がともり始めていた。
ようやく開いた道を、再び軍靴が塞ごうとしている。
ネクロアは騎兵の速度を記した地図を広げた。
「次は壁のある城じゃない。何も遮るもののない平原ね」




