第二話 国王は魔術師三千人を嘲笑した
王宮の軍議室で、最初に笑ったのは国王だった。
「三千人? たった三千人の魔術師が軍を名乗るのか」国王は杯を揺らした。
軍務卿は追従して言う。
「術者など、歩兵が盾を持って詰めれば終わりです」しかし総司令官アルゴスだけは笑わなかった。
「陛下、連中は戦場で使われていた魔術師です。こちらの陣形を知っています」「臆病風か」「慎重さです」
国王は五万人を与え、七日以内の鎮圧を命じた。
さらに軍務卿は、術師の家族を移送するとの布告を先遣隊に持たせた。
アルゴスはその文面を見て顔を曇らせた。
「実際に移送を始めたのですか」「まだだ。だが連中は知らぬ」
王は笑った。
アルゴスは、その脅しが戦場で何を壊すかを理解していた。
軍議の席で勝利の祝宴の日取りまで決まった。
アルゴスは退室すると副官に低く告げた。
「先遣隊を急がせるな。敵の射程を測れ」「陛下は速攻をお望みです」「陛下が望むのは勝利だ。死体の山ではない」
軍議の後、アルゴスは斥候が持ち帰った三色の旗を広げた。
赤、青、白。
王国軍ではそれぞれの部隊が別の合図を使うため、五万人に命令を伝えるには何段階もの伝令が必要になる。
ところが魔導軍の旗は、離れた場所でも同じ意味で使われているらしい。
「三千人を一人が動かせるわけではない」と副官が言う。
アルゴスは首を振った。
「一人で動かさずに済む仕組みを作ったのだ」王国軍の数の優位が、初めて心細く感じられた。
アルゴスが最初に疑ったのは敵の魔力量ではなく、兵站だった。
「三千人の術者に毎日食わせる麦はどこから来る」斥候の報告には、魔導軍が村から食料を買っていると記されていた。
軍務卿は鼻で笑った。
「支払いなど続くはずがない。村を焼けば連中は飢える」アルゴスは机を叩いた。
「村を焼く命令は出さない。王国軍が守るべき土地だ」軍務卿は冷たい目で彼を見た。
「陛下に逆らうおつもりか」その夜、アルゴスは自分の印章で補給担当に密命を送った。
進軍路沿いの村には手を出さず、王国の倉庫から物資を運ぶこと。
命令が守られる保証はなかった。
一方、ネクロアは捕らえた王国の斥候を前にしていた。
少年は十七歳で、泥だらけの軍靴を履いていた。
「地図を盗みに来たの?」少年は唇を噛んだ。
「殺すなら早くしてください」「名前は」「トルン」「トルン。ここから帰る道は二つある。嘘をついて帰る道と、見たものだけを報告して帰る道よ」彼女は少年に水を与え、武器を返さず解放した。
リュシアは眉をひそめた。
「敵に位置を教えるのですか」「位置はとっくに知られているわ。知ってほしいのは、私たちが捕虜を殺さないこと」その晩、敵の野営地でトルンの報告を聞いた兵士たちは半信半疑だった。
だが彼が生きて戻った事実だけは消せなかった。
斥候トルンが帰還した翌日、アルゴスは少年を再び呼び出した。
「本当に杖を返されなかっただけか。拷問も脅迫もなかったのか」少年は何度も頷いた。
「あの人たちは、私が靴を脱ぐまで待ってくれました。足に豆ができていたので」周囲の士官が笑った。
だがアルゴスには笑えなかった。
敵の優しさが事実なら、こちらの兵士が戦う理由は何になるのか。
彼はトルンを休ませ、戦場に出さないよう命じた。
副官が問う。
「情報を持ち帰った者を遠ざけるのですか」アルゴスは窓の外を見た。
「あの少年は敵の顔を知った。今度は撃てないかもしれん」
王国軍の進軍中、アルゴスは街道沿いの村で子供が兵の行列を見て泣くのを目にした。
軍務卿が言うような『反逆者の討伐』なら、なぜ自国の民が怯えるのか。
彼は兵に休息を与え、村の井戸を使う前に村長へ許可を求めさせた。
副官は不思議そうに尋ねた。
「勝つために必要なことですか」アルゴスは答えた。
「勝ったあと、帰る国を残すために必要だ」だがその慎重さが、王宮では進軍の遅さとして報告されていた。
進軍表の脇に、副官は一通の手紙を置いた。
『麦の収穫までに帰ってきてください』。
送り主は兵の妻だった。
アルゴスが封筒を裏返すと、宛名の下に子供の小さな字で『父さん』とある。
「急げば早く帰れると、陛下はお考えです」副官の声に、アルゴスは答えた。
「急いで帰れるのは、勝った者だけだ」彼は補給車の数を数え直した。
戦争の終わりを約束する者ほど、その終わりまで生き残る人数を数えない。
アルゴスは先遣隊の配置図を広げ、湿地を避ける経路を選ぼうとした。
だが王都からの急使は進軍を一日早める勅命を携えていた。
軍務卿の印が押された命令書には、反逆者の士気が固まる前に討て、とある。
副官は小声で尋ねる。
「従いますか」「従わなければ更迭される。従えば兵が死ぬかもしれん」彼は予定していた斥候の半数を前へ出し、残りを川の渡河点へ回した。
兵士が無謀な指揮官に従うしかないことを、彼自身もよく知っていた。
一方ネクロアは敵軍の移動が速すぎると聞き、予定を変えた。
湿地の水位を上げる術は取りやめ、泥炭の地面に踏み板を埋めて味方の救護路を確保する。
戦場を変える魔法より先に、負傷者を運ぶ道が必要だった。
両軍が同じ夜に変更した作戦は、互いの目にはまだ見えていなかった。
王国軍の本陣で、アルゴスは中央に歩兵、両翼に騎兵、後方に予備隊を置く配置図を完成させた。
整った陣形だが、旗の合図が一度途切れれば、両翼は中央が進んだかどうかさえ分からない。
彼は副官に伝令の予備経路を記させた。
一方、魔導軍ではネクロアが谷の水門を調べさせていた。
ダリオは「水を抜けば湿地の底が見えます。ただし地面は乾きません」と報告した。
「ならば、踏み込む前に止まれる場所を調べて」ネクロアは水門を攻撃の道具ではなく、退路を守るための地図に書き加えた。
王国の使者は、降伏勧告ではなく三千人の術師を「軍籍のない逃亡者」と呼ぶ布告を読み上げた。
リュシアは反論しかけたが、ネクロアは使者に椅子を勧めた。
「その布告に、治療中の人の名前はありますか」
使者は答えられない。
ネクロアは捕虜交換の名簿を差し出し、王国軍の負傷兵十二人を先に返すと告げた。
使者が去ると、リュカは怒った。
「向こうは私たちを人間扱いしないのに」
ネクロアは空になった担架を見た。
「だから、こちらまで同じにならない」
その日の夕刻、使者は国王に報告した。
敵軍は降伏しなかった。
しかし十二人の兵は生きて戻った、と。
ネクロアは谷の測量図に三つの小石を置いた。
「王国軍は中央を押し、両翼で挟むでしょう」リュシアは首を傾げる。
「そんなに素直に来ますか」ネクロアは笑わなかった。
「優秀な指揮官ほど、最初は教科書どおりに動く。五万人の部隊を一度に変則運用するのは危険だから」彼女は防御陣の配置をわずかにずらし、敵の騎兵が湿地へ進みたくなる空白を作った。
ダリオが計算する。
「足場が耐えられるのは軽装の歩兵まで。騎馬の重さなら沈みます」ネクロアは全隊へ注意を出した。
敵が退く道には絶対に魔法を落とさないこと。
勝つために必要な罠と、殺すためだけの罠は違うのだ。
その夕刻、王都から届いたのは新たな勅命ではなく、先の命令に対する回答だった。
『七日の期限は変更せず。
遅延の責任は総司令官に帰す』。
アルゴスは軍医の報告を机に広げた。
行軍不能者は百を超え、馬の脚にも腫れが出ている。
副官は処罰を恐れた。
「命令に従えば、責任は陛下にあります」アルゴスは首を振った。
「死ぬのは陛下ではない」彼は期限を守れない理由を自分の署名で書き、軍医の数字を一つも削らずに返書を封じた。
アルゴスは急使の前で七日という数字を指で隠した。
「この期限のために死ぬ兵の名を、誰が書く」急使は答えず、印章だけを確かめた。
彼は返書に自分の名を大きく記した。
アルゴスは王都へ送る報告書の末尾に「敵は村から物資を購入している」と書いた。
副官はその一文を削るよう勧めた。
軍務卿が怒るからだ。
「削れば、次の将軍は村を焼く」アルゴスは署名を重ねた。
勝敗より先に、正確な報告を残す責任があった。
副官は進軍の遅れを示す赤線を消そうとした。
アルゴスはその手を止めた。
「消すな。王宮が読む報告にも残せ」敗北の予感を記録することは、無能の証拠に見える。
それでも彼は兵の足の傷と馬の消耗を添えた。
速さだけを命じる王に、遅れる理由を数字で示すためだった。
開戦前夜、王国軍の先遣隊が谷を封鎖した。
避難民を閉じ込めたまま魔導軍を湿地へ誘い込む策だった。
ネクロアは地図に置いた罠の印を消した。
「荷車が残っている。ここでは戦えない」リュカが食い下がる。
「敵の騎兵を止める唯一の場所です」「なら、別の場所を作る」
谷の反対側では、アルゴスが王印のある封書を読んでいた。
『反乱軍への物資供給を断て。
住民の通過も許すな』。
副官が命令の確認を求める。
アルゴスは街道に詰まった荷車を見た。
車輪の下には小さな子供が隠れている。
「封鎖を解け。責任は私が取る」
命令を聞いた王国兵が槍を下げた瞬間、後方から別の軍旗が上がった。
王都直属の監察騎兵だった。
彼らはアルゴスの指揮を受けない。
「通す者は反逆者として処断する!」監察隊長の声が谷に響く。
アルゴスは剣を抜いたが、刃を向けた先は魔導軍ではなかった。
遠くの丘で一部始終を見たネクロアは、杖を握り直した。
五万の敵軍の中にも、守るべき人を守ろうとする者がいる。
だがその者さえ、王の命令によって殺されようとしていた。
「リュシア。敵を撃つ前に、谷の子供たちを出す道を開いて」軍鼓が鳴った。
最初の戦いは、まだ始まっていなかった。




