第一話 大魔法使いネクロア、三千人の魔術師を集める
修道院の門をくぐったミリナは、銅貨二枚の入った給金袋を握りしめていた。
王国軍の救護所で三日間働いた対価だ。
門前には自分と同じように王国軍を離れた術師が集まっている。
誰もが杖を持っているのに、誰も戦い方を知らない。
ミリナが門を閉めようとすると、外から一人の少年が叫んだ。
「王国の騎兵が来る!」列が崩れ、何人かは逃げようとした。
ネクロアは門の上から騎影を見た。
まだ遠い。
追っ手か、ただの伝令かさえ分からない。
「門は閉めないで。逃げる人の道まで塞がない」その一言で、ミリナは手を止めた。
廃修道院の礼拝堂には、三千人が一度に整列できる床がなかった。
中庭にも、回廊にも、食堂の裏にも人が溢れた。
だがネクロアが最初に尋ねたのは、攻撃魔法の威力ではない。
「昨夜、食べられなかった人は?」手が上がる。
三百を超えた。
「負傷している人は?」今度は数えきれない。
王国軍に使い捨てられた術者たちは、彼女の問いに戸惑った。
軍務卿は彼らの魔力量しか聞かなかったからだ。
王国の魔術師隊は、もともと一つの軍団ではなかった。
東方の鉱山で坑道を支えていた土術師、南の病院で働いていた治癒術師、税の滞納を理由に連行された学生までいる。
リュシアが出身地ごとに整列させようとすると、列はあっという間に崩れた。
隣国の訛りを嫌う者、王国の制服を着た者を信用しない者、かつて同じ戦場で見捨てられた者。
杖を持っていること以外に、彼らを結ぶものはほとんどなかった。
ネクロアは全員を一つの広場に集める代わりに、十人ずつ火の周りに座らせた。
「隣の人が何をできるか、まず聞いて。魔力の強さじゃなく、困ったとき何を頼めるかを」その晩、何百もの小さな火を囲んで、知らない者同士が名前を覚えた。
リュシアは名簿を閉じた。
「三千人のうち、実戦経験者は千四百。残りは治療術師や見習いです。正面から五万人と戦うなど無謀です」「だから、正面からは戦わない」ネクロアは祭壇に地図を広げた。
王国軍の進路は川沿いの街道一本に限られる。
東は泥炭地、西は崖。
彼女が赤く囲んだのは敵陣ではなく、谷の出口だった。
炎の得意なリュカが手を上げた。
「私たちの火力なら先頭の千人を焼けます」「そして次の千人に踏み潰される。炎は殺すためだけのものじゃないわ。敵に進んではいけない道を示すためにも使える」ネクロアは赤い石を街道の両側に置いた。
「氷は馬の足を止め、雷は伝令を断ち、結界は退路を守る。誰か一人が英雄になる戦いではない」
ネクロアは部隊を五つの役割に分けた。
前に出る攻撃隊、地形を変える工作隊、味方を覆う防御隊、負傷者を運ぶ救護隊、そして各隊の合図をつなぐ伝令隊。
魔力が弱いという理由で隅に追いやられていた少女が、伝令隊の指揮を任された。
「私でいいんですか」「あなたは人の話を最後まで聞ける。それが必要なの」少女は初めて胸を張った。
日が暮れるころ、三千人はまだ不揃いだった。
それでも誰かが転べば隣の者が支え、誰かの合図が遅れれば次の者が補うようになっていた。
合同訓練の初日、事故が起きた。
氷晶隊の見習いが放った冷気が治癒術師の薬箱を凍らせ、火炎隊が解凍しようとして中身を焦がした。
責任を押しつけ合う声が上がる。
「攻撃術しか知らない連中が悪い」「後ろで見ているだけの連中に言われたくない」ネクロアは焦げた薬箱を二人の前に置いた。
「敵の矢が飛んでいるときも、こんな話し合いをするつもり?」誰も答えない。
彼女は代わりに一つの課題を与えた。
夜明けまでに薬箱を再現し、誰でも開けられるよう印を付けること。
二人は夜を徹して作業した。
完成した箱の蓋には火と氷の印が並び、開け方の図まで描かれていた。
失敗の報告書には、処罰ではなく改善手順が残った。
翌朝の訓練で、伝令役の少年が赤と白の旗を取り違えた。
火炎隊の杖が救護通路へ向いた瞬間、ミリナは薬箱を抱えて地面に伏せた。
炎は放たれなかった。
昨日、失敗した見習いが、号令を待たずに「中止!」と叫んだからだ。
リュカは杖を下ろし、少年を責めようとした隊員を制した。
「今、助かったのは命令を破ったからじゃない。間違いを止める命令が、全員に届いたからよ」ネクロアはその場で訓練規則を改めた。
旗の色だけで攻撃しない。
声と旗、二つの合図が一致して初めて術式を放つ。
間違いを隠す軍ではなく、間違いを見つけて止める軍を作るのだ。
最後に彼女は一枚の紙を全隊長に配った。
そこには三つの命令だけが書かれていた。
負傷者を置き去りにしない。
降伏者を攻撃しない。
住民の家を燃やさない。
リュカが笑う。
「これでは戦う前から縛られてしまいます」「縛られているからこそ、何を守る軍なのか分かるの」
ダリオは三千人の食事を計算して青ざめた。
「一日二食でも、倉庫の麦は五日で尽きます。軍資金はさらに足りません」ネクロアは近隣の村長たちを招き、兵糧を奪わず買い上げる契約を提案した。
村長の一人は机を叩いた。
「王国軍も同じことを言って、代金を払わず持っていった!」ネクロアは金貨を机に並べた。
「今日渡せるのはこれだけ。足りない分は借用証を出す。返せなかったら私を裁いていい」村長たちはすぐには信用しなかった。
それでも契約書の写しを持ち帰り、翌日には荷車が二台届いた。
軍はようやく食べ物を手に入れたが、ネクロアがもっと大切だと考えたのは、村人が荷車を自分の意思で引いてきたことだった。
村長との契約が決まった翌晩、修道院の門に別の老人が現れた。
孫を王国軍に徴用された村人だった。
「あんたたちが勝てば、あの子は帰ってくるかね」ネクロアは簡単に頷かなかった。
「必ずとは約束できません。でも、帰れる道を作るために戦います」老人は長い間彼女を見つめ、荷車の干し肉を差し出した。
国の倉庫に頼らない補給が、また一つ増えた。
翌日、契約に基づいて村から届いた荷車には、干し肉だけでなく三種類の薬草が積まれていた。
薬草の名を見た治療術師ミリナが目を丸くする。
王国軍の補給所では、前線に送る魔力回復薬が優先され、傷を洗う薬はいつも不足していた。
「これなら化膿を防げます」と彼女は言った。
ネクロアは老人に礼を言い、荷の重量と受領した者の名を記録させた。
老人は笑った。
「戦争に帳簿が要るのかね」「戦争が終わっても借りを返せるように」その言葉を聞いた術者たちの間で、誰からともなく荷下ろしを手伝う者が現れた。
三千人が一度に戦えるわけではない。
結界の維持、伝令、治療、炊事、夜間警戒。
それぞれの持ち場を数え直すと、攻撃に回せる人数は思ったより少なかった。
リュシアは弱気な数字を隠さなかった。
ネクロアは逆に安心した。
「数字を誤魔化さない軍なら、立て直せる」夜明け前、各隊長は初めて同じ時計で交代時間を確認した。
夕刻、リュシアは礼拝堂の床に三千枚の木札を並べた。
表には名前、裏には「残る」「去る」の二つの印。
王国軍の最後通告が届く前から、ネクロアは全員に選ぶ権利を渡すと決めていた。
「去った者を追わない。ただし残るなら、隣の人の名前を覚えて」
一人の元鉱夫が立ち上がった。
「俺は戦えない。坑道なら掘れるが、それで何ができる」
「明日の撤退路を作れる。戦う者より先に、生きて帰る道を作ってほしい」
元鉱夫は木札を裏返し、「残る」に爪で印をつけた。
隣の治癒術師がその手を握る。
最初の一人が決めたことで、礼拝堂のざわめきが変わった。
夜の見張りで、ミリナは門前に立つ若い術者が杖を握る手を震わせているのを見た。
「怖い?」青年は頷いた。
「軍にいたころ、逃げる者は裏切り者だと教えられた。ここでも、逃げたくなったら殺されるのか」ミリナは答えられなかった。
代わりにネクロアを呼んだ。
ネクロアは青年の杖を取り上げず、門を指さした。
「去るなら止めない。でも、明日の朝まで待てるなら、一緒に考えてほしい」青年は門を見つめ、やがて杖を下ろした。
翌朝、点呼で最初に返事をしたのは彼だった。
彼は点呼を終えると、門の蝶番に新しい油を差した。
逃げるために開けておく門を、今度は自分が守るのだ。
夜半、見張りの少年が門を叩いた。
「六騎が戻りました。今度は門の前で止まっています」
騎兵は剣を抜かず、封蝋付きの書状を門柱に打ち付けて去った。
リュシアが読み上げる。
『明朝までに全員出頭せよ。
従わぬ者は反逆者とみなす』
礼拝堂が静まり返った。
ネクロアは書状を隠さず、全員の前に掲げた。
「これが相手の答え。今夜のうちに、あなたたちも自分の答えを決めて」
夜明け前、門の外へ向かう者がいた。
ネクロアは止めなかった。
反対に、食堂の床では木札を裏返す音が途切れず続いた。
朝、リュシアは人数を報告した。
「出発した者、四十三。残った者、二千九百五十七」
その数字に、誰も拍手しなかった。
四十三人が去った床を見て、ミリナは給金袋を握った。
昨夜、逃げると告げた老術師には、熱を出した娘がいる。
彼を卑怯者と呼ぶ声が上がる前に、ネクロアは食料袋を一つ門番へ渡した。
「追いかけて。彼の娘に届けて。帰る場所を守れない軍に、ここを守る資格はない」
ネクロアは首を振った。
「去った四十三人の帰る道も、守る。私たちの敵はあの人たちじゃない」
そのとき、谷の向こうで王国軍の軍旗が一枚、朝日に浮かび上がった。
続いて二枚、十枚。
見張りの少年は震える声で数え始めた。
六騎ではなかった。
「門を閉めれば守れます」と少年が言った。
「門を閉めたら、戻ってくる人が入れない」ネクロアは答えた。
「でも、開けたままでは矢が届く。だから門の手前に結界を張る。十人組の一人ずつが交代で支えて」
杖が重なり、三度目に結界が門を覆った。
ミリナは傷病者を中庭へ導いた。
誰もが戻れる場所を、全員で作るのだ。
ネクロアは杖を握った。
「全隊、配置へ。誰も一人で戦わせない」
だが、先頭の騎兵は突撃しなかった。
白い布を巻いた槍の先に、一枚の布告を掲げていた。
見張りが読み上げる。
『修道院に集まった術師の家族は、王国の保護下に置く。
抵抗した者の家族から順に、居住地を移す』。
中庭が静まり返った。
三千人の中には、故郷に親や子を残した者が何百人もいる。
魔力で敵兵を退けても、遠い村の家族までは守れない。
「……私たちが戦えば、家族が人質になるの?」ミリナの声がかすれた。
ネクロアは布告を見つめた。
敵が狙ったのは城門ではない。
ようやく結びついた三千人の心だった。
「リュシア。王国の全街道を調べて。移送の馬車が動く前に、行き先を突き止める」
「軍と戦いながら、ですか」
「そう。だから今夜、誰一人勝手に突撃させない」
そのとき後列から、震える声が上がった。
「俺の娘の名がある」
布告の裏には、すでに数十人の名前が書かれていた。




