第十四話 魔術師四千人による一斉砲撃
王国から駆けつけた応援術者を含め、谷には四千人を超える魔術師がいた。
だが軍団の正式な編成は三千人規模のままだ。
応援部隊は帰還日も指揮系統も異なる。
ネクロアは全員を攻撃に回す案を退けた。
「数が増えたからといって、四千人分の火を一度に撃てばいいわけじゃない」攻撃隊、結界隊、観測隊、救護隊に分け、応援術者にも退避経路と交代時刻を記した札を渡した。
谷を埋めるのは兵力ではなく、役割を知った人々だった。
前線の配置表には、千二百人が火炎と衝撃の攻撃隊、八百人が結界と救護、六百人が地形監視、残りが交代要員と補給支援と記されていた。
リュシアは各隊の札を並べた。
「城壁を撃つ人より、撃った後に何が起きるかを確かめる人が必要です」ネクロアはうなずいた。
守るべきものは、勝利の瞬間だけではない。
壁の向こうに住む人々の翌朝もだ。
城塞内では総督ゲルハルトが大広間の窓から敵陣を眺めていた。
「四千人だと? 城壁の石は一万の投石にも耐えた」工兵長イザークは石壁の裏に走る銀色の細線を示した。
「ただの石ではありません。魔力を受けると、隣の石へ衝撃を逃がす古代術式です。ただし、記録が欠けていて全体の仕組みは分かりません」総督は鼻を鳴らした。
「ならばなおさら安心だ」イザークは答えなかった。
分からないものを安心の理由にするのは危険だった。
最初の斉射は、雷鳴隊の合図で始まった。
赤い光が谷を横切り、外壁の同じ区画へ数百の火球が吸い込まれていく。
轟音が山腹に反響し、城壁が一瞬だけ見えなくなった。
煙が晴れると、石には煤がついていたが、亀裂は見えない。
見張り台から歓声が上がった。
王国の将校なら、ここで二射目を命じただろう。
しかしネクロアは杖を下げた。
「記録。着弾の順番、壁面の発光、谷底の振動を」
斜面の救護所では、魔力を使いすぎた術者が横になっていた。
治癒術師は脈を取り、温かい飲み物を渡す。
「火球をあと十発撃てます」と術者が訴えると、「十発撃って倒れるより、明日また立てる方がいい」と返した。
リュシアはそのやり取りを聞き、交代表の休憩時間を延ばした。
城壁の向こうにいる敵だけでなく、こちらの疲労もまた戦場の一部だった。
観測役の魔術師が紙を差し出す。
「最初の十発だけ、石が白く光りました。その後は光が薄くなっています」「吸収ではなく分散ね」ネクロアは壁面に浮かぶ線を指でなぞるように見つめた。
「壁の奥へ魔力を送っている。受けた力が消えるわけではない」リュシアは顔を上げた。
「送った先は?」 「それを探すための攻撃よ」
第二射では火球を三か所へ分けた。
壁の中央に大きな衝撃を与え、左右には弱い雷撃を流す。
すると中央の石が白く光った直後、左の見張り台の下で小さな青い閃光が走った。
イザークはその光を見て血の気が引いた。
古代術式の経路は壁の内部だけではない。
地下の支柱へ通じている。
敵はその道筋を探っているのだ。
ゲルハルトは弓兵に反撃を命じた。
矢が谷を埋め、投石器から岩が飛ぶ。
だが結界隊は斜面の手前に透明な防壁を重ねていた。
矢はその表面で勢いを失い、岩は地面へ滑り落ちた。
ネクロアは防壁を維持する術者の顔色を確認する。
「交代は予定どおり。敵の挑発に乗って前へ出ないで」一人が頷いた。
力任せに攻めれば勝てると思っていた新兵も、今日の命令の意味を理解し始めていた。
昼前、攻撃隊は三射目を放った。
今度は壁を壊すためではなく、反応を測るために威力を細かく変えた。
小さな火球では反応せず、一定以上の衝撃で銀線が光る。
さらに連続して打つと光の到達が遅くなった。
「術式には処理の限界がある」とシードが言った。
ネクロアは首を振る。
「限界はある。でも無理に超えれば壁が壊れる前にこちらの魔力が尽きる。敵が望んでいる消耗戦よ」
城塞の市場では砲撃の音がするたびに店の戸が閉まった。
パン屋の老人は孫を地下室へ避難させ、焼き上がったパンを布で包んだ。
「城壁は無事だと総督が言っている」と隣人が話す。
老人は窓の震えを見て答えた。
「壁が無事でも、暮らしが無事とは限らん」その言葉は、後にイザークが総督へ提出する報告書にも書き込まれた。
城内では民間の倉庫にひびが入り、井戸の水面が波打っていた。
砲撃が直接当たっていない場所だ。
イザークは地下室の古い図面を広げ、城壁と倉庫の間に埋設された柱の位置を赤く囲んだ。
「総督閣下、術式は城の内部にも力を流しています。続けられれば民家が危険です」ゲルハルトはしばらく黙ったあと、「城壁は破られていない」とだけ答えた。
日没前、ネクロアは砲撃を停止した。
外壁は立っている。
城内から勝利の鐘が鳴った。
シードは悔しそうに拳を握る。
「今日は負けたように見えます」ネクロアは観測図を受け取った。
「見えるだけよ。敵は壁が無傷だと思っている。でも私たちは、壁がどこへ力を逃がすかを知った」彼女は地下に伸びる一本の線を指した。
「次は、壁ではなくこの先を調べる」
砲撃の間隔を計る係は、空の砂時計を三つ並べていた。
最初の斉射から次の斉射までの時間は、敵の反撃だけでなく味方の呼吸を整えるためにも必要だった。
彼は見張り台の発光と谷底の振動を別々の紙に記録し、あとで照合した。
初めは退屈な仕事だと思っていたが、城壁が壊れない理由を見つける鍵が自分の記録にあると知り、筆を持つ指に力が入った。
砲撃の指揮を執るリュカは、城壁の同じ場所に火球を重ねようとした。
だが二射目の直前、観測手が黄色い布を振る。
壁の向こうに水汲みの人影が見えたのだ。
「一射を無駄にします」と副官が叫ぶ。
リュカは砲列を横へずらした。
命中したのは無人の見張り台。
城壁は崩れなかったが、敵の観測窓が開いた。
リュシアはその窓から地下へ延びる換気口を見つける。
撃たなかった一射が、次の作戦の入口を作った。
砲撃を見守る斥候は、城壁の上に立つ旗手の動きを記録した。
最初の一撃では旗が振られ、二撃目では旗が見えなくなった。
敵の将校が恐れているのは壁の崩壊だけではない。
命令が届かなくなることだ。
彼はその変化を小さな紙に書き、リュシアへ届けた。
四千人の一斉砲撃を前に、伝令の少女が片腕を上げた。
「第三列、合図が見えません」見物していた将校は急げと怒鳴ったが、ネクロアは全隊を停止させた。
四千人のうち一列でも誤射すれば、味方の救護路が消える。
号令が一つ届くまで待つ時間は、弱さではなかった。
四千人の一斉詠唱で、後列の見習いが息を詰まらせた。
隣の術師は自分の術式を中断し、その肩を支えた。
号令より遅れた二人の分を別の隊が補う。
ネクロアは一斉砲撃の記録に「全員が撃った」ではなく「全員が帰った」と書かせた。
谷の反対側にいた土術師は、足元の小石が震えるたびに地面へ耳を寄せた。
城壁へ着弾した魔法が地下を通り、時間差で伝わってくる。
音が届くまでの間隔は一定ではない。
彼は地図の上に点を打ち、地下に隠れた通路の形を少しずつ浮かび上がらせた。
砲撃隊の若者は、城壁が崩れないことに焦った。
だが井戸から戻った報告には、衝撃が遅れて伝わる時刻が残っていた。
破壊できない壁は、内部の仕組みを隠しきれない。
彼は威力ではなく間隔を調整した。
井戸番は濁った水を捨てず、瓶に日付を記して並べていた。
イザークはその瓶を一つずつ灯に透かした。
戦場を知らない者の地道な記録が、地下の変化を教えていた。
井戸番は総督へ報告書を出す前に、紙の端へ水の温度を書き足した。
数字は小さかったが、前日の値と並べると異常がはっきりした。
「水は嘘をつきません」と彼はイザークに言った。
イザークは返事をせず、受け取った紙を折らずに懐へ入れた。
その夜、城塞の井戸番がイザークに一枚の紙を渡した。
砲撃のたびに井戸の水が濁り、止んだ後もしばらく温かかったという記録だ。
イザークは紙を握り潰しかけ、思い直した。
総督に見せれば叱責される。
それでも隠せば、次の砲撃で住民が巻き込まれるかもしれない。
彼は夜間の立ち入りを禁じられた地下区画へ向かった。
城壁の勝利を祝う鐘が鳴った。
その音が途切れると、井戸の底から別の低い響きが伝わってきた。
イザークは地下区画の錠へ手を掛けたが、すぐには開けなかった。
背後には水汲みの子供たちが並んでいる。
まず井戸を封鎖し、代わりの水を運ばせる。
扉を開くのは、その命令が届いたと確かめてからだ。
彼の決断を記録した兵は、初めて「工事中止」の文字を日誌に書いた。
リュカは照明へ回した火球が夜空に消えるのを見た。
井戸から戻る子供のうち一人が、空を見上げて手を振った。
直後、敵の矢が照明の残光を切り裂いた。
リュカは盾役の前へ出る。
「撃たせておけ。あの子たちが角を曲がるまでだ」
砲撃の成功より長い数十秒を、紅蓮隊は歯を食いしばって守った。




