第十三話 攻城兵器など必要ない
三日目の朝、グランベルクの城門前には奇妙な光景が広がっていた。
攻城塔はない。
破城槌もない。
投石機の車輪の音もしない。
三千人の魔術師たちは、城壁から十分に離れた平地で、地面に白い線を引いていた。
「何をしている」
見張り兵が首を傾げる。
「祭りの準備か?」
誰かが笑った。
しかし工兵長イザークは、その白い線を見た瞬間に顔色を変えた。
線は一見ばらばらに見えたが、丘の上から眺めると巨大な円の一部を描いている。
「魔法陣だ……城壁の外側に、あれほど大きなものを」
彼は望遠鏡を持つ手を震わせた。
円の中心は城門ではない。
城壁のさらに下、地中へ向けられている。
工作隊が古い排水口を開けると、城内から子供の泣き声が聞こえた。
兵だけが使う通路ではなかったのだ。
隊長は導火線を切った。
「爆破をやめます」ネクロアは責めず、通路の先を調べ直すよう命じた。
城を早く落とす方法は失ったが、そこに暮らす人々の出口は残った。
ネクロアは円の中央で、五人の隊長を集めた。
「この陣は攻撃用ではないわ」
ダリオが目を瞬かせる。
「では、何のために?」
「調べるためよ。古代の防御術式が、どこへ力を逃がしているのか」
氷晶隊長エルネは図面を見た。
「地下の水路に沿って魔力が流れています。水路を凍らせれば、術式の動きも鈍るのでは」
「住民の飲み水まで止めてしまう」
「……そうでした」
「悪い考えではないわ。目的が違うだけ。水そのものには触れず、水路の外側の石を冷やせる?」
エルネはしばらく考えた。
「温度差で石が収縮します。けれど急激に冷やすと水路が割れます」
「だから、ゆっくり。壊さず、音を聞くの」
雷鳴隊長フェリクスが笑った。
「魔法で城の音を聞く。ずいぶん静かな攻城戦ですね」
「静かなうちに終われば、一番いい」
魔術師たちは交代で術式に魔力を注いだ。
白い線の上に薄い光が走り、地面の下へ染み込んでいく。
ネクロアは目を閉じた。
岩盤を伝わる魔力の震えが、指先に返ってくる。
外壁から中壁へ。
中壁から内壁へ。
そして、内壁の下から古い貯水施設へ。
「やはり、ここね」
彼女は図面の一点を示した。
「防御術式の中継点。ここが働いているから、城壁は衝撃を分散できる」
セヴランが言った。
「そこを壊せば、壁は普通の石に戻る」
「その通り。でも、壊した瞬間にどこへ力が流れるか分からない。だから、先に流れを逃がす道を造る」
「逃がす道?」
「城壁ではなく、外の岩盤へ。古代術式の力を、安全な場所へ受け渡すのよ」
セヴランは思わず笑った。
「敵の城を壊す前に、敵の城を守る仕組みを作るのですか」
「そういうこと」
昼過ぎ、城塞から騎兵二百が出撃した。
総督は魔法陣を壊すよう命じたらしい。
狭い谷道を駆け下りる馬の蹄が、乾いた土を跳ね上げる。
「結界隊、前へ!」
リュシアの声で青い壁が立ち上がった。
騎兵の先頭が急停止する。
後続が慌てて手綱を引き、隊列が乱れた。
「氷晶隊、足元だけ!」
馬の前方に薄い氷が広がる。
馬たちは進めず、しかし滑って転ぶほどの勢いもない。
騎士たちは盾を構えたまま立ち尽くした。
ダリオがネクロアに尋ねた。
「火球で追い払いますか」
「いいえ。逃げ道を残して」
「ですが、また来ます」
「そのときも止めればいい。私たちの仕事は、怒った相手を殺すことではない」
結界隊が壁を少しずつ前進させると、騎兵たちは馬首を返した。
矢一本、火球一発も交わさず、出撃は終わった。
城壁の上からその光景を見た守備兵たちは、笑わなかった。
二百の騎兵が、一歩も敵に届かなかったのだ。
「魔術師は近づかれたら終わりだと聞いたぞ」
新兵が呟いた。
年配の弩兵は答えられなかった。
魔術師が弱いのではない。
自分たちが知っていたのは、孤立した魔術師だけだった。
三千人が互いを守る軍団になったとき、何が起きるかを誰も教えてくれなかった。
夕方、イザークは城壁の地下倉庫へ降りた。
古代の記録板が眠る部屋で、彼は埃を払い、刻まれた文字を読み進めた。
『三重防壁は、衝撃を大地へ逃がす。
中継石の流れが乱れたとき、無理に魔力を注いではならない』
その下には、赤い文字があった。
『過負荷は逆流を招き、内側の街を砕く』
イザークの喉が乾いた。
「総督は、魔力を増やせと命じていた……」
彼は記録板を抱えて階段を駆け上がった。
同じころ、ネクロアの陣営にも知らせが届いた。
「城壁の魔力が増えています。昨日の倍以上です」
セヴランの声には緊張があった。
ネクロアは図面から顔を上げた。
「守備側が術式を強化しているのね」
「このままでは、私たちの測量陣まで押し返されます」
「いいえ。それより危険なのは城内よ。あの術式は、強くすればいいというものではない」
彼女は杖を取り、天幕を出た。
遠くの城壁が夕日に染まっている。
その下で、古代の魔力が不規則に脈打っていた。
「リュシア。明日の砲撃は中止。全隊、救助の準備を」
「攻城戦を始める前に救助ですか」
「敵が自分の城を壊しかけている」
ネクロアの声が鋭くなった。
「私たちが先に止めなければ、街の人々が死ぬわ」
夜明け、前夜から掲げられていた白布の下に、一枚の図面が吊された。
城内の工兵長イザークが命令に背いて描いた地下隔壁の断面図だ。
城外のダリオは図面の隅に自分たちの測定値を書き足し、矢に結びつけて送り返した。
敵同士の二人が初めて、同じ数字を確かめ合った。
「壁を崩すのではなく、流れを外へ逃がす」
ネクロアの指示で工作隊が谷の無人の岩場に細い溝を掘り、氷晶隊が石をゆっくり冷やした。
急激に冷やせば隔壁が割れる。
炎の隊は攻撃ではなく、凍りすぎた箇所を温める役に回った。
城内では総督が防御陣への魔力増幅を命じた。
石壁が低く唸り、井戸の水面が跳ねる。
イザークは総督の前に測定帳を突き出した。
「増幅を止めなければ、水源が崩れます!」
「敵の手先になったか!」
衛兵が彼の腕をつかんだ。
その瞬間、城外の溝に青い光が走り、地下の震えが少しだけ弱まった。
ダリオの逃がし道が働き始めたのだ。
だが完全ではない。
城壁の下で、二つ目の魔力の脈が目を覚ました。
「最初の溝を塞げば収まりますか」とエルネが尋ねた。
「塞げば水路へ逆流する。逃がす道は残す」ダリオは図面の余白に、もう一つの矢印を書き込んだ。
そのとき、城門の上から図面を吊るした縄が切られた。
イザークが衛兵に引き倒される姿が見えた。
地面に落ちた紙を、城外の測量係が走って拾う。
裏面には、震える字で一行だけあった。
『第二中継点は、病院の地下』
「病院を巻き込めば、どちらが勝っても負けよ」ネクロアは杖を上げた。
「全隊、攻撃中止。病院へ通じる避難路を確保する。次の一撃は、城壁ではなく私たちが受け止める」




