東の森
リエラはユーリの提案通り、翌日セレニティス城へ戻った。
呪いの解き方をどうしても見つけたい彼女は、数日間、城から一歩も外へ出ずに、一生懸命本を読んでいた。
結婚式まで、あと二週間と迫ったーー六月二十三日。
リエラはある文章に出くわした。
『東の森ーーこの世界の命の源となる場所。そこは、人間も人魚も、決して見ることの出来ない楽園』
ブルーの瞳は本からついと上げられ、
「東の森……か。そこに、何かあるのかも知れないね。だとしたら、さっそく調べに行かないと……」
リエラは本をパタンと閉じて、部屋のあちこちから荷物を引っ張り出した。
「寒いかも知れないから、毛布持っていこう。それから……携帯もいるね。……あ、あとあれもいるね。……あれもだ」
数分後、準備を整えたボケ姫は、部屋のドアを勢いよく開け、
「よし、急いで行くぞ! おぉっ!!」
また一人で勝手に出かけようとしている姫。さっそく、召使いに見つかった。
「リエラ様、どちらへ?」
(荷物を持っておられるご様子から、城の外へお出になられるように見えますが……)
少し姫に慣れてきたリエラははっとして、目を輝かせ、
(そうだった。
ちゃんと言わないといけないんだったね)
先走り姫は屈託のない笑顔で、
「東の森に行きたーー」
(東の森に行きたいので、お願いします)
召使いは姫の言葉の途中で、なぜか必要以上にびっくり仰天!
「東の森でございますか!?」
(どういうおつもりですか!?)
予想外の反応をされたので、リエラはきょとんとした。
「え……?」
(あれ、また間違ったかな?)
召使いは今までと違って、強い口調で、きっぱりと、
「東の森だけは、絶対にダメです」
(必ず阻止させていただきます)
リエラは戸惑い気味に、
「……どうして?」
(言ったのに、行けないなんて変だね?)
この世界のルールを知らない姫は、なぜ止められたのかわからなかった。まさか、姫が地球から移動してきたとは知らない、召使いはあきれたようにため息をつき、
「昔からの言い伝えを、お忘れですか?」
(こちらのことだけは、お忘れにならないでください。
他のことは仕方がありませんから)
期待をあまり持たれていない、リエラはここで、一気に大暴投!
「ん……?」
(良いツタ絵……?
東の森に……すごい絵があるのかな?)
姫はどこか遠くの世界へ行ってしまった。リエラの様子を見て取った召使いは、気の毒そうに、
「東の森へは、人魚族は近づいてはならないと……」
(きちんと話が姫さまに通じているか、心配でございます)
リエラはまじまじと召使いの顔を見つめ、
「えっと……どういうこと?」
(近づけないような絵……なのかな?
それが呪いを解くヒント?)
さらに大暴投した姫を前にして、召使いは半ばあきらめ気味に、
「そちらへ入った者は、二度と戻ってこれなくなるんです」
(どうやら、姫さまには通じていないようでございます)
「……戻ってこれなくなる」
(その絵には足が生えてる……のかな?
んー……難しいなぞなぞだね)
アイシスの言う通り、わからないことはすぐに、リエラはなぞなぞにしてしまう。全く話が通じていない姫に、召使いは一言、
「とにかくダメです、式も近いんですから」
(何かあったら、ユーリ様がご心配されます)
とりあえず釘を刺した。考え込んでいるリエラを一人残して、召使いは急いで廊下を泳いでいく。
(すぐに、作戦Gを発令しなければ……。
従者の方を探さないと……)
リエラはいったん部屋の中へ戻った。
「ん……? 行くと、ツタの絵があって……。近づけなくて……戻れない……。戻ってこれないんだったら、どうなるんだろう? んー…………? わからないね」
かなり危険な場所のような匂いが思いっきりするが。大暴投しているリエラはため息をついて、ドアへ振り返り、
「行ってみたら、なぞなぞの答えもわかるね。よし、行こう」
先走り姫、さくっと決断し、再び部屋を飛び出した。
【静止】
長い廊下をキョロキョロしながら、泳いでいく。
(誰かいないかな?
出かけるって言わないと……)
玄関ホールまで来た姫は、ふと振り返った。
(誰にも会わなかったね。
変だね、誰もいないなんて。
いつも出かけようとすると、誰かに止められるのに……)
リエラが玄関の扉に手をかけても、不思議なことに作戦Gは決行されなかった。ボケ姫はぐるーっとあたりを見渡して、首を傾げて、
(ん? 何だか、物音がしない気がする)
まるで時間が止まったかのように、セレニティス城内は静かだった。外を泳いでいる魚たちも、不思議なほどまわりにいず、
(みんな、昼寝してるのかな?
あぁ、そうかも知れないね。
だったら、起しちゃいけないよね。
そっと……そーっと出ないとね)
能天気な結論を出したリエラは、扉を静かに開けて、一人でセレニティス城を出発した。
東へ向かってしばらく泳ぎ続けたリエラは、綺麗な海岸に辿り着いた。キラキラと光る海から上がって、髪飾りをつける。
薄茶色のサラサラとした砂浜。
色とりどりの貝殻。
降り注ぐ太陽。
これらを感じながら、二本足で歩いて行き、目の前に広がるうっそうとした森を眺めて、
「ここかな?」
(中はよく見えないね……)
携帯をバックから取り出して、手前へ傾け、
(一時過ぎ……。
みんなのお昼寝が終わるまでに帰らないとね。
心配かけちゃうから。
急いで探して、お城に戻ろう。おぉっ!!)
妙に張り切って、リエラが右足を踏み入れた途端、足と体が隔離されたような感覚がビリっと全身に走り抜けた。
「!!」
右足を一歩前に出したまま、立ち止まって、
「ん? 戻った方がいいのかな?」
背後に広がるエメラルドグリーンの海へ振り返り、
「でも……呪いの解き方、ここにあるかも知れないんだよね。んー……?」
リエラは何かの境界線のようなものの上で、森と海を交互に見始めて、
「行こうかな? 戻ろうかな? …………。…………」
【誘い】
ふと、森の奥から何かを感じ取った。
「……やっぱり、行った方がいい気がする。誰かが……呼んでる気がする。だから、行かないと……」
リエラはそう思って、両方の足を踏み入れた。今度は、視界に異常を感じる。
「あれ? 今、歪んだ気がする……。気のせい……?」
原因を探ろうとすると、
【月に属する者】
なぜか急に頭がぼうっとしてきた。
(…………。
…………。
…………)
リエラは誰かに操られているような瞳で、ぽつりと、
「……進もう」
そして、彼女は引き寄せられるように、ふらふらと森の奥へ入っていった。
たくさんの木が生い茂っているわりには、辺りは異常なほど明るかった。
意識がはっきりしてきたリエラは、急に大声を上げ、
「うわっ! すごいね。これ、光ってる」
まわりに生えている木や草は、全て不思議なことに薄緑色の光を自ら放っていた。リエラはすぐ側の木にそっと触れて、
「何だか、ほっとするね」
(すごく優しい感じがする)
植物の生きている鼓動が、強く感じ取れた。人魚姫はすっかり安心して、さらに奥へと進んだ。
しばらく行くと、誰が立てたのか木の看板が。
『戻れなくなる』
リエラはそこに書かれた文字を読んで、目をパチパチ。
「え……?」
(戻れなくなる?
……召使いさんが言ってたのと同じだ)
看板の後ろに広がる、緑鮮やかな森をのぞき込み、
「やっぱり、なぞなぞの答えがここにあるんだね。よし、先に行ってみよう!」
呪いの解き方を探していたはずなのに、いつの間にかなぞなぞの答え探しに。ボケ姫、言動がめちゃくちゃである。
リエラは看板を追い越して、再び先へ進み始めた。優しい風の音と共に、鳥のさえずりが聞こえてきて、
「何だか、穏やかな場所だね。ふふ〜ん♪ 楽しいなぁ」
散歩気分で歩いていたリエラは、また木の看板に出くわした。
『嘘はもう終わり』
ボケ姫、激しく目をパチパチ。
「えっ? どういうことだろう? 嘘……? んー……誰かがついてたのかな? でも、もうつかなくてよくなったのかな? 何だか、そんな気がするね……」
しかし、あまりにも意味不明なため、さすがのリエラも首を傾げた。
「でも……それが呪いの解き方と関係するのかな? えっと……先に行けばわかるかな?」
不思議なことに、リエラは自分で話を戻し、呪いの解き方探しに戻った。
看板の奥をのぞき込んで、ボケ姫は珍しく何かに気づいた。
「あれ? さっきも、ここ通ったような気がするね。気のせいかな?」
リエラは看板に書かれた文字に視線を戻して、
「でも……書いてあることは違うよね? それなのに……景色は一緒……? んー……? あぁ、そうだ!」
何かを思いついて、バックの中からハンカチを取り出した。
「これを巻きつければ、同じかそうじゃないか、わかるね」
手早く看板の柱にそれを巻きつけて、さらに奥へと進んだ。
木に触れたり、鳥の鳴き声を楽しんでいると、また木の看板に出くわした。
『大切なことに気づきますように』
「あれ、まただ……」
リエラは再び目をパチパチ。
「あれ……これって……」
看板の柱に巻きつけてある布を見て、びっくりして飛び上がり、
「えぇっっっ!?」
(さっき巻きつけたハンカチ!?)
慌ててそれを外して、
「あっ! 自分の名前が刺繍されてる。え、でも……」
彼女は看板に視線を上げて、つぶやいた。
「大切なことに気づきますように……? えっと、大切なことって呪いの解き方のことかな? 確かに……呪いの解き方は大切だよね……」
呪いの解き方探しに夢中で、リエラは気づいていなかった。おかしなことが起きていることに。ワンテンポ遅れて、
「あれ? 自分のハンカチがあったよね」
手元の白い布を見つめて、再び看板に顔を向け、
「でも、看板の字は違う。……ってことは、文字だけ変わってるのかな? そうだね……!!」
さらに何かに気づいて、森中に響く大声を上げた。
「えぇっっっ!?」
(同じところをぐるぐる回ってる!?
……そういうことになるよね。
真っ直ぐ進んでると思ってたのに、戻って来ちゃったのかな?)
今頃気づいた、ボケ姫。リエラは看板の字を見つめて、不思議そうに首を傾げて、
「これって……誰が書いたんだろう?」
(字が変わってるってことは……誰かが変えたんだよね?
あれ? 誰かがずっと見てるってことーー!!)
その時、彼女は背後に何かの気配を感じて、
「ん、誰かいる?」
さっと振り返ってみたが、どこまでも続く森が広がっているだけ。がしかし、リエラはさっきまでと違う何かに気づいた。
「何だか……たくさんいるような気がする。やっぱり誰かいるのかな?」
木々の間や草むらに視線を向けてみるが、誰の姿も見えない。
「んー……誰もいないのに、見られてる気がするだよね。気のせいなのかな?」
彼女の感じている気配は、人よりももっと長い年月を生きているもののようだった。近くに生えている木にそっと触れて、
「……人じゃなくて、木なのかな? でも……普通の木と違うみたいだね。何が違うんだろう? それに、何だかどっかで……」
何かと今感じている気配が重なりそうな気がして、空を見上げた。すると、なんと木々の隙間から、美しい星空が。違和感を思いっきり抱いて、リエラはびっくりして飛び上がった。
「えぇっ!?」
(よ、夜になってるよ!? さっき、お昼だったよね? あれ?)
東の森に入ってからのことを思い浮かべ、
「そんなに歩いたかな? ……一時間ぐらいだった気がするけど」
リエラはそこで、姫として、大切なことを思い出した。
「あっ、そうだ! 早くお城に帰らないと、みんな心配してるよ」
(戻らないと……)
歩き出そうとして、先走り姫はすぐに立ち止まった。
「あれ? どっちから来たんだろう? えっと……看板がこっちにあるからーー!!」
看板があったと思われるところを見て、目をパチパチ。リエラのブルーの瞳には、ただただ森が広がっているだけ。
「え……?」
(さっきまで……ここにあったよね?
消えちゃった? ん?
看板さ〜ん!)
あたりをウロウロと探し回ったが、まったく見つからなかった。
リエラはふと立ち止まって、
「……困ったね。迷ったんだ。どうしようかな?」
召使いが注意した通りになってしまった。姫は手にしていた荷物を持ち上げて、
「あっ!!」
それを素早く地面に下ろし、ガザガサと中をかき回した。
「携帯があったんだ。それで連絡すれば、とりあえずは心配させないね。携帯……携帯……」
それを取り出し、右手で高く持ち上げ、
「あった!! よし、これでもう大丈夫だ」
画面の端を一度確認。
「電波も来てる。よかった、持ってきて。よし、かけるぞ!!」
意気込んでタッチしようとして、先走り姫はすぐに手を止めた。
「えっと……セレニティスには電話はなかったね。誰にかければいいのかな?」
リエラが首を傾げた時、頭上ですぱっと何かが切られたような気がした。
(ん、何だろう?)
不思議に思って彼女は見上げたが、先ほどまでと何も変わらない綺麗な星空が、木々の間に広がっていた。
(気のせいだったのかな?
そうかも知れないね。
やっぱり、ユーリにーー!!)
リエラは画面の端を見て、大声を上げた。
「えぇっっ!?」
(み、見間違い!?)
ありえないことが起きていて、ボケ姫は何度も目を手でこすり、
「あ、あれ? さっきまで、電波来てたよね?
(でも……『圏外』になってる……。おかしいなぁ?
向きが悪いのかな?)
ボケ姫はおかしなことに、携帯を色々な角度から眺め始めた。向きは電波に関係ないのに。
しばらくそうしていたが、もちろん『圏外』であることに変わりなかった。
「……困ったなぁ」
(これじゃ、連絡出来ないね)
リエラは珍しくため息をついて、近くにあった丸太の上に腰掛けた。頬杖をついて、星空を見上げ、
「ちょっと疲れたなぁ。少し休んだら、道探してみよう」
【炎の国】
誰かに操られたように、空飛ぶ乗り物が舞う、あのスクランブル交差点を思い出した。
「そうだ」
(ウロウロすると、カーバンクルの時みたいに迷子になっちゃうよね。
とりあえず、朝になるまでここにいよう)
先走り姫は、珍しく大人しくこの場で夜を明かすことにした。
防寒用に持ってきた毛布を肩からかけると、ふと彼女の脳裏に寒さに震えるユーリの姿が浮かんで、
「やっぱり、ジュレイテにも連絡いくよね? ユーリ、心配してるかも知れないね。あれ?」
リエラは何かに気づいて、
「……いつの間に、一番大切になったんだろう?」
(ジュレイテには、お姉ちゃんもカータさんもいるのに……。
どうして、一番最初に思い出したんだろう?
大切な人って……こういうこと?)
もう少しで、ユーリに対する気持ちが何なのかわかりそうなリエラ。十八の誕生日ーー結婚式はもうすぐ迫っている。だが、
【月 深き眠り】
リエラがその答えに辿り着くことを遮るかのように、急速に眠気が襲ってきた。
(ん? ……何だか……眠くなってきたね。……前にもこんなことがあった気がーー)
そこまで考えると、誰かに無理やり奪われるように、彼女の意識はすっと途切れた。
優しい森が何かから守ってくれるように、彼女のまわりに静かに広がっていた。




