時は満ちた
ジュレイテ城の客間に案内されたリエラは、さっきからはしゃぎっぱなしだった。
「わっ、可愛い!」
女の子が大好きそうな、パステルピンクのカーテンへ近寄り、それに触れていると、外気がすっと中へ滑り込んできた。
「外は寒いんだね」
寒さに肩を震わせ、背後でゴウゴウと音を立てている方へ振り返る。
「暖炉って、あったかいんだ」
あるものを見つけて、カーテンからぱっと手を離し、部屋の真ん中へぴゅっと走ってゆく。
「うわっ!」
彼女が見上げたそこには、レースのカーテンの天幕が。本当にお姫さまだと思いつつ、視線を自然と下ろし、
「……あぁ」
リエラのテンションは珍しく下がった。複雑な表情で、
「すっかり忘れてた、人魚だってこと……」
ベッドはしっかり、水槽の中。再び、別のものを見つけ、リエラは落ち着きなくそちらへ走っていく。彼女の目の前には、プレゼントが山のように積まれていて、
「すごく嬉しいね。こんなにいっぱい、もらえるなんて……」
一番上に積まれていたものを手に取り、ふたを開けた。中に入っていたメッセージカードに目が止まり、
「あっ! これ、ユーリからのだ」
太陽のように輝く、宝石をちりばめた首飾りを取り出した。
「うわ、綺麗だなぁー。ちょっと当ててみよう!」
鏡の前へ、ピューっと移動し、ウッキウキで首に当て、
「ふふーん♪ ふーんーー」
リエラにそこで、姫さまらしからぬ心配事が浮かんだ。首飾りを自分から遠ざけて、まじまじと見つめる。
「これ……高かったんじゃないかな? ユーリ、お金が欲しかったんじゃなかったっけ?」
そしてさらに、彼女は姫さまとして、あるまじき行為に出た!
「あ、そうだ!」
部屋の扉の方へクルッと振り返り、
「ユーリにお礼言わなくちゃ!」
首飾りを手に、なんと、リエラは勢いよく部屋から飛び出した。
しばらく、夜更けの廊下を走ってから、
「あれ?」
先走りのリエラは重大なことに気がついた。
「えっと……?」
きょろきょろと辺りを見渡す。
「ユーリの部屋はどこ?」
人気のない廊下に、リエラの声がこだました。右往左往しながら、
「廊下がたくさんあって、どこだかわからないね」
それは当然である。ここは一国の主人が住む城なのだから。あたりに漂う冷たい空気にさらされて、リエラは両手で肩を包む。
「部屋はあったかかったけど、廊下は寒いんだね」
ふと窓の外を見た彼女は、急に目を輝かせた。
「わぁー、雪降ってる!」
窓際へさっと寄り、
「明日、雪だるま作りーー」
またまた、姫さまらしからぬことを考え出したリエラに、突如、驚きを含んだ声が。
「リ、リエラ様……!!」
「え……?」
セレニティス姫が振り返ると。ろうそくを手にした召使いが、こちらをじっと伺っていた。
「どうなさったのでございますか?」
考えなしに出てきたので、部屋着のままの姫の行動の意味を推測っていた。リエラはぱあっと笑顔になり、
(やったぁ! これで、ユーリの部屋に行けるね)
そして、彼女はこの世界のルールをしっかり無視して、こんなことを言ってしまった。
「あの、ユーリの部屋はどこですか?」
姫なのに丁寧語。しかも、内容がとんでもないこと。召使いは思わず息呑んだ。
「っ!」
そして、辺りをうかがつつ、昼間の召使いの集まりを思い返した。
(このような大役、私のような新米でよろしいのでしょうか?)
さらに、召使いは夜更けの廊下を見渡す。
(しかし、他にどなたもいらっしゃらーー)
「あ、あの……」
リエラの戸惑い気味の声が聞こえてきた。姫は召使いも道に迷っているのではないかという、あり得ない考えにたどり着いていた。心配されている召使いは、姫の心などは知らず、覚悟を決める。
(これは、ジュレイテ王族に仕える、私たち全員に課せられた使命なのでございます。神様、このような大役を私にお与えくださって、ありがとうございます)
感謝を神に捧げた召使いは、リエラに視線を止め、
「ご案内いたします」
さっそうと歩き出した、まるで、これから戦地へ向かう兵士のように。リエラはほっと胸をなで下ろし、何の考えもなしに、召使いのあとに続く。
(よかった。これで、ユーリにちゃんとお礼が言えるね)
廊下にある装飾品や絵画などを眺めながら、リエラはウキウキで歩いて行く。召使いはそんなセレニティス姫の様子を、横目でうかがいながら、
(いい感じでございます。あとは、ユーリ様が……)
この時のリエラは、何も知らなかった。というより、恋愛に鈍感な彼女が気づくはずもなかった。この先、どんな展開が待ち受けているのかを。
しばらくすると、立派な扉の前で召使いは歩みを止めた。呑気に後ろからついてきていた姫へ振り返り、
「こちらでございます」
リエラは扉を見て、丁寧に頭を下げた。
「ありがとうございます」
これでは、どっちが姫さまなのかわからない。先走りのリエラは、自分でノックをしようと手を上げた。それを、召使いは慌てて止める。
「お待ちください」
(そちらは、私の仕事でございます)
リエラはぱかっと口を開け、
「え……?」
(抹茶ください?)
完全に聞き間違っている姫を置いて、召使いは扉をノックした。
「ユーリ様、起きていらっしゃいますか?」
「……何だ?」
だるそうな声が中から返ってきた。召使いは声のトーンを落とし、
「……リエラ様が、お会いしたいとおっしゃていますが」
王子は廊下まで聞こえるような、盛大なため息をつき、
「明日だ」
召使いは、王子の言葉に一瞬ひるむ。
(ユーリ様は、違ってらっしゃるのでしょうか?)
自分に、パチクリしている目をずっと向けているリエラをちらっと見て、
「そ、それが……」
パーティ会場でのリエラとユーリが話しているのを思い出し、召使いは頭を振った。
(そんなはずはございません! 今日、初めてお会いになられたのに……。以前からお知り合いのように、気が合っておられました。きっと……!)
気持ちを奮い立たせ、召使いは王子にもう一度、
「もう、こちらにおいでなのでございますが……」
(ユーリ様は、照れていらっしゃるのですね)
何か勘違いしている召使いの言葉に反応し、不機嫌な足音が扉に近づいてきた。少しだけ開けた扉の隙間から、ユーリが顔だけのぞかせる。
「どういうつもりだよ?」
肩をカタカタ震わせながら、リエラは、
「あの……話がしたくて」
あきれ顔で、ユーリはさらに扉を開け、
「まったく、入れよ」
(入れてやる、ありがたく思え)
いつもと変わらない幼なじみの態度に、リエラは素直に従う。
「あぁ、うん」
王子の自室に何の戸惑いもなしに入った姫を見て、召使いはほっと胸をなで下ろした。
「…………」
(やはり、そうなのでございますね。おふたりは……)
召使いの笑みを見て取ったユーリは、複雑な心境で、
「下がっていい。話が終ったら呼ぶ」
(勘違いするなよ)
「はい、かしこまりました」
一礼した召使いは、廊下へくるっと向き直り、
(今夜はもう、呼ばれないかも知れませんね)
幸せそうに微笑みながら、部屋から離れていった。その後ろ姿に、ユーリは心の中で注意する。
(すぐ呼ぶんだ、ちゃんと待機しとけよ)
大きくため息をつきつつ、扉を閉めた。
暖炉の前で、冷えた体を暖めているリエラを、ユーリは一瞥し。ため息をつきながら、彼女の側にある椅子へ腰を下ろした。
「今、何時だと思ってるんだよ?」
リエラは驚いて、彼の方へ振り返った。
「えっ?」
幼なじみのその態度から察して、リエラが時間など気にしていないのを見て取り、ユーリは苛立ち混じりの声で、
「十二時過ぎ」
夜中に、他国の姫が、他国の王子の部屋を訪ねる。意味深すぎるシチュエーション。だが、恋愛に鈍感なリエラは、のんきにズレたことを口にする。
「そうなんだ。楽しい時間は、あっという間に過ぎるんだね」
ユーリはあきれ顔に変わった。
「前から思ってたけど、お前って変わってるよな」
(高校生のくせに、こんなところまでぼけてるんだな)
リエラはびっくりして、ピュッと飛び上がった。
「えぇっっっ!?」
(小さい頃から不思議な行動をするユーリに、変わってるって言われるなんて……)
ユーリは面倒くさそうに、ひじ掛けにもたれかかり、
「あとで、何を言われるか」
(廊下に放置しとけばよかった)
「あとで……?」
リエラに瞳をのぞかれたユーリは、顔を赤くして、視線をそらした。明らかに、大人の情事を想像しているようだ。
「…………」
(別に……何もしないけど)
ユーリは一呼吸置き、再び彼女を見て、
「いい。で、何?」
「……?」
(何だか、ユーリ、顔が赤いみたいだけど……どうしたのかな?)
彼は視線だけで、先を促した。
「…………」
(いいから、早く言え)
「う、うん……」
気を取り直して、リエラは首飾りを出した。
「これ、ありがとう。すごく気に入ったよ」
自分が昼間、超適当に選んだ首飾りを見せられて、ユーリは興味なさそうに、
「あぁ、そうか」
(それだけのために、俺はこれだけのリスクを背負うんだな)
彼の心など知らず、リエラはとびきりの笑顔で、
「プレゼント、もらえるなんて思ってなかったから嬉しいよ。本当にありがとう」
素直に喜びを表したリエラから、ユーリは窓の外へ視線をずらし。全然違うことを言う。
「戻れるのかな? 俺たち」
リエラはすっと真顔になり、
「どこに?」
「元の世界に」
(他にどこがあるんだよ? またぼけてる)
最低限の言葉だけ返してきたユーリの隣りの椅子へ、リエラは腰を降ろした。
「どうしたの? 何だか、元気ないみたいだけど……」
「どうせなら、もっと暖かいところがよかった……」
(俺が苦手なの知ってて、誰だよ? それぐらい、叶えてくれてもいいだろう)
誰かに文句を言っているユーリの視線の先ーー窓をリエラは見つめ、
「あぁ……。雪降ってるから、寒いよね」
「…………」
何も言わずに、ため息をつき続けているユーリへ、リエラは視線を戻し、少し優しい口調で、
「たぶん、そのうち戻るんじゃないかな?」
ユーリは彼女をちら見して、
「何で、わかるんだよ?」
(どういう根拠から、答えてるんだ?)
「来た時も突然だったから、帰る時もそうなのかと思って」
超感覚人間ーーリエラのめちゃくちゃな回答を聞き、ユーリはあきれ返った。
「お前と話してると、深刻に悩んでる自分がバカみたいに思えてくる」
(昔からそうだった。考えなしにどんどん先走って、たいてい失敗してた。それなのに、また懲りずに先走って。それでも、何とかなったような気になってるんだろうな。すごい前向きーーっていうより、バカだな)
ユーリの発言を、リエラはよく理解せず、大きく肯定。
「あぁ、そうだね」
幼なじみの言動に、ユーリは珍しく笑う。
「納得してる」
(バカだって、自分で認めてる。ぷぷぷっ……)
「え……?」
どうしてユーリが笑ってるのかわからず、リエラがきょとんとすると、
【時は満ちた】
魂の奥底で何か引っ掛かり、ふたりの言葉は途切れた。
「…………」
「…………」
雪が降りつもる、夜の静けさ。
その静寂の中に、暖炉の炎の音だけが響く。
呼吸することさえ忘れ、ユーリとリエラは黙ったまま。
お互いの瞳の奥をじっと見つめる。
「…………」
「…………」
ふたりとも、不意に不思議な感覚にとらわれた。
涙がこぼれるような。
ほっとするような。
そんな気持ちが、じわっと体の内側に染みてゆく。
(何だ?)
(何だろう?)
しばらく黙ったまま、見つめ合っていたが。
ふたりには、その気持ちが何からくるものなのか、わからなかった。
ーー迎えに来た召使いの隣りで、リエラがドア越しに微笑む。
「それじゃ、お休み」
「お休み」
ユーリが返すと、リエラは召使いと一緒に歩き出そうとした。突然、自分とは違う声が、ユーリの内側に響き、
『……ないでくれ』
切なさとともに、ある衝動が彼の意識を奪った。自分から離れていこうとする、リエラの肩に手を伸ばし、触れる寸前、
(……!)
引き止めようとした自分に、ユーリは驚いた。さっと手を引っ込め、自分の手のひらをじっと見つめる。
(俺……今、何をしようとしたんだ?)
リエラは背中越しに、ユーリを気にかけたまま、廊下を歩いてゆく。
(何だか……今、ユーリが近くなった気がした)
魂の奥底に切なさを抱いたまま、ふたりはそれぞれの部屋で眠りについた。




