↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
久世家の男は生涯一人の女性しか愛さない  作者: てんこ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
26/28

第26話|もうすぐ家族四人

怜奈の事件から、数か月が過ぎた。


結衣のお腹は、見違えるほど大きくなっていた。

二つの小さな命は、何事もなかったかのように元気に育っている。


あれほど二人を苦しめたつわりも、妊娠五か月を過ぎるころにはようやく落ち着き、柊も以前のように食事ができるようになっている。


ある日の午後。

社長室で仕事をしていた柊の前に、熊谷がいつものタッパーを置いた。


柊が怪訝な顔をする。


「くま」

「はい」


「まだレモンを持ってるのか」

「いいえ」


熊谷が蓋を開ける。


中に入っていたのは、小さく切ったリンゴとバナナだった。


「……なんだ、それは」

「結衣様のお腹も随分大きくなりましたので」


「それがどうした」

「これから一度にたくさん召し上がれなくなることもあるかと。少量でも口にできるものをご用意いたしました」


柊がタッパーを見る。


「結衣のためか」

「もちろんでございます」


熊谷は少し間を置いた。



「社長にも必要になる可能性がございますので」


柊の眉間にしわが寄る。


「俺は妊娠してない」

「存じております」


ちょうど社長室へ来ていた結衣が吹き出した。


「熊谷さん、もう柊さんのこと分かりすぎですね」

「長いお付き合いでございますので」


「くま」

「失礼いたしました」


つわりが終わり、ようやく普通の生活に戻れる。

二人とも、そう思っていた。


ところが数日後――。

熊谷の予想は、見事に当たった。


◇


夕食を終えたあと、結衣はソファに座り、胸元を押さえた。


大きくなったお腹に胃が圧迫され、最近は一度にたくさん食べられない。


少し食べただけで胃が重くなり、夜になると胸やけすることも増えていた。


「……うっ」


結衣が顔をしかめる。


その隣で、柊もほぼ同時に胸元を押さえた。


「……またか」


結衣が柊を見る。


「柊さんも?」

「ああ。大丈夫か?」


「ちょっと胸やけが……」


柊の眉間にしわが寄る。


「俺もだ」



結衣は思わず笑った。


「本当に何でも一緒ですね」

「笑い事じゃない」


「病院に連絡するか」

「胸やけくらいでしなくて大丈夫です」


結衣が苦笑した、そのときだった。


仕事の報告に来た熊谷が現れた。

二人を見比べて、一言。


「始まりましたか」


柊が睨む。


「くま。お前、分かってたな」


「念のため、リンゴとバナナをご用意しております」

「いらん」


「では、結衣様に」

「私は少し食べたいです」


熊谷が結衣へタッパーを差し出す。

結衣がリンゴを一つ口へ入れる。


翔はその様子をじっと見ていた。

数秒後。


「……俺にもよこせ」


結衣がまた笑った。


◇


柊の邸宅には、すでに双子を迎える準備が整っていた。

結衣が子ども部屋へ入る。


ベビーベッドが二つ。

小さな洋服に、おむつ、タオル。

必要なものが、きれいに並べられている。


ただし――明らかに多い。


結衣はしばらく部屋を見回した。


「柊さん」

「なんだ」


「これ、全部誰が買ったんですか?」

「俺だ」


「こんなに?」


柊は当然のように答える。


「二人いる」

「二人でも多すぎます!」


同じような服が色違いで何着もある。

タオルも山ほど積まれている。


「赤ちゃんって、こんなに服いらないですよ」

「汚すだろ」


「だからって、これは多すぎます」

「足りないよりいい」


結衣は呆れながら、小さな服を一着手に取った。

手のひらに乗りそうなほど小さい。


「……本当に、こんなに小さいんですね」


もうすぐ、この服を着る子どもが二人もやってくる。

そう思っただけで、結衣の表情が柔らかくなった。


「もうすぐですね」

「ああ」


結衣がお腹を撫でる。

そのとき――。


ぴくっ。


「あっ」


柊がすぐに近づく。


「動いたのか」

「はい。ここ」


柊が手を当てる。

今度は反対側が動いた。

柊の目がわずかに大きくなる。


「……二人とも元気だな」


「最近すごいんですよ。夜中でも動きます」

「誰に似たんだ」


結衣が柊を見る。


「柊さんじゃないですか?」

「そうだな」


「否定しないんですね」

「俺の子だからな」


「私の子でもあります」

「知ってる」


結衣は呆れながらも笑った。


◇


結衣はすでに産休に入っていた。


双子ということもあり、身体への負担は大きい。

仕事を休む必要があることは、結衣自身も理解している。


それでも、何もしない生活にはなかなか慣れなかった。



ある日、柊が帰宅すると、リビングで結衣がスケッチブックを広げていた。


「結衣」


結衣の手がぴたりと止まる。


「……趣味です」


柊がスケッチブックをのぞく。


「会社の新作に見えるが」

「たまたまです」


「データにするつもりか」


結衣が目をそらした。


「……体調がよかったら」


柊がため息をつく。


「座って描いてるだけですよ」

「描くなとは言ってない」


結衣が顔を上げる。


「え?」

「仕事にするなと言ってる」


柊はスケッチブックを結衣へ返した。


「描きたいなら描け。ただし、疲れたらやめろ」

「……いいんですか?」


「好きなんだろ」


結衣は少し驚いてから、笑った。


「はい」


柊は知っている。

結衣にとって、デザインは生活のためだけの仕事ではない。


誰にも評価されなくても、子どものころから描いてきた。

好きだから描く。

それまで取り上げるつもりはなかった。


◇


その夜。


ベッドに入っても、結衣はなかなか眠れなかった。

何度も寝返りを打とうとするが、大きなお腹ではそれも簡単ではない。


柊が目を開ける。


「苦しいのか」

「違います」


「なら、どうした」


結衣は少し迷った。


「……怖いんです」


柊が結衣を見る。


「出産が?」


「はい」


初めての出産。

しかも双子。

楽しみだけではなかった。


二人とも無事に生まれてくれるのか。

自分はちゃんと産めるのか。

考え始めると、眠れなくなる。


「私、ちゃんと二人を産めるかな……」


柊は結衣の手に自分の手を重ねた。


「大丈夫だ」


「簡単に言わないでください」

「簡単には言ってない」


柊は大きなお腹へ、そっと手を置く。


「俺も一緒だ」


結衣が柊を見る。



久世本邸で聞いた、あの話を思い出した。

つわりだけではない。

久世家の男には、妻の陣痛も出産の痛みも伝わる。


結衣が少し笑う。


「本当に一緒に痛いんですもんね」


柊の顔が曇った。


「……それは言うな」


「柊さんも怖いんですか?」

「怖くない」


「嘘」

「怖くない」


「じゃあ、なんでそんな顔してるんですか?」


柊はしばらく黙った。


「……少しだけだ」



結衣が笑う。

今度は結衣から柊の手を握った。



「じゃあ、一緒に頑張りましょうね」

「ああ」


二人の重ねた手の下で、小さくお腹が動いた。


◇


予定日が近づいた、ある日の深夜。


眠っていた結衣が、ふと目を覚ました。


「……っ」


お腹が痛い。


けれど、これまでも張ることはあった。

時計を見る。

しばらくすると、痛みは消えた。


「……気のせいかな」


再び目を閉じる。

数分後。

また――。


「……っ」


今度は、さっきより強い。

その瞬間。

隣で眠っていた柊の眉間にも、深いしわが寄った。


「…………っ」


結衣が振り向く。


「柊さん?」


柊が目を開ける。


「結衣……」


二人が顔を見合わせた。

そして、もう一度。


「痛っ……!」

「……っ!」


ほぼ同時だった。

柊が起き上がる。


「くまに連絡する」

「こんな時間に!?」


「陣痛なら時間は関係ない」

「でも熊谷さん、寝てますよ」


「起きる」


なぜか断言する。


柊がスマートフォンを取った。

そのとき、結衣が息をのむ。


「柊さん……」

「どうした」


結衣はお腹へ手を当てた。

先ほどとは違う痛み。

身体の奥から押し寄せてくる感覚に、表情が変わる。


「……来たかもしれません」


柊の顔が固まった。

数秒後。


電話の向こうから、深夜とは思えないほどいつも通りの声が聞こえる。


『はい、熊谷です』


柊は短く告げた。


「くま。始まった」


一瞬の沈黙。



『承知いたしました。すぐに参ります』


電話が切れる。



柊と結衣が顔を見合わせた。

怖い。


それでも、それ以上に――。

もうすぐ会える。


十五年前に出会った二人が、夫婦になり。

今度は、家族四人になる。

結衣は柊の手を握る。

柊も強く握り返した。


もうすぐ――。

二人の子どもたちに会える。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。