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久世家の男は生涯一人の女性しか愛さない  作者: てんこ


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22/28

第22話|受け継ぐ指輪

久世家の男には、妻のつわりだけではなく、陣痛や出産の痛みまで伝わる。


その事実を聞かされた柊は、まだ納得しきれていなかった。


「出産するのは結衣だろ」



祖父は遠い目をした。


「わしもそう思っていた」


祖母が楽しそうに笑う。



柊だけは笑えない。

そんな柊に、祖父が少しだけ真面目な顔を向けた。


「笑い話みたいだが、悪いことばかりじゃない」

「何が」


「妻の苦しさが分かる」


本来なら、男には分からない妊娠や出産のつらさ。

久世家の男は、それから逃げられない。


柊は、これまで結衣と同じ吐き気に苦しんできた日々を思い出した。


「だから久世の男は、妻から離れないのか」



祖父が笑う。


「それだけじゃない」


「じゃあ何だ」


祖父は結衣の隣にいる柊を見て、当たり前のように言った。



「惚れた女だからだ」


柊の口元が、ほんの少しだけ緩んだ。

それなら自分にも、よく分かる。


◇


帰る前。


祖母が結衣へ声をかけた。


「結衣さん。少しこちらへいらして」



案内された別室で、祖母は小さな箱を取り出した。


「あなたに渡したいものがあるの」


蓋を開ける。


中には、古いながらも美しい指輪が収められていた。

結衣は息をのむ。


「これは代々、久世家の女性が受け継いできたものなの」

「そんな大切なもの……いただけません」


結衣は慌てて首を振った。

だが祖母は、やさしく結衣の手を取る。


「あなたに持っていてほしいの」

「でも……」


「家柄なんて関係ありません」


結衣が顔を上げる。



ずっと自分が気にしてきたことだった。


「柊が選んだ人なら、それだけで十分です」


祖母は少し笑った。


「それに私は、あなたがどんな人か知っていますから」



あの日。

結衣は最終面接へ向かう途中だった。

急いでいたはずなのに、倒れていた祖母を見捨てなかった。


誰かに見られていたわけでもない。

助ければ何かを得られると知っていたわけでもない。

ただ、人を放っておけなかった。


「柊のお嫁さんがあなたで、本当によかった」


結衣の目に涙が浮かぶ。


「……ありがとうございます」


祖母は微笑みながら、指輪を結衣の手へ乗せた。

その重みは、不思議なほど温かかった。


初めて結衣は思った。

自分も本当に――。

久世家の家族になったのだ、と。


◇


柊の邸宅へ戻ったあとも、結衣は何度も指輪を眺めていた。


そこへ熊谷が仕事の報告にやってくる。

一通り話し終えたあと、何気ない調子で口を開いた。


「そういえば、結衣様からのご返済分ですが――」


結衣がすぐに顔を上げた。



「熊谷さん、あといくら残っていますか?」


熊谷が答えるより先に、柊が言った。


「残ってない」


結衣が固まる。



「……え?」


熊谷が少し困ったように説明した。


「結衣様からお返しいただいた金額は、すべて結衣様名義の口座へ移しております」


結衣はゆっくり柊を見る。



「どういうことですか?」


「そのままの意味だ」

「それじゃ返したことにならないじゃないですか!」


「俺は返してほしいとは言ってない」


結衣の目が大きくなる。


「じゃあ……最初から受け取る気がなかったんですか?」

「ない」


即答だった。


「柊さん!」


「返したいと言うから受け取った。それだけだ」

「でも――」


「お前が自分で稼いだ金だ」


柊は平然と続ける。


「俺が使う理由がない」


結衣は言葉を失った。



母の手術費を借りたとき、


『必ず返します』


そう約束してから、少しずつ返してきた。

大きな仕事で得た報酬も、生活に必要な分だけ残し、返済へ回してきた。

柊はその一円も使っていなかった。


「……ずるいです」

「何が」


「何も言わないところです」

「聞かれなかった」


結衣が熊谷を見る。

熊谷はほんの少し視線をそらした。


「熊谷さんも知ってたんですね」

「申し上げるべきか迷っておりました」


「絶対、柊さん側ですよね」

「私は中立でございます」


「嘘です」


熊谷は穏やかな顔のままだった。


◇


結衣はもう一度、祖母からもらった指輪を見た。

それから柊を見る。


今日一日で、自分がどれほど大切にされているのか、改めて知った気がした。


「……やっと安心しました」


柊が結衣を見る。


「何が」


「ここにいてもいいんだって」

「どこに」


結衣は少し笑う。


「柊さんの隣にです」


柊の眉が寄った。


「今さらか」

「柊さんには分からないんです」


「分からない」


即答だった。



結衣は思わず笑う。

柊はそんな結衣を見ながら、当然のように言った。


「俺は最初から、お前がいるものだと思ってる」


その言葉に、結衣の表情がやわらぐ。

そして、そっと柊の肩にもたれた。


もう。


「久世家にふさわしくない」


そう思わなくていい。

少なくとも今は、心からそう思えた。


◇


その夜。


怜奈のもとへ知らせが入った。


柊が結衣を久世本邸へ連れていった。


怜奈は最初、少し期待した。

ようやく祖父母も気づく。

家柄もない結衣が、久世家の嫁にはふさわしくないと。


ところが――。


結果は正反対だった。

結衣は大歓迎された。

しかも祖母は、代々久世家の女性へ受け継がれてきた指輪まで、結衣へ渡したという。


怜奈の顔から血の気が引いた。


「……あの指輪を?」


自分は幼いころから久世家へ出入りしてきた。

祖母にも気に入られようとしてきた。


いつか自分が柊の妻になるのだと信じていた。


それでも、あの指輪が自分へ渡されることは一度もなかった。


なのに。

結衣には渡した。


怜奈の中に最後まで残っていた希望が、音を立てて崩れた。


◇


翌日。


怜奈は久世本邸を訪れた。

いつもの笑顔を作る。


「久世おばあちゃま、お久しぶりです」


だが祖母の表情は、以前とは違っていた。


「怜奈さん」

「はい」


「結衣さんに、何かしたの?」


怜奈の笑顔が止まる。

柊から、飲み物の件を聞いていたのだ。


「誤解です。私、結衣さんを応援して――」

「もうやめなさい」


祖母の静かな声が、怜奈の言葉を遮った。


「小さいころからあなたを知っているからこそ言います」

「……」


「柊は結衣さんを選びました。二人の邪魔をしてはいけません」


怜奈の顔から笑みが消えていく。


「……おばあちゃままで、あの女の味方をするんですか?」


祖母の表情が変わった。



「あの女?」



怜奈はハッとした。

だが、もう遅い。


「今日はお帰りなさい」


「でも――」

「怜奈さん」


それ以上を許さない、静かな声だった。


怜奈は唇をかみ、立ち上がった。

久世家の門を出たあと。

車の中で、怜奈は強く拳を握る。


柊も。

祖父母も。

自分が欲しかったものすべてが、結衣のものになった。

そう思い込んだ。


そして――。

とうとう一つの考えに行き着く。


結衣さえ、いなくなればいい。


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