↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
久世家の男は生涯一人の女性しか愛さない  作者: てんこ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
2/28

第2話|結衣の15年間

柊が別荘を離れて間もなく、結衣の生活は一変した。

九歳の結衣には、あまりにも突然の出来事だった。


父が仕事中に倒れ、そのまま帰らぬ人となったのだ。

小さな会社を経営していた父は、事業が傾き、多額の負債を抱えていた。


それでも家族には心配をかけまいと、一人で会社を立て直そうとしていた。

休むこともなく働き続けた末の、過労だった。


父を失った悲しみに浸る間もなく、会社は倒産。


住んでいた家も手放すことになった。

結衣は母と二人、小さなアパートへ移った。


それまで当たり前だった暮らしは、何もかも変わった。


母は朝から晩まで働いた。

結衣も成長するにつれ、自分にできることを増やしていった。


高校生になると学校帰りにアルバイトを始め、わずかでも家計の足しになるように母へ渡した。


そんな結衣にも、一つだけ諦めたくないものがあった。


絵を描くことだった。

紙と鉛筆さえあれば、嫌なことを忘れられた。



やがて結衣は、デザインを本格的に学びたいと思うようになる。

でも、大学へ進む余裕などないことは誰より分かっていた。


「私、就職する」


高校三年のある日、結衣がそう言うと、母は娘の顔をじっと見た。


「本当にそれでいいの?」

「うん。大学はお金がかかるし」


母は何も言わなかった。


だが、結衣が進学を諦める必要はなかった。



高校での成績と、これまで制作してきた作品が評価され、返済不要の給付型奨学金を受けられることになったのだ。


結衣は大学へ進学。


生活費を補うためのアルバイトは続けた。

それでも、好きなデザインを学べる毎日は嬉しかった。

努力すれば、いつか自分の力で母を楽にしてあげられる。

そう信じていた。


◇


大学で結衣が出会ったのが、二歳年上の川島麻衣だった。


会社経営者の娘で、服も持ち物も結衣とはまるで違う。


最初のころ、麻衣は親切な先輩だった。


「糸瀬さん、この課題いいじゃない」

「ありがとうございます」


結衣も素直に慕っていた。



だが、結衣の作品が教授たちから評価されるようになるにつれ、麻衣の態度は変わっていった。



あるコンテストを前に、結衣は何日もかけて一つのデザインを完成させた。

自分でも納得できる作品だった。


ところが、提出を前にデータが消えた。


そして後日。

結衣は信じられないものを目にする。


受賞作品として展示されていたのは、自分が作ったデザインだった。

その下に記されていた名前は――。


川島麻衣


「先輩、これ……私の作品ですよね?」


麻衣は顔色一つ変えなかった。


「何のこと?」

「私が作ったデザインです」

「言いがかりはやめてくれる?」


「でも……」


「証拠はあるの?」


結衣は言葉を失った。



制作途中のデータも、提出できる形の記録も十分には残っていなかった。

周囲も、受賞者である麻衣の言葉を信じた。


結衣は何もできなかった。

悔しかった。

それでも大学を辞めるわけにはいかない。

結衣は黙って耐えるしかなかった。


◇


大学四年になるころ、今度は母が倒れた。


検査の結果、治療が難しい病気だと分かった。

結衣は就職活動をしながら、病院へ通う生活を始めた。


第一志望企業の面接当日。


家を出ようとした結衣のもとへ、病院から母の容体が急変したと連絡が入った。


迷う余地などなかった。

結衣は面接を諦め、病院へ向かった。



別の企業では最終面接まで進んだ。

今度こそ就職を決めたい。

そう思いながら面接会場へ急いでいたときだった。


歩道の脇に、老婦人が倒れている。


結衣は足を止めた。

腕時計を見る。

時間に余裕はなかった。


一瞬だけ迷った。

だが、そのまま通り過ぎることはできなかった。


「大丈夫ですか?」


結衣は駆け寄り、救急車を呼んだ。

老婦人の手を握り、救急隊が到着するまでそばにいた。


当然、面接には遅れた。

事情を説明し、頭を下げた。

それでも採用には至らなかった。


あの日助けた老婦人が誰だったのか。

結衣は知らないまま、大学を卒業した。


◇


卒業後、結衣に必要だったのは夢よりも、まず収入だった。

母の治療費と二人の生活費。


正社員の仕事を探しながら働き続け、二十三歳のとき、久世グループのデザイン部でアルバイトとして採用された。


大きな会社でデザインに関わる仕事ができる。

たとえアルバイトでも、結衣は嬉しかった。


だが、初日に聞こえた声で足が止まった。


「……糸瀬さん?」


振り返る。

そこにいたのは、川島麻衣だった。


麻衣も驚いたようだったが、すぐに笑顔を作った。


「久しぶりね」

「……お久しぶりです」


大学時代の先輩は、すでにデザイン部で部下を持つ立場になっていた。


「アルバイトなら、私の仕事を手伝ってもらえるわよね」


最初は資料整理だった。

簡単な修正作業が増えた。

やがて麻衣は当然のように言った。


「参考案をいくつか出して」


結衣は言われた通りにデザイン案を作った。



数日後、その案は麻衣の成果として会議に提出されていた。


大学時代と同じだった。

分かっている。

声を上げるべきだということも。

それでも、今は仕事を失えない。

母の治療にはお金がかかる。


結衣は唇をかみ、また自分の名前を飲み込んだ。


◇


現在。


社長室では、柊が熊谷の集めた資料を黙って読んでいた。


父親の死。

会社の倒産。

家を失ったこと。

高校時代から続けたアルバイト。

給付型奨学金での大学進学。

母親の病気。

そして就職活動。


柊の記憶にいる結衣は、九歳のままだ。


『じゃあ、待ってるね』


あの日、笑っていた少女。

その直後から、これほどの十五年を生きてきた。


柊は資料を置いた。


ふと、別の書類に目を留める。


最近、社内で高く評価されたデザインだった。

柊はそれを手に取った。


「くま」

「はい」

「このデザインを作ったのは誰だ」


熊谷が資料を確認する。


「記録上は、川島麻衣となっております」


柊の目が細くなった。


「……記録上は?」


熊谷はわずかに間を置いた。



「実際に制作したのは、結衣様かと」


柊の手が止まる。



十五年前。

守れなかった少女が――。

今も、自分の会社の中で理不尽な扱いを受けている。


柊の目から、先ほどまでの迷いが消えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。