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久世家の男は生涯一人の女性しか愛さない  作者: てんこ


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第1話|15年ぶりの再会

久世グループ本社のデザイン部に、いつもとは違う緊張が走っていた。


「社長、お疲れさまです」


社員たちが次々と頭を下げる中、久世柊(くぜ しゅう) は短くうなずきながらフロアを歩いていた。


三十歳にして久世グループを率いる若き社長。


仕事に妥協を許さず、無駄な会話もしない。

整った容姿と近寄りがたい雰囲気も相まって、社内では密かに「氷の社長」と呼ばれている。


柊は部長から説明を受けながら、提出された新企画のデザインに目を通していた。


「これは修正しろ」

「はい」


「こっちは悪くない。進めていい」

「承知しました」


そのときだった。

曲がり角から、両手いっぱいに資料を抱えた女性が現れた。


「あっ……」


ぶつかりそうになり、女性が慌てて足を止める。



柊も立ち止まった。

知らない女性だった。

そのはずなのに。

胸の奥に、何かが引っかかった。


「失礼いたしました」


女性は柊が社長だと気づいたらしく、青ざめた顔で頭を下げた。


「前をよく見ていなくて……申し訳ありません」


柊は答えなかった。

顔を上げた女性を、ただ見つめる。

どこかで見たことがある。


だが、思い出せない。


十五年前に出会った少女は、まだ九歳だった。

目の前にいるのは、二十代半ばほどの大人の女性だ。

同じはずがない。


そう思ったとき、首から下げられた社員証が揺れた。


「糸瀬結衣(いとせ ゆい)」


柊の目が止まる。


「……糸瀬」

「はい?」


女性が不安そうに柊を見る。


同じ名前。

だが、それだけなら偶然かもしれない。

柊が黙っていると、結衣は緊張したように右手を上げ、髪を耳へかけた。


その瞬間。


十五年前の光景が、鮮明によみがえった。


困ったとき。

照れたとき。

あの少女も、同じように髪を耳へかけていた。


名前。

面影。

変わらない仕草。

柊の中から、迷いが消えた。


――結衣だ。


十五年間。

一度も忘れたことのない少女が、今、目の前にいる。


◇


十五歳の夏。

両親を突然の事故で亡くした柊は、久世家が所有する田舎の別荘で過ごしていた。


周囲には常に大人がいた。

久世家の跡取りだから。

両親を亡くしたかわいそうな少年だから。


誰もが柊の顔色をうかがい、腫れ物に触るように接した。


「柊様、お食事を」

「いらない」


「少しだけでも……」

「必要ない」


何を言われても心は動かなかった。

誰とも話したくない。

何も聞かれたくない。


別荘の庭にある古いベンチに座り、一人で時間が過ぎるのを待つ毎日だった。


そんなある日。


「お兄ちゃん、何してるの?」


突然、声がした。


顔を上げると、小さな女の子が立っていた。

麦わら帽子をかぶり、手には黄色い花を何本か握っている。

柊は答えなかった。


「本読んでるの?」

「……」


「面白い?」

「……うるさい」


普通なら、それで離れていく。

だが、その少女は違った。


「そっか」


それだけ言うと、柊の隣に座った。



翌日も来た。


「お兄ちゃん、これあげる」


差し出されたのは、小さな袋に入った菓子だった。


「いらない」

「じゃあ、私が食べる」


結衣はさっさと袋を開け、一人で食べ始めた。


柊は思わず横を見る。


「……俺にくれるんじゃなかったのか」

「いらないって言ったじゃん」


当然のように返され、言葉を失った。



次の日も、その次の日も、結衣はやってきた。


花を摘んでは持ってきた。

学校であったことを勝手に話した。

虫を見つければ大騒ぎし、お菓子を持ってくれば半分を柊に押しつけた。


結衣は、柊が久世家の人間だとは知らなかった。

だから遠慮もしない。

両親のことも聞かなかった。

かわいそうだとも言わなかった。


ただ、「お兄ちゃん」と呼んだ。


最初は面倒だった。

いつ来なくなるのかと思っていた。


それなのにいつしか、柊は昼を過ぎると庭を見るようになった。


今日も来るだろうか。

そんな自分に気づいても、認める気はなかった。


ある日、結衣が石につまずき、派手に尻もちをついた。


「いたぁ……」


泣くのかと思った。

ところが結衣はお尻をさすりながら、


「石のほうが痛かったかも」


と真剣な顔で言った。


柊は思わず吹き出した。


「あ……」


結衣が目を丸くする。


「お兄ちゃん、笑った」


柊自身も驚いていた。



両親を亡くしてから、初めて笑った。

結衣は嬉しそうに笑った。


その顔を見たとき、柊は初めて思った。

明日も来ればいい。

ずっと、こうしていればいい、と。




だが、別れの日は突然やってきた。


祖父から東京へ戻るよう告げられたのだ。

別荘を出る日、結衣は門の前まで見送りに来た。


いつもの笑顔はなかった。


「お兄ちゃん、もう来ないの?」


柊は少し黙った。



自分を待っている人がいる。

そのことが、妙に胸に残った。


「また来る」

「本当?」


「ああ」


結衣の顔が明るくなる。


「じゃあ、待ってるね」


車が動き出しても、結衣はずっと手を振っていた。

柊も窓越しに、その姿を見続けた。

それが二人の最後だった。


◇


「社長……?」


声に呼び戻され、柊は現実へ戻った。



目の前の結衣は、不思議そうにこちらを見ている。

その瞳に懐かしさはない。

自分があの少年だとは気づいていない

柊はそれを悟った。


「……行っていい」

「はい。失礼いたします」


結衣はもう一度頭を下げると、資料を抱えて足早に去っていった。


柊はその後ろ姿をしばらく見つめた。

社長室へ戻ると、すぐに秘書を呼んだ。


「くま」

「はい」


熊谷誠(くまがい まこと)が静かに前へ出る。


「デザイン部にいる糸瀬結衣を調べろ」


熊谷がほんの一瞬だけ柊を見た。


普段、柊が社員個人の経歴を調べさせることなどない。

だが、理由は聞かなかった。


「承知いたしました」


ほどなくして、最初の資料が柊の机に置かれた。



二十四歳。

デザイン系大学卒業。

在学中の成績は優秀。

二十三歳で久世グループにアルバイトとして入社。


柊は資料を見つめた。


「……なぜアルバイトなんだ」


この経歴なら、正社員としてデザイナーの道へ進んでいてもおかしくない。


それ以上に、確認しなければならないことがあった。


「くま」

「はい」


「この結衣が、あの結衣なのか確認しろ」


熊谷の表情がわずかに変わった。


「承知いたしました」


しばらくして、熊谷が戻ってきた。


「社長」

「どうだった」


「間違いありません。あの方は糸瀬結衣様です」


柊は静かに目を閉じた。



十五年。

ようやく見つけた。


「この十五年も調べろ」

「承知いたしました」


さらに時間が過ぎたころ、熊谷が再び社長室へ入ってきた。

だが、今度はいつもの熊谷とは少し様子が違った。


「社長……少々、気になることがございます」

「なんだ」


熊谷が一度、言葉を止めた。


「結衣様のお父様ですが――」


柊は顔を上げる。


「社長が別荘を離れた直後に、亡くなられています」


柊の表情が変わった。


あの日。

笑顔で手を振りながら、


「待ってるね」


と言った九歳の結衣。

その直後に。

柊の知らないところで、結衣の人生は大きく変わっていた。


お読みいただきありがとうございます。

全28話の完結作品です。

最後までお楽しみいただけたら嬉しいです。

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