第17話|帰さない
病院。
結衣と双子に大きな問題はない。
その言葉を聞いて、柊はようやく息をついた。
熊谷はすでに会社へ確認を始めていた。
「デザイン部で川島麻衣さんと揉めていたとの証言がございます」
柊の目が冷たくなる。
「揉めただけで腹を打つのか」
「防犯カメラを確認いたします」
ほどなくして、映像が届いた。
そこには、麻衣が結衣の腕をつかむ姿。
結衣が離してほしいと抵抗する姿。
そして――。
麻衣が結衣を強く突き飛ばす瞬間が、はっきり映っていた。
偶然ではない。
熊谷は映像を保存し、柊へ報告する。
「社長。確認できました」
「どうだった」
「川島さんが、結衣様を突き飛ばしております」
柊は数秒、何も言わなかった。
「そうか」
声は静かだった。
熊谷は、それ以上何も言わない。
柊が本当に怒っているときほど、声を荒らげないことを知っていた。
◇
翌日。
麻衣は会議室へ呼ばれた。
柊と熊谷。
さらに人事担当者が同席している。
麻衣は席へ着くなり言った。
「昨日のことでしたら、糸瀬さんが勝手に転んだんです」
柊は何も答えない。
リモコンを手に取り、モニターをつけた。
映像が流れる。
麻衣の顔から血の気が引いた。
「これは……違うんです!」
「何が違う」
「糸瀬さんが私を挑発して……」
「だから突き飛ばした?」
麻衣が黙る。
映像には、結衣が手を出していないことも残っていた。
すでに麻衣は、盗作と職権を利用した嫌がらせによって主任を外されている。
そこへ、今回の故意の暴力。
人事担当者が会社としての処分について説明した。
必要な手続きを経たうえで、麻衣は会社を去ることになった。
「待ってください」
麻衣が柊を見る。
「こんなことで、私を辞めさせるんですか?」
柊の目がさらに冷たくなる。
「こんなこと?」
麻衣が息をのむ。
「お前は人を故意に突き飛ばし、怪我をさせた」
「でも……」
「二度と結衣に近づくな」
低く、静かな声だった。
麻衣は悔しそうに唇をかみしめる。
最後まで、自分が悪かったとは思っていなかった。
◇
その日の午後。
柊は病院へ戻った。
結衣はベッドで横になっている。
顔色は昨日よりずっとよかった。
柊は隣の椅子へ座った。
「結衣」
「はい」
少し間を置く。
「妊娠の可能性には気づいていたんだな」
結衣の表情が曇った。
「……はい」
「なぜ言わなかった」
結衣は答えない。
柊も急かさなかった。
ただ待つ。
やがて、結衣が小さな声で言った。
「怖かったんです」
「何が」
結衣はそっとお腹へ手を当てた。
ここに二人いる。
そう思うと、まだ不思議だった。
「まだおじいさまたちにも会っていないのに、久世家の子どもができたかもしれないって思ったら……」
柊は黙って聞いている。
「私には家柄もないし、財産もない。久世家のことだって何も知りません」
声が少し震えた。
「もし……」
結衣は一度、言葉を止める。
それでも、ずっと胸の奥にあった不安を口にした。
「もし子どもだけ必要だと言われたらって……」
柊の表情が変わった。
「結衣」
「この子たちが生まれたら、私はもう必要ないって言われるんじゃないかって……」
目に涙がにじむ。
自分でも分かっている。
柊がそんな人ではないことも。
何度も大切にしてもらったことも。
それでも結衣は、ずっと失うことを恐れて生きてきた。
父を失った。
家を失った。
母まで失うかもしれない恐怖も味わった。
幸せになればなるほど、それを失うのが怖かった。
◇
柊は立ち上がった。
お腹を圧迫しないよう、そっと結衣を抱きしめる。
「馬鹿」
結衣が泣きながら顔を上げる。
「ひどい……」
「本当に馬鹿だ」
「……ごめんなさい」
柊は結衣の頬に触れた。
「俺が十五年探したのは誰だ」
結衣が目を伏せる。
「……私です」
「子どもができる前に、結婚してほしいと言った相手は?」
結衣は黙る。
柊は迷わず言った。
「お前だ」
そして、はっきり続ける。
「俺が欲しいのは結衣だ」
結衣の目から涙が落ちる。
柊は結衣のお腹へ視線を移した。
「この二人は、お前と俺の大切な子どもだ」
結衣がそっとお腹へ手を重ねる。
「でも、順番を間違えるな」
「え?」
柊は結衣を見る。
「子どもがいるから、お前を選んだんじゃない」
その言葉が、結衣の胸にまっすぐ届いた。
「結衣を選んだから、この子たちが嬉しいんだ」
結衣はとうとう、泣きながら笑った。
「……はい」
柊は何も言わず、その涙を指で拭った。
◇
しばらくして、結衣が落ち着いたころ。
柊はその手を握った。
「結衣」
「はい」
「結婚しよう」
今度は命令ではなかった。
「子どもができたからじゃない」
結衣には、もう分かっていた。
妊娠する前から、柊は何度も自分を選んでくれた。
十五年間探していたことも話してくれた。
今の自分を、もう一度好きになったと言ってくれた。
それでも怖くて、一歩を踏み出せなかった。
結衣は柊を見つめた。
今度は逃げない。
「……はい」
柊の表情が緩んだ。
「今度は撤回するな」
「しません」
「絶対だな」
「柊さん、しつこいです」
結衣が笑う。
柊の口元も、わずかに緩んだ。
今度こそ。
二人の結婚が決まった。
◇
数日後。
退院の日。
着替えを終えた結衣は、荷物をまとめながら言った。
「じゃあ、家に帰ります」
柊が顔を上げる。
「どこに」
「どこって……私の家ですけど」
「帰さない」
結衣が固まった。
「はい?」
「俺の家へ来い」
「まだ結婚してません!」
「する」
「そういう問題じゃありません!」
柊はまったく聞いていない。
「お前を一人にした結果がこれだ」
結衣は言葉に詰まった。
「でも、お母さんも……」
そこへ熊谷が穏やかに口を挟む。
「お母様につきましては、退院後も安心して療養できる住居と、必要なサポートを手配しております」
結衣が熊谷を見る。
「……いつの間に?」
「結衣様がご入院中に」
「熊谷さんまで……」
「結衣様のお身体が最優先でございますので」
結衣が呆然としていると、柊が熊谷を見る。
「くま」
「はい」
「余計な説明をするな」
「失礼いたしました」
柊は結衣の荷物を当然のように持ち上げた。
「行くぞ」
「ちょっと待ってください!」
「待たない」
「私の荷物、まだ家にあります!」
「あとで運ばせる」
「勝手に決めないでください!」
結衣の抗議を聞きながら、柊はそのまま歩いていく。
結衣にとっては、体調が落ち着くまでの一時的な療養。
しかし柊には――。
二度と結衣を一人暮らしへ戻すつもりなどなかった。




