↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
久世家の男は生涯一人の女性しか愛さない  作者: てんこ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/28

第13話|結婚が怖い

翌朝。


結衣は昨夜から何度も、柊の言葉を思い返していた。


「結婚しろ」


あまりにも突然だった。


けれど、嬉しくないわけではない。

むしろ、嬉しくて仕方がなかった。


好きな人から結婚を申し込まれたのだ。

本当なら、すぐに「はい」と言いたい。


それでも――結衣には、どうしても踏み出せない理由があった。


「柊さん。結婚って、二人だけのことじゃないですよね」


柊は当然のように答えた。


「二人のことだろう」


「久世家は違います」


柊の眉が寄る。


結衣の頭に浮かんだのは、怜奈だった。


美しく、家柄もよく、幼いころから久世家と付き合いがある。


それに比べて自分は、父を早くに亡くし、母と二人で生きてきた。

ようやく正社員として歩き始めたばかりだ。



「おじいさまとおばあさまにも、反対されるかもしれません」

「関係ない」


「あります!」

「反対されても結婚する」


「そういう問題じゃありません!」


結衣は困ったように柊を見る。



本当に分かっていないらしい。


「柊さんのことは好きです。でも……結婚は、もう少し考えさせてください」


柊は納得していない顔をしていた。

それでも、それ以上返事を迫ることはなかった。


◇


結衣を家まで送ったあと。

柊は車の後部座席で、明らかに不機嫌だった。


「くま」


運転席の熊谷が答える。


「はい」


「結衣は俺が好きだと言った」

「左様でございますね」


「俺も結衣が好きだ」

「存じております」


「なら、なぜ結婚できない」


熊谷は少し黙った。




「社長には簡単でも、結衣様にはそうではないのでしょう」


「何が違う」

「すべてです」


柊が眉を寄せる。


「久世家の名前、財産、会社、周囲の目。そして、ご当主様方です」


柊にとっては、生まれたときからそこにあったものばかりだった。



「結衣様は社長と結婚するだけではございません。結衣様のお立場からすれば、久世家へ入ることになります」



柊は黙った。



初めて、結衣が何を怖がっているのか少しだけ分かった。

自分にとって当たり前の世界が、結衣にとってはまったく知らない世界なのだ。


◇


「では、ご当主様方にご紹介なさいますか?」


熊谷に聞かれ、柊はしばらく考えた。


だが、すぐに首を振る。


「まだいい」



熊谷が少し意外そうに振り返った。


「よろしいので?」

「今の結衣をじいさんに会わせたら、余計なことを言う」


「……否定はいたしかねます」



孫の結婚を待ち望んでいる祖父だ。

柊が女性を連れてきたと知れば、結婚式の日取りどころか、その先まで勝手に話を進めかねない。


柊は容易に想像できた。


『式はいつだ』

『ひ孫は何人だ』


結衣の顔が真っ青になるところまで浮かぶ。


「緊張で倒れる」

「……可能性はございますね」


柊は窓の外を見る。


結衣は、社長である自分にさえ最初は怯えていた。

そんな結衣を突然、久世家の当主夫妻の前へ連れていく必要はない。


まずは結衣自身が、自分との結婚を望めるようになること。

祖父母への挨拶は、そのあとでいい。


◇


数日後。


仕事帰りに二人で食事をしていたときだった。


「柊さん」

「なんだ」


結衣はしばらく迷ってから尋ねた。


「どうして……私なんですか?」


柊の手が止まる。


「前にも聞いたな」

「はい。でも……やっぱり分からないんです」


結衣は膝の上で手を握った。



怜奈のような女性がいる。

柊なら、もっと美しくて、家柄もよくて、何でも持っている女性を選べる。

なのに、なぜ自分なのか。


「私じゃなきゃ駄目な理由が、分からないんです」


以前、同じことを聞いたとき、柊は答えた。


『お前だからだ』


あのときは、それで十分だと思っていた。

けれど、結衣はまだ不安を抱えている。



柊はようやく気づいた。

結衣は何も知らないのだ。



十五年前。

両親を失い、誰とも話したくなかった自分の前に現れた少女。


何度無視しても、翌日にはまたやって来た。

花を持ってきた。

菓子を半分押しつけた。

くだらない話を延々として、いつの間にか自分を笑わせた。


そして突然、いなくなった。

何度あの場所へ行っても、もう会えなかった。


それでも忘れられなかった。

ずっと探していた。


「……理由ならある」


結衣が顔を上げる。


「本当ですか?」

「ああ」


「じゃあ、教えてください」


柊は少し考えた。



言葉だけでは足りない。

あの場所で話したかった。


「ここでは話さない」

「え?」


「お前に見せたい場所がある」

「場所?」


「ああ」


それ以上、柊は何も言わなかった。


◇


次の休日。


柊の車は都会を離れ、山あいへ向かっていた。


結衣は助手席から何度も柊を見る。


「どこへ行くんですか?」

「着けば分かる」


「それ、さっきも聞きました」

「なら聞くな」


「教えてくださいよ」

「嫌だ」


結衣は呆れて窓の外へ目を向けた。


「柊さんって、本当に言葉が足りませんよね」


柊は答えない。



「熊谷さんがいないと困りません?」

「困らない」


「熊谷さんは困ってると思います」


柊がわずかに眉を寄せる。

結衣は小さく笑った。


車はさらに山道を進んでいく。


そのとき――。


結衣の表情が変わった。

見覚えのある景色が、一瞬、窓の外を流れた。


「……ここ」


柊は何も言わない。

結衣は窓へ顔を近づける。


古い道。

木々に囲まれた小さな坂。

記憶の奥にしまわれていた景色が、少しずつよみがえってくる。


「まさか……」


やがて車が止まった。


森の中に、一軒の別荘が見える。

結衣は動けなかった。


「どうして……」


柊が先に車を降りる。

結衣もゆっくりと外へ出た。


古い木々。

庭。

少し手を入れられているものの、建物もほとんど記憶のままだった。

忘れるはずがない。



九歳のころ。

毎日のように遊びに来た場所。

そして――。


大好きなお兄ちゃんと出会った場所。

結衣は吸い寄せられるように庭へ入った。


「ここ……知ってます」


柊は黙って結衣の後ろを歩く。

庭の片隅。

あのころ、一人で座っていた少年がいた。


ほとんど話してくれなかった。

笑ってもくれなかった。

それでも結衣は毎日ここへ来た。


『お兄ちゃん!』


記憶の中で、幼い自分の声が響く。


結衣は庭を見つめた。


無口で、少し怖かったお兄ちゃん。

それでも毎日のようにここへ来て、一緒に過ごした。


最後の日には、「また来る」と約束してくれた。



――懐かしい。



どうして柊さんは、私をここへ連れてきたんだろう。


胸の奥が締めつけられる。


父が亡くなり、突然この町を離れることになった。

だから、約束を守れなかったのは自分のほうだった。


結衣はゆっくり振り返る。


「柊さん……」


柊がまっすぐ結衣を見ていた。


「どうして、この場所を知ってるんですか?」


答えはない。



けれど。

目の前の柊と、記憶の中の少年が――。

なぜか一瞬、重なった。


結衣の胸が大きく鳴る。

柊は十五年間、何度も訪れた場所を見渡した。

そして結衣へ視線を戻す。


「やっと、ここまで連れてこられた」

「……え?」


結衣は動けない。


その言葉の意味を、まだ理解できなかった。

けれど――。


ずっと閉じていた十五年前の扉が、今、ゆっくりと開き始めていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。