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久世家の男は生涯一人の女性しか愛さない  作者: てんこ


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第12話|あなたを信じたい

初めてのキスのあと。

柊の腕の中で、結衣は動けずにいた。


「……帰したくない」


耳元でそう言われ、その意味が分からないほど子どもではない。

一気に顔が熱くなる。



柊の胸に頬を寄せたまま、結衣はしばらく迷った。

柊は急かさない。


やがて結衣は、小さな声で答えた。


「……今日は帰ります」


柊の腕がわずかに緩む。


一瞬だけ、残念そうな顔をした。

けれど――。



「分かった」



それだけだった。

引き止めない。

理由も聞かない。


結衣は少し意外に思った。

強引で、何でも自分の思いどおりに決めてしまいそうな人なのに。


結衣が嫌だと言ったことは、しない。



「じゃあ……おやすみなさい」

「ああ」



柊は帰ろうとする結衣をもう一度だけ引き寄せ、額にそっと口づけた。


「おやすみ」




その夜。


結衣は布団に入っても、なかなか眠れなかった。


唇に残る感触。

抱きしめられた腕の強さ。

そして――。


『帰したくない』


思い出すたび、布団の中で顔が熱くなった。


◇


それから約一か月。


二人は少しずつ、恋人としての時間を重ねていった。


仕事帰りに食事をしたり、休日には出かけたり。

柊は忙しいはずなのに、わずかな時間でも結衣に会おうとする。



最初のころ、結衣はそれが申し訳なかった。


「無理して会わなくても大丈夫ですよ」


そう言ったことがある。


すると柊は、


「俺が会いたい」


と即答した。

それ以上、何も言えなくなった。



結衣も少しずつ柊という人を知っていった。


怖くて、無愛想で、言葉も足りない。

何を考えているのか分からないことも多い。

でも、理不尽ではない。


約束したことは必ず守る。

結衣が嫌がることはしない。

母のことも気にかけてくれている。



手術後の経過は順調で、母の顔色も少しずつよくなっていた。

結衣の生活にも、ようやく余裕が生まれ始めている。


そして何より――。


柊は驚くほど一途だった。



ほかの女性に目を向けることすらない。


結衣が帰ると言えば、どれだけ不満そうでも必ず家まで送ってくれる。

そんな時間を重ねるうち、結衣の中に一つの思いが芽生えていた。


この人は、私を簡単に捨てるような人ではない。

柊を信じたい。


いや。

もう、信じ始めている。



ただ一つ。

柊の向こう側にある巨大な「久世家」への不安だけは、まだ消えなかった。


◇


ある休日。


二人で出かけた帰り、突然激しい雨が降り始めた。

車の窓を雨粒が叩く。


「ひどい雨ですね」


結衣が外を見る。


柊は少し考えてから言った。



「近い。俺の家へ行く」

「え?」


返事をする間もなく、車は柊の邸宅へ向かった。



久世本邸とは別に、柊が普段暮らしている家。

結衣が訪れるのは初めてだった。


「……広い」


玄関へ入った瞬間、思わず声が出た。


けれど、広さのわりに驚くほど生活感がない。

必要な家具だけが整然と置かれている。

飾りも少ない。


そして当然ながら――。

女性の気配がまったくない。



そんなことを確認している自分に気づき、結衣は少し恥ずかしくなった。


「何を見てる」

「何でもありません」


柊は不思議そうにしたが、それ以上は聞かなかった。

二人で話をしているうちに、時間は過ぎていった。


気づけば外はすっかり暗い。

それでも雨はやまない。


柊が時計を見る。



「くまに送らせる」


「……」


結衣は返事をしなかった。


「結衣?」


柊を見る。

この人なら大丈夫。



嫌だと言えば、必ず止まってくれる。

自分の気持ちを無視することはない。

だからこそ――。


今度は、自分から選びたかった。

もっと一緒にいたい。


結衣は膝の上で手を握る。


「……今日は、帰りません」


柊の表情が変わった。

しばらく結衣を見つめる。



「意味を分かって言っているのか」


結衣の顔が真っ赤になる。


それでも目をそらさず、うなずいた。


「……はい」



今回は、柊に引き止められたからではない。

結衣自身が決めた。


自分の意思で――柊を選んだ。


◇


それでも柊は、すぐには結衣に触れなかった。


「本当にいいのか」

「……はい」


「後悔しないか」


あまりにも真剣に聞くので、結衣は少し笑った。


「柊さんって……意外と心配性ですね」

「お前のことだけだ」


結衣の胸が熱くなる。

柊の手が、そっと結衣の頬に触れた。


「嫌なら言え」

「はい」


もう一度、柊が結衣を見る。

結衣は逃げなかった。


柊の胸へ、自分から少しだけ近づく。

それを見て、柊が結衣を抱きしめた。


唇が重なる。

今度は結衣も、柊の背中へそっと腕を回した。



十五年前。

田舎の別荘で出会った二人。

けれど今ここにいるのは、十五歳の少年と九歳の少女ではない。


三十歳になった柊と、二十四歳になった結衣。

それぞれの人生を歩き、再び出会い、惹かれ合った二人だった。


その夜――。


二人は初めて結ばれた。


◇


翌朝。


結衣がゆっくり目を開ける。

すぐ隣に柊がいた。


「……!」


慌てて目を閉じる。


「起きただろ」

「……起きてません」


「無理がある」


仕方なく目を開けると、柊はすでに起きていた。

しかも、こちらを見ている。


「……いつから見てたんですか」

「少し前から」


「起こしてくださいよ」

「寝ていたから」


「だからって……」


恥ずかしくなり、布団へ潜ろうとする。

柊がその身体を抱き寄せた。


「結衣」

「なんですか」


柊は少しも迷わなかった。



「結婚しろ」



結衣の動きが止まった。



「…………はい?」



聞き間違いかと思った。


付き合って約一か月。

初めて一夜を共にした翌朝。


「俺と結婚しろ」


聞き間違いではなかった。


「待ってください!」

「何を」


「付き合ってまだ一か月ですよ!」

「関係ない」


「あります!」


柊の眉間にしわが寄る。

本当に何が問題なのか分かっていない顔だった。



「俺は結衣以外と結婚する気はない」



あまりにも迷いのない言葉に、結衣は黙った。


嬉しい。

本当なら、そのまま「はい」と答えたい。


でも――。


どうして。



どうして柊は、ここまで自分を愛してくれるのだろう。

母のために必死に働いてきただけの自分。

久世家とは何の縁もない自分。


柊が選べる女性なら、ほかにいくらでもいるはずなのに。


「柊さん」

「なんだ」


「……少しだけ、考える時間をください」


柊の表情が明らかに曇る。

それでも結衣を責めなかった。


「分かった」


結衣は柊を見つめる。



まだ知らない。

柊にも、結衣へ話していないことがある。



十五年前。

田舎の別荘で出会った少女を忘れられず――。

十五年間、探し続けていたことを。


そして結衣自身もまだ知らなかった。

目の前にいる久世柊こそが――。

あの日、


「また来る」


と約束した、あの「お兄ちゃん」だったことを。


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。

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