↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
久世家の男は生涯一人の女性しか愛さない  作者: てんこ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/28

第11話|恋愛初心者の社長

結衣と正式に付き合い始めた翌朝。


柊は出社してすぐ、熊谷を呼んだ。


「くま」

「はい」


「恋人とは、毎日会うものなのか」


熊谷は一瞬だけ黙った。



「人によるかと存じます」


「毎日会ってはいけないのか」

「いけなくはございませんが、結衣様にもご都合がございます」


柊は明らかに不満そうだった。


「電話は?」


「適度になさってはいかがでしょう」

「適度とは何分だ」


今度は熊谷が少し長く黙った。




「社長。結衣様のお気持ちを直接お聞きになるのが一番では?」


柊は真剣な顔で机の上のメモへ手を伸ばした。


熊谷が珍しく目を瞬かせる。



「何をなさっているのですか」


「忘れないようにしている」

「……左様でございますか」



企業買収でも巨額の投資でも迷わない男が、恋愛となると何一つ分からない。

熊谷は笑いそうになるのをこらえ、静かに視線をそらした。


◇


会社へ行けば、柊はいつもの久世社長に戻った。

午前中の会議では、提出された資料を見て眉をひそめる。


「この数字で俺を納得させられると思ったのか」

「申し訳ありません」


「根拠を出せ。やり直しだ」


会議室の空気が凍る。

社員たちが恐れる姿は、以前と何も変わらない。



ところが会議後。

廊下の向こうから結衣が歩いてくると、柊の表情がほんの少し緩んだ。


「お疲れさまです」


結衣は周囲を気にしながら頭を下げる。


二人はまだ、社内で交際を公表していない。

そのまま通り過ぎようとした結衣を、柊が呼び止めた。


「結衣」


結衣の肩がぴくりと動く。


「……はい」


「昼は食べたか」

「食べました」


「何を」

「おにぎりです」


柊の眉間にしわが寄る。


「それだけか」

「二つ食べました」


「数の問題じゃない」


結衣は思わず周囲を見る。



社員たちが、見ていないふりをしながら明らかにこちらを気にしている。


「社長……皆さん見ています」


結衣が小声で言う。


「だから何だ」

「だから何だ、じゃありません」


顔を赤くして去っていく結衣を、柊は不思議そうに見送った。



その日から社内では、

最近、社長は糸瀬さんにだけ少し違う。


そんな噂が静かに広がり始めた。


◇


休日。


二人は初めて会社の外で会うことになった。


柊が用意したのは、一流の高級レストランだった。

案内された席へ座った結衣は、渡されたメニューを見て固まった。


柊が気づく。


「食べたいものがないのか」

「そうじゃなくて……」


「なら何だ」


結衣はメニューを少し柊のほうへ向ける。


「高いです」

「?」


本気で意味が分かっていない顔だった。



「値段を見て食べるものを決めるのか?」

「普通は見ます!」


結衣は思わず声を上げた。

周囲の客を気にして、慌てて声を落とす。


「こんな素敵なお店、緊張して味が分からなくなりそうです」


「何が食べたい」

「もっと普通のお店がいいです」


柊は少し考えたあと、あっさり席を立った。



結局二人が向かったのは、結衣が以前から好きだった小さな洋食店だった。


柊には明らかに場違いに見える。

それでも本人はまったく気にしていない。


結衣は運ばれてきた料理を前に、ようやく表情を緩めた。


「柊さんも、こういうお店で食べるんですね」


柊が顔を上げる。


「俺を何だと思ってる」

「毎日フランス料理とか……」


「そんなわけあるか」


結衣が声を上げて笑った。

柊はその笑顔を見つめる。


豪華な料理も、高価な店も、自分にとっては大した意味を持たない。



それより。

結衣が目の前で楽しそうに笑っている。

そのほうが、ずっといい。


◇


店を出たところで、突然声をかけられた。


「結衣!」


結衣が振り返る。


「あっ! 久しぶり!」


大学時代の男性同級生だった。



「元気だった?」

「うん。結衣も変わってないな」


二人は久しぶりの再会に笑う。

柊は横で黙っていた。


「今度、大学の仲間で集まろうよ」

「いいね。みんなにも会いたい」


その瞬間。


「結衣」


低い声が割って入った。



結衣が振り返る。


「はい?」


柊は男性を見る。


「紹介しろ」

「えっと……」


結衣は一瞬迷った。


会社ではまだ交際を公表していない。


「こちら、会社の……」


続きを柊が言った。


「恋人だ」


結衣の顔が一気に赤くなる。

男性も驚いたようだった。


「あ、そうなんですね。失礼しました」

「失礼じゃないです!」


結衣が慌てる。

男性が去ったあと、結衣は柊を見上げた。



「いきなり言わなくても……」

「なぜ隠す」


「隠してません」

「あいつはお前が好きだったのか」


「知りませんよ」


「連絡先は?」

「持ってますけど……」


柊の機嫌が目に見えて悪くなる。

結衣はしばらくその顔を見ていた。


そして、ようやく気づく。


「もしかして、嫉妬してます?」

「してない」


即答だった。



結衣は思わず笑う。


「絶対してます」

「してない」


「顔に出てますよ」


柊は黙った。



怖い社長。

何でも持っていて、何にも動じない人。



その人が、自分のことでこんなにも分かりやすく不機嫌になっている。

結衣には、それが少し嬉しかった。


◇


帰り道。


柊はまだどこか不機嫌だった。

結衣は隣を歩きながら、少し迷う。

そして、そっと柊の手を握った。


柊の足が止まった。


「……何?」

「別に」


今度は柊が握り返す。

ぎゅっと強く。


「痛いです」


すぐに力が緩んだ。

結衣は笑いながら、また歩き出す。


しばらくして。

小さな声で呼んだ。


「……柊さん」


柊が再び足を止める。



「もう一度」

「嫌です」


「結衣」

「もう言いません」


「なぜだ」

「恥ずかしいからです」


そう言いながら、結衣は笑っていた。

柊もほんの少しだけ笑う。



結衣にとって初めて。

久世グループの社長ではなく。

一人の男性、柊として隣を歩いた一日だった。


◇


結衣の家の前。


「今日はありがとうございました」


結衣が手を離し、帰ろうとする。


「結衣」


呼び止められて振り返った。


柊がそっと、結衣の頬へ手を触れる。



空気が変わった。

結衣の胸が大きく鳴る。

柊は何も言わず、結衣の目を見る。


逃げない。

嫌がってもいない。

それを確かめるように、ゆっくり顔を近づけた。


そして――。



二人は初めてキスをした。



短く触れただけなのに、結衣の顔は真っ赤になった。

唇が離れても、柊はそのまま結衣を抱きしめる。


「……帰したくない」


耳元で聞こえた声に、結衣の心臓が大きく跳ねた。

けれど。


結衣は何も言わず、しばらく柊の腕の中にいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。