第6話 決死の特攻と重圧のティータイム
王都の大通りは、まるで葬列のような静寂と悲壮感に包まれていた。
沿道に詰めかけた無数の市民たちは、誰一人として声を上げることはなく、ただ祈るように両手を組んで石畳を歩く部隊を見送っている。黄金の髪をなびかせた王都最強の英雄、アーサーを先頭とするトップギルドの精鋭たちである。
彼らの装備は、昨日までの重厚な白銀の鎧とは打って変わり、装甲を極限まで削ぎ落とした軽量の革鎧や布の衣服へと変更されていた。
アーサーが考案した対『厄災の化身』用の新戦術。それは、防御という概念を完全に放棄することだった。いかなる最高位の絶対城壁であろうと、彼女の扇子の一振りで紙屑のように粉砕されてしまう。ならば、防御に回す魔力や装備の重量すらも枷でしかない。すべてのリソースを速度と攻撃力のみに極振りし、誰か一人でも——たとえ仲間の屍を踏み越えてでも、彼女の喉元に刃を届かせる。
それは、神殿での復活があるとはいえ、全員が確実に一度は『死の激痛』を味わうことを前提とした、狂気の特攻陣形であった。
「……震えているか、ルーク」
アーサーは前を向いたまま、隣を歩く副官の魔術師に静かに問いかけた。
「ええ、お恥ずかしながら。あの絶対零度の恐怖と、体が粉々に砕け散る痛みの記憶が、いまだに魂にこびりついて離れません」
ルークは青ざめた顔で自嘲気味に笑ったが、その瞳には決して退かないという強靭な意志が宿っていた。
「だが、俺たちは行く。あの理不尽な化け物を放置すれば、やがてこの王都が、そして世界中が彼女の『お茶会の余興』としてすり潰されることになる。……行くぞ、野郎ども! 地獄の底で再び会おう!」
「おおおおおっ!」
アーサーの檄に、死を覚悟した戦士たちの雄叫びが王都の空に響き渡った。
一方、その頃。
彼らが命を賭して向かっている白百合邸の庭園では、あまりにも平和で、そしてあまりにも狂気じみた準備が完了していた。
「完璧ですわ。これなら、どれほど情熱的なお客様がいらっしゃっても大丈夫ですわね」
伽羅・ヴァン・ディザスターは、黒いレースの扇子で口元を隠し、満足げに微笑んだ。
昨日、激しいアクロバットの応酬によって更地となった庭園は、上位悪魔のメイドたちの手によって美しく整え直されている。しかし、その中央に鎮座しているのは、優雅な木製のテーブルではない。王国の城門に用いられるほどの強度を持つ黒大理石の塊を切り出し、さらに『絶対破壊不能』の古代呪縛を何重にも施した、要塞のような巨大テーブルと椅子であった。
その上には、最高級の白磁のティーセットと共に、伽羅の手作りである可愛らしいウサギやクマの形をした『お茶菓子』が、銀の皿に美しく並べられている。
「アーサー様たち、今日はどんなアクロバットを見せてくださるのかしら。手作りのお菓子も、きっと喜んでくださるはず」
彼女の目には、これからやってくる決死の討伐隊が、「毎日足繁く通ってくれる、とっても元気で可愛い常連客」にしか見えていない。彼女のピュアな歓待の心は、これから訪れる悲劇——もとい、極上のティータイムに向けて最高潮に達していた。
そして、運命の午後。地響きのような轟音と共に、白百合邸の敷地を覆う結界が再び硝子のように砕け散った。
「来ましたわね!」
伽羅が嬉しそうに立ち上がった、まさにその瞬間である。
挨拶も、名乗りすらない。庭園の入り口から、音速を超えた数十の魔法の矢と、極限まで圧縮された炎の槍が、一直線に伽羅の眉間を撃ち抜かんと殺到した。
「防御を捨てろ! 全魔力を攻撃に回せ! 休むな、撃ち続けろぉぉっ!」
アーサーの血を吐くような怒号と共に、革鎧姿の精鋭たちが庭園になだれ込んでくる。彼らは回避行動すらとらず、自らの筋肉が断裂するほどの力で、持てる最大の絶技を伽羅へと放ち続けた。
空を埋め尽くすほどの魔法と剣閃の豪雨。それは、一国の軍隊をたった数秒で壊滅させるほどの、純粋な殺意の塊であった。
しかし。
「……まあ! 今日は一段と元気で、素晴らしいご挨拶ですこと!」
伽羅は満面の笑みを浮かべると、手にした扇子を優雅にパタパタとあおいだ。
ただそれだけで、空間そのものがぐにゃりと歪む。アーサーたちが命を削って放った極大魔法も、必殺の剣閃も、すべてが伽羅の数メートル手前で『見えない壁』に吸い込まれるように掻き消えていく。
空間断絶。いかなる物理的・魔法的干渉も、異なる次元へと強制的に転送してしまう神話クラスの絶対防御魔法である。
「なっ……!?」
「あんな出鱈目な魔法を、また無詠唱で……っ!」
絶望に染まるアーサーたちの前で、伽羅は困ったように眉尻を下げた。
「皆様、そんなに急いで駆け回っては、せっかくの美味しいお紅茶が冷めてしまいますわ。さあ、今日は絶対に壊れないお席をご用意いたしましたの。どうぞ、座っておくつろぎになって」
伽羅が扇子をふわりと下へ向けた瞬間。
ドゴォォォォンッ! アーサーたちの全身に、目に見えない巨大な鉄塊がのしかかったような、凄まじい衝撃が襲い掛かった。
「がはっ……!?」
「ぐぁぁぁっ、体が、動か……っ!」
超高位の重力魔法、地に平伏す星の重圧。
精鋭たちは一人残らず膝を折られ、地面に這いつくばらされた。全身の骨がミシミシと悲鳴を上げ、内臓が押し潰されるような激痛に、彼らは血の混じった唾を吐き出す。
しかし、伽羅の魔法はそれだけでは終わらなかった。目に見えない重力の手が彼らの首や腕を乱暴に掴み上げ、庭園の中央に鎮座する絶対破壊不能の黒大理石の椅子へと、まるで人形のように強制的に着席させたのである。
「はぁっ、はぁっ……!」
アーサーは全身の激痛に耐えながら、必死に椅子から立ち上がろうとした。しかし、重力魔法は彼らを椅子に縛り付けるように押さえ込んでおり、指一本動かすことすらできない。
「ふふっ、皆様、ようやくおとなしくお席に着いてくださいましたわね」
伽羅は嬉しそうに微笑むと、上位悪魔のメイドに命じて、アーサーたちの前に美しいティーカップと、銀の皿を並べさせた。
「さあ、本日は特別なお客様のために、私自身が厨房に立って手作りのお茶菓子をご用意いたしましたの。遠慮なさらず、たくさん召し上がってね」
銀の皿の上にちょこんと乗っているのは、可愛らしいクマやウサギの形をしたクッキーだった。しかし、アーサーの瞳——高位の冒険者が持つ鑑定の眼が、そのクッキーの『真実』を捉えた瞬間、彼の全身からすーっと血の気が引いた。
(材質……神星鋼、魔竜の骨格、火竜の血だと……!?)
アーサーは信じられないものを見る目で、目の前の可愛らしいクッキーと、伽羅の狂気に満ちた笑顔を交互に見比べた。
毒ですらない。呪いでもない。それはただの、攻城兵器の砲弾にも等しい超高密度の物理的な『金属塊』であった。
「殿方には、少し歯ごたえがある方が喜ばれると思いまして。さあ、冷めないうちにどうぞ」
ニコニコと笑いながら、伽羅は致命的なおもてなしを強要してくる。
「……これを、食えと、言うのか……っ」
アーサーは絶望的な声で呻いた。こんなものを口に入れ、あまつさえ噛み砕こうとすれば、歯が折れるどころか顎の骨が完全に粉砕される。いや、飲み込んだが最後、内臓をズタズタに引き裂かれて、壮絶な激痛と共に神殿送りになることは明白である。
「あら、どうなさいましたの? もしやお嫌いかしら? ……それとも、あーんをして差し上げた方がよろしくて?」
純粋な厚意からくる、世界で最も恐ろしい提案。王都最強の英雄たちは、かつてない究極の絶望——物理的な地獄のティータイム——の前に、ただガタガタと震え続けることしかできなかった。




