第4話 シャイな珍客と無自覚な世直し
「がっ……はぁっ、あぁぁぁっ!」
王都の中心に位置する白亜の大聖堂。その『復活の間』に、凄絶な咳き込みと絶叫が響き渡った。
黄金の髪をなびかせた王都最強の英雄、アーサーの強靭な肉体が、光の粒子から再構築されて大理石の床に膝をつく。
全身の血液が沸騰し、細胞の欠片一つ一つが内側から爆け飛ぶような、言葉では到底言い表せない絶対的な死の苦痛。神の加護による蘇生は、肉体こそ完全な状態に戻すが、死に至るまでの痛みと恐怖は幻肢痛となって魂に深く刻み込まれる。
周囲では、彼より一足先に全滅させられていたトップギルドの精鋭たちが、発狂したように床を転げ回り、あるいは恐怖のあまりに泣き叫んでいた。
「団長! アーサー団長、ご無事ですか!」
神殿で待機していた副官の魔術師ルークが、血相を変えて駆け寄ってくる。
ルークはアーサーの背中を支え、震える声で尋ねた。
「一体、何があったのですか……! 最高の強化魔法を施した精鋭部隊が、なぜ誰一人として逃げ帰ることすらできずに全滅したのです!」
「……ああっ、最高に無事だ。いや、全く無事じゃあないがな」
アーサーは荒い息を吐きながら、自らの足でしっかりと立ち上がった。
その顔は死人のように蒼白で、全身からは脂汗が滝のように流れている。しかし——彼の瞳だけは、飢えた獣のようにギラギラと異様な輝きを放っていた。
「ルーク。俺の聖覇斬が、あいつの持っていたティーカップの底で防がれたよ」
「……は? 団長、痛みのあまり幻覚を……」
「幻覚なものか。俺たちは、あいつにとってはただのお茶会の余興だったのさ。指を鳴らしただけで数千の炎の槍を創り出し、撫でるような一撃で俺の鎧を紙屑のように粉砕した」
アーサーの口元が、獰猛な笑みの形に歪んでいく。
「最高だ。あんな絶望的な化け物が、この世界に存在していたなんてな! 戦術を練り直すぞ、ルーク。あの厄災の公爵令嬢に、俺の剣を届かせるための新しい戦術をだ!」
恐怖に震えるどころか、かつてないほどの闘争心を燃やして高笑いするアーサー。その光景に、ルークや周囲の神官たちは青ざめた顔を見合わせた。
王都最強の英雄は、あの化け物に遭遇したことで、恐怖を通り越して狂気に呑まれてしまったのではないか、と。
一方、その頃。
アーサーたちを全滅させ、王都を絶望のどん底に陥れた『厄災の化身』たる伽羅・ヴァン・ディザスターは、深い溜め息を吐いていた。
「はぁ……。やはり、お客様がお帰りになってしまうと、少し寂しいものですわね」
夜の帳が下りた白百合邸。伽羅は、バルコニーの優雅な椅子に腰掛け、夜風に吹かれながら紅茶を傾けていた。
眼下の庭園は、アーサーたちとのお茶会——という名の超絶魔法の応酬——によって、見事なまでに更地と化し、無数のクレーターが口を開けている。
現在、荒れ地と化した庭を、忠実な使用人(上位悪魔)たちが、せっせと夜通しで庭の修復作業を行っていた。
「アーサー様たち、本当に元気でしたわ。おかげでお庭がすっかり風通し良くなってしまって。次は、もっと頑丈な大理石のテーブルと、それに負けないくらい硬いお茶菓子を用意しておかなくては」
伽羅がそんな平和な思案に耽っていた、その時である。彼女の鋭敏な感覚が、邸宅の敷地内に侵入した『微かな気配』を捉えた。
アーサーたちが正面から堂々と結界を破ってきたのとは違う。音もなく、魔力の波長を完全に消し去り、闇に紛れて忍び寄る複数の足音。
彼らは、冒険者ではない。この世界の裏側で暗躍し、古の邪神を崇拝して王国の転覆を狙う暗殺組織——影の教団の刺客たちであった。
教団の目的はただ一つ。突如として顕現した規格外の化け物、災厄の公爵令嬢に『絶対服従の呪毒』を打ち込み、教団の操り人形として世界を蹂躙させること。最高位の隠密スキルを駆使した数名の暗殺者たちは、すでにバルコニーの真下、伽羅の背後数メートルの位置まで肉薄していた。
「……まあ。こんな夜更けに、どちら様かしら?」
伽羅は、振り返りもせずに優雅な声で問いかけた。
「なっ……!?」
完全に気配を消していたはずの暗殺者たちは驚愕したが、即座に任務の完遂を優先した。
一人が音もなく跳躍し、伽羅の華奢な白い首筋に向けて、邪神の呪いが込められた短剣を突き立てる。かすり傷一つでも負えば、精神を完全に破壊される猛毒の刃。
——キンッ。澄んだ金属音が、夜の空気に響いた。
「え……?」
暗殺者の男は、己の手元を見て呆然とした。
必殺の短剣は、伽羅の透き通るような肌に触れた瞬間——いかなる魔力障壁の光を放つこともなく、ただ彼女の圧倒的な基礎ステータスの暴力によって、ガラス細工のように粉々に砕け散ったのだ。
伽羅はティーカップを置き、ゆっくりと振り返った。
「正面玄関を通らず、ご挨拶の言葉もなく、こんな夜更けに背後から刃物を向けるなんて。ずいぶんとシャイで、そしてマナーの悪いお客様たちですのね」
その赤い瞳に見下ろされた瞬間、暗殺者たちは本能的な死の恐怖に総毛立った。
「ひっ……! か、構うな! 呪術を放て!」
パニックに陥った暗殺者たちが、一斉に猛毒の霧や、即死の黒魔術を伽羅へと放つ。しかし、伽羅は黒いレースの扇子を取り出すと、面倒くさそうにそれをパタパタとあおいだ。
ただそれだけで、教団が誇る必殺の呪術の数々は、ただの朝靄のようにあっけなく霧散してしまった。
「……アーサー様たちの情熱的でダイナミックなアクロバットに比べると、ずいぶんと地味で、埃っぽくて、つまらない余興ですこと」
伽羅は不機嫌そうに眉尻を下げ、扇子で口元を隠した。
「せっかくご来店いただきましたけれど、私、最低限のマナーすら守れない泥棒猫のような方は、お断りしておりますの」
彼女が静かにそう告げた瞬間。暗殺者たちの足元に広がっていた彼ら自身の『影』が、突如として底なしの泥沼のように姿を変えた。
闇魔法の極致、深淵の泥濘。
「なっ、ぐあっ!? 足が、引きずり込まれ——」
「た、助け……ぎゃぁぁぁぁっ!」
悲鳴を上げる間も与えられず、数名の暗殺者たちはズブズブと黒い影の中へと飲み込まれていく。彼らは冒険者ではない。神の加護を持たない、たった一つの命しか持たないこの世界の住人だ。影の沼に完全に引きずり込まれた彼らは、二度と神殿で蘇ることもなく、この世界から完全に消滅した。
バルコニーには、再び静寂だけが戻った。
「あら……?」
伽羅は扇子をパチンと閉じ、不思議そうに小首を傾げた。
「今の方々は、お帰りになる時に光の粒子になりませんでしたわね。それに、なんだかとても脆かったような……」
彼女の知る限り、この世界の頑丈なお客様たちは皆、ダメージを与えれば綺麗な光となって神殿に帰っていくはずである。しかし、伽羅は数秒だけ考えた後、ポンと手を打って納得したように微笑んだ。
「そうね、きっと背景に徹するべきモブキャラクターの方々だったのね! ああいう脆い方もいらっしゃるなら、やはりアーサー様たちは特別に頑丈で素晴らしいお客様なのだわ!」
たった今、王国の脅威となる闇の教団の精鋭を無自覚に消し去ったことなど露知らず。伽羅は「やはり私の一番の常連客はアーサー様たちだけですわ」と頬を染め、次なる極上のお茶会のプランに胸を弾ませるのであった。




