第3話 白熱するティータイムと極上の常連客
吹き荒れる魔力の暴風が、美しい庭園の空気を一瞬にして歪ませた。
伽羅・ヴァン・ディザスターが黒いレースの扇子を優雅に一振りしただけである。ただそれだけの、淑女の嗜みと呼ぶべきささやかな動作から生み出されたのは、視界を埋め尽くすほどの極大の真空刃だった。
「くっ……! 前衛、防御姿勢! 絶対城壁、展開!」
黄金の髪をなびかせた王都最強の英雄、アーサーは瞬時に状況を悟り、己の持つ最上級の防御スキルを起動した。
彼の前に立つ数名の重騎士たちが、身の丈ほどもある大盾を地面に突き立てる。そこにアーサーのスキルと神聖魔法が重なり、淡く光り輝く半透明の巨大な城壁が彼らの前に現出した。いかなる魔物のブレスであっても、数秒間は完全に防ぎ切れるはずの絶対の防壁である。
直後、伽羅の放った『挨拶』が城壁に激突した。鼓膜を破るような轟音と共に、庭園の芝生がごっそりと抉り取られ、宙に舞い上がる。
アーサーの顔が驚愕に歪んだ。絶対の強度を誇るはずの光の防壁に、蜘蛛の巣のような亀裂が走り始めたのだ。
「馬鹿な……! 詠唱破棄の通常魔法で、フル強化状態の防壁が割られかけてるだと!?」
背後に控えていた魔術師や神官たちが、悲鳴を上げながら必死に魔力と祈りを注ぎ込む。数秒の拮抗の末、真空刃の嵐は凄まじい爆発音と共に弾け飛び、光の防壁も同時に粉々に砕け散った。
強烈な衝撃波により、アーサー率いる討伐隊の半数が吹き飛ばされ、地面を転がる。強靭な鎧はひしゃげ、全身の骨が軋むほどの激痛が彼らを襲った。
もうもうと立ち込める土煙が晴れた後。そこには、無傷のまま小首を傾げている伽羅の姿があった。
「……まあ」
伽羅は、ぱちぱちと長い睫毛を瞬かせた。
昨日のお客様であれば、この『軽いご挨拶』の時点で、皆等しく美しい光の粒子となって神殿へとお帰りになってしまった。しかし、目の前にいる黄金の髪の殿方とそのお連れ様たちは、少しばかり服を汚し、血を流しながらも、しっかりと二本の手足で大地を踏み締めていたのだ。
「素晴らしいわ……っ!」
伽羅の赤い瞳が、歓喜の光に彩られた。
「私のささやかな歓迎を、そのように全身で受け止めてくださるなんて! なんて頑丈で、情熱的で、素晴らしいお客様たちなのでしょう!」
前世において、彼女は圧倒的な力で盤面を制圧し続けてきた。それゆえに、己の全力の『歓待』に耐えうる存在を常に渇望していたのだ。
現実世界ではすぐに壊れてしまう人間たち。しかし、この世界でようやく出会えた『壊れない』、いや、何度でも蘇る上に、これほどの耐久力を誇る極上のお客様。伽羅の胸に、かつてないほどの最高級の『おもてなしの心』が燃え上がった。
「皆様のその素晴らしいご情熱に、この伽羅・ヴァン・ディザスター、公爵令嬢としての矜持にかけて、全力でお応えせねばなりませんわね。さあ、遠慮はいりません。どうぞお席へ!」
彼女が扇子をふわりと天に向けて掲げた瞬間、アーサーたちの頭上の空がどす黒く変色した。
「ちっ……! 上だ、回避しろ! 魔力の予兆が異常だ、散開しろ!」
アーサーの血を吐くような怒号が響くのと同時に、空から無数の巨大な隕石群が降り注いだ。
彼女が『お席へのご案内』という名目で放ったのは、最高位の重力魔法と星の激突を融合させた星屑の座席である。
轟音。地鳴り。巻き上がる劫火。美しかった庭園は一瞬にしてクレーターだらけの荒野へと変貌し、逃げ遅れた後衛の戦士たちが、絶叫を上げながら次々と光の粒子となって消滅していく。彼らは今頃、神殿の大理石の床で、隕石に押し潰される幻肢痛に泣き叫んでいることだろう。
「ああっ、ダメですわ、急に走り回ったりなさいましては! お茶会では静かに座っていただくのがマナーですのに」
伽羅は唇を尖らせて不満を漏らしたが、すぐに気を取り直して優雅に微笑んだ。
「お茶菓子はいかがかしら? 少し熱いくらいが、殿方のお口には合うかもしれませんわね」
パチン、と彼女が指を鳴らす。今度は、大気中の水分が瞬時に沸騰し、数千本の極小の炎の槍となって残った戦士たちに襲い掛かった。
「うおおおおっ!」
アーサーは雄叫びを上げ、自らの肉体を焼く炎の槍を大剣で弾き落としながら、一直線に伽羅へと突進する。
彼の目は血走り、全身には焦げ跡と深い傷が絶えなかった。一歩踏み出すごとに、焼けるような激痛が神経を苛む。だが、その口元は凶悪な三日月型に歪んでいた。
(最高だ……! なんだこの化け物は!)
アーサーの武人としての本能が、死の恐怖を凌駕して歓喜に震えていた。
予備動作は『お茶会の会話』のみ。魔力の高まりすら感知させず、ただ彼女の言葉と扇子の動きに合わせて致死量の攻撃が飛んでくる。あまりにも理不尽で、あまりにもデタラメな絶望。だからこそ、アーサーの闘争心に火がついた。
この絶対に討伐不可能と思われる狂気の厄災を、己の剣で打ち倒してみたい。この剣が届くなら、己の命など惜しくはない。
「くらええええっ! 聖覇斬!」
アーサーが跳躍し、渾身の力を込めた大剣を伽羅の脳天へと振り下ろす。
英雄の命を燃やした黄金の十字の光が、彼女の華奢な体を両断する——かに見えた。
「……まあ。お砂糖をご所望でしたら、言葉で仰っていただければご用意いたしましたのに」
キィィィン、という澄んだ音が響いた。アーサーの最強の必殺技は、伽羅が片手で掲げた白磁のティーカップの底、そこに展開された極小かつ超高密度の魔力障壁によって、いとも容易く防がれていた。
「なっ……!?」
「そんなにフォークを振り回しては危険ですわ。淑女のお茶会は、もっと優雅に楽しまなくては」
伽羅はふふっと上品に笑うと、ティーカップを持たないもう片方の手で、宙に浮いたまま硬直しているアーサーの胸元をぽん、と軽く叩いた。
ただそれだけだった。
零距離の魔力爆発。
「が、はっ……!」
アーサーの体は、砲弾のように弾け飛び、庭園の奥深くにある大樹を何本もへし折りながら地面を転がった。
強靭な肉体が崩壊していく。視界が急速にモノクロームに染まり、己の体が神殿へ送られるための光の粒子へと分解されていくのを感じる。
全滅である。王都最強の精鋭部隊が、化け物に傷一つ負わせることもできず、ただのお茶会の手伝いをさせられたかのように蹂躙されたのだ。
薄れゆく意識の中で、アーサーは凄絶な痛みと共に、庭園の中央に佇む悪役令嬢を睨みつけた。
「……次は、必ず……あんたの首を、落として、やる……っ」
死の淵からの、純粋な殺意と決意の言葉。それを聞いた伽羅は、まるで最愛の人から熱烈な愛の告白を受けたかのように、両頬を手で押さえてポッと顔を赤らめた。
「まあ……! こんなに手荒なおもてなしをしてしまったのに、またご来店くださるのですね! ええ、ええ、お待ちしておりますわ、私の一番の常連客《お気に入り》様!」
伽羅は、光となって消えゆくアーサーに向かって、この上なく美しく、そして狂気に満ちたカーテシーを披露した。
「次のお茶会では、もっともっと、心を込めたおもてなしをご用意しておきますわね」
こうして、災厄の公爵令嬢と王都最強の英雄による、血で血を洗う果てしない『お茶会』の幕が、正式に切って落とされたのである。




