第2話 阿鼻叫喚の神殿と優雅なお茶会の準備
王都の中心にそびえ立つ、白亜の大聖堂。そこは、神の加護を受けた冒険者たちが、命を落とした際に光の粒子となって蘇る『復活の間』であった。通常であれば、厳かで静謐な祈りの場であるはずのその空間は今、かつてないほどの阿鼻叫喚の地獄と化していた。
「ぎぃぃぃぃぃあぁぁぁぁぁっ!」
突如として虚空から現れた数十の光の柱が、人間の形を為すと同時に、絶叫が石造りの壁に反響した。
彼らは昨日、災厄の化身である伽羅・ヴァン・ディザスターの討伐に向かい、そして彼女の『ご挨拶』によって全滅させられた第一陣の戦士たちであった。
「あ、足が、俺の足が砕けるぅぅっ! 寒い、寒い寒い寒いっ!」
「嫌だ、嫌だぁっ! あんな化け物、勝てるわけがないっ! 目が合っただけで殺される!」
大聖堂の大理石の床の上で、屈強な戦士たちが赤子のように丸まり、涙と涎を撒き散らしながらのたうち回っていた。
彼らの肉体は神の力によって完全に再生されており、傷一つない。しかし、魂に刻み込まれた『絶対零度で全身の血液が凍りつき、肉体が粉々に砕け散る』という死の瞬間の激痛と恐怖は、幻肢痛となって彼らの精神を激しく苛んでいた。
「落ち着け! 神官長、彼らに精神安定の治癒魔法を急げ!」
混乱の坩堝と化した大聖堂に、よく通る凛とした声が響き渡った。
黄金の髪をなびかせ、白銀に輝く最高位の重鎧に身を包んだ男。王都最強の武を誇る剣士にして、精鋭を束ねる英雄、アーサーである。
彼は床でガタガタと震え続ける大剣使いの男——昨日、伽羅に一番に突っ込んでいった戦士——の肩を力強く掴んだ。
「しっかりしろ! 君たちは生還したんだ。私に教えてくれ、あの白百合邸で一体何があった?」
「あ、アーサー様……っ」
大剣使いの男は、縋り付くようにアーサーの腕を握り返した。その手は氷のように冷たく、尋常ではない震えを帯びている。
「あ、あいつは……災厄の公爵令嬢は、狂ってます。殺気も、魔力の高まりも、何の予兆もなかった……っ。ただ、微笑みながら扇子を振っただけで、俺たちは皆、氷の彫像にされて砕かれたんだ……っ!」
「なんだと……?」
アーサーの目が驚愕に見開かれた。数十人の精鋭を一瞬で屠る極大魔法を、無詠唱かつ無動作で放ったというのか。それはおよそ、人間はおろか、伝説に語られる最上位の魔竜にすら不可能な芸当である。
「俺たちは、虫けらみたいに捻り潰された……。あんな本物の化け物がこの世界に解き放たれたら、王都なんて一日で氷の墓標に変わっちまう……っ!」
絶望に染まった戦士の言葉に、大聖堂に集まっていた他の冒険者たちも青ざめ、息を呑んだ。誰もが、世界が終焉を迎える足音を聞いたような顔をしていた。
だが、ただ一人。アーサーの口元だけは、獰猛な三日月の形に歪んでいた。
(……無詠唱の広範囲殲滅魔法。しかも、事前のモーションすら存在しないと)
彼の中の、英雄としての使命感と、それ以上に純粋な武人としての闘争心が激しく燃え上がっていた。
理不尽であればあるほど、絶望的であればあるほど、彼の魂は歓喜に震える。いまだ誰も為し得たことのない、あの規格外の化け物を討ち取るという大業。
「……面白い。私が相手になろう」
アーサーは腰に佩いた大剣の柄を固く握り締め、ギロリと背後に控える自らの精鋭たちを睨みつけた。
「出発の準備をしろ。あの災厄の令嬢が王都に牙を向く前に、我々の手でその首を落とす。最高位の防壁魔法と、対氷属性の結界を何重にも張って挑むぞ」
彼らの眼差しに、一切の妥協はなかった。それは、世界を救うために命を捨てる覚悟を決めた、本物の戦士たちの顔であった。
――時を同じくして
彼らが決死の覚悟を固めている頃、当の『厄災の化身』は、最高に優雅な朝のティータイムを満喫していた。
心地よい朝の光が、ステンドグラスを通して白百合邸の廊下に色とりどりの影を落としている。
伽羅・ヴァン・ディザスターは、ふわりと広がる純白のネグリジェ姿のまま、自室のバルコニーへと出た。
眼下に広がるのは、手入れの行き届いた広大な庭園である。色鮮やかな花々が咲き乱れ、中央には美しい装飾が施された白亜の噴水が清らかな水を弾かせている。しかし、その美しい庭園の入り口付近——昨日、最初のお客様たちを迎え入れたエントランスホールへと続く門扉は、無惨にも破壊されたままであった。
「……まあ。いくら私にお会いしたいからといって、お家の扉を壊してしまうのは感心いたしませんわね」
伽羅は困ったように小さくため息をつき、扇子で口元を隠した。この世界に生きる人々は、とても頑丈で素晴らしいお客様たちだ。昨日も、彼女の用意した『少し冷たい歓迎』を全身で受け止め、光の粒子となって綺麗にお帰りになってくれた。
ただ、彼らは少々情熱的すぎるあまり、礼儀作法というものを忘れてしまっている傾向にある。
昨日のお客様たちもそうだった。挨拶もそこそこに武器を振り回すという、淑女に対する明らかなマナー違反。だからこそ、伽羅は公爵令嬢としての務めを果たし、少しばかり強めの魔法で彼らの頭を冷やして差し上げたのだ。
「ですが、せっかく私に会うために、あんなに汗を流して遠方から足を運んでくださるのです。ただ追い返すだけでは、この領地の名折れというもの。……ええ、そうですわ。次のお客様は、この美しいお庭でお茶会にご招待いたしましょう」
名案だとばかりに両手を打ち合わせると、伽羅はすぐさま使用人たちを呼び寄せた。彼女の目には忠実で優秀なメイドや執事に映っている彼らだが、その実態は人智を超える力を持った上位悪魔や死霊騎士たちである。
伽羅は彼らに指示を出し、庭園の中央に最高級の白磁のティーセットと、豪奢なテーブルを用意させた。さらに、彼女自身の手で庭園の入り口からテーブルに至るまでの道筋に、『美しい深紅の薔薇』の種を撒いていく。
「たくさんのお客様がいらっしゃっても退屈しないように、可愛いお花たちにお出迎えをしてもらいましょう。きっと皆様、驚いて喜んでくださるわ」
彼女が鼻歌交じりに植え付けたそれは、魔界の深淵にしか生息しない吸血魔蔦と呼ばれる、触れた者の血液と魔力を毎秒削り取る極悪なトラップ植物であった。
「それにしても……昨日の皆様は、私の歓迎に感極まって一言も発せずに帰ってしまいましたもの。次こそは、きちんとお席に座って、ゆっくりとお茶の味を楽しんでいただかなくては」
彼女の倫理観では、魔法で人を粉砕することはあくまで『派手な演出』であり、その後にゆっくりとお茶を飲むことこそが『歓待の本番』であった。
前世の現実世界では、演出の時点で客人が気絶してしまうため、お茶会まで辿り着けた者は一人もいなかったのだ。しかし、この世界の頑丈な人々ならば、きっとあの程度の氷の演出は笑って耐え抜き、優雅にお茶を飲んでくれるはずだと信じて疑っていない。
こうして、災厄の公爵令嬢による『完璧なお茶会』の準備は、着々と、そして致命的な形で整えられていったのである。
そして、数時間後の午後。
美しく整えられた庭園で、焼き菓子と共に芳醇なダージリンを楽しんでいた伽羅の耳に、再び激しい戦闘音が届いた。
「……あら。さっそく、次のお客様がいらっしゃったようですわね」
ティーカップをソーサーに置き、伽羅は優雅に立ち上がった。
庭園の入り口付近では、彼女が植えた吸血魔蔦と、重武装の戦士たちとの間で激しい死闘が繰り広げられていた。炎の魔法が飛び交い、剣閃が宙を舞い、蔦に捕まった戦士たちが血を吸われて凄惨な悲鳴を上げている。
その血で血を洗う地獄のような光景を遠目から眺めながら、伽羅は心底嬉しそうに微笑んだ。
「ふふっ、皆様、私のお花たちと元気に遊んでくださっているのね。あんなにアクロバティックに飛び跳ねて……本当に情熱的な方々」
侵入者たちからすれば、蔦に少しでも掠れば即座に全身の血を吸い尽くされる地獄の障害物競走である。しかし、伽羅の目には、食後の軽い運動を楽しむ微笑ましい光景にしか映っていない。
やがて、数人の犠牲を払いながらも、暴れ狂う蔦の迷宮を力業で突破し、一人の男が庭園の中央へと辿り着いた。黄金の髪をなびかせ、鋭い眼光を放つ王都最強の英雄、アーサーである。
「お前が……災厄の公爵令嬢かっ!」
アーサーは息を呑んだ。世界を滅ぼす最悪の化け物と聞かされていたその女は、およそ戦闘とは無縁の、あまりにも美しく優雅な佇まいでそこにおり、完璧なカーテシーで彼を出迎えたのだから。
「ようこそいらっしゃいました、特別なお客様。……さあ、素晴らしいお茶会の始まりですわ」
伽羅が扇子を広げた瞬間、庭園の空気が、再び致死量の魔力によって歪み始めた。




